「ことばについて」 The power of words.



 「忘れものですよ! 犬の糞のしまつは飼い主の責任です。」。ワンちゃんが振り向いている絵がおかしい。犬が用を足しがちなスポットに掲示してあって、なるほどと思わせられます。以前、ある家の玄関先に、「糞、無用!」とだけ墨書きした立て看を見て、そのお宅の人の腹立ちのようすが想像され、気の毒に思うと同時に、前を通るのがなんだか緊張してしまい足が遠のきがちになっていたことを思い出します。「ものは言いよう」という成句がありますが、ことばは意味をあらわす以上の不思議な力を持っているようです。

 今から1100年以上前、紀貫之という歌人は、「和歌は、力を入れないで天や地を動かし、魂や神を感じ入らせ、男女の仲をうちとけさせ、猛々しい武士の心もなごやかにさせる」(『古今和歌集』「仮名序」)とのべています。和歌を「ことば」と言いかえてもさしつかえありません。また同時に、『新約聖書』の「はじめにことばあり、ことばは神とともにあり、ことばは神なりき。」(ヨハネ伝福音書、第一章の冒頭)という一節も思い出します。ことばは意味を伝える記号という近代的で合理的なとらえ方ではとらえられない、いや、「意味を伝える」という機能をこえたはかりしれない力を持っていると、齢を重ねにしたがって、ますます感じるようになりました。
 父の厳しい戒めのことば、母の甘美ななぐさめのことば、友人からの手痛い批評のことば…過去に耳にした数多くのことばが、何かの折々によみがえってきます。そして今、それらのことばが、ある時には、生きていく指針となったり、あるいは、生きていく支えとなったり、また、生きることへの励ましとなっているのだなあと実感させられることがたびたびあります。

 ことば、この不思議な力そのもの!


〈外国人への日本語教室用 原文はルビつき〉

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