自分・この不思議な存在(鷲田清一)1/2 もっと、深くへ!

 


 ① この評論、読み慣れているものとは思考・論の組み立てが違っていて、スムースに読み取れなかった人がいると思います。


 私たちが「意味の境界」に固執するのは、〈わたし〉が「もろく、不可解な存在」であるからだ。〈わたし〉が「もろく、不可解な存在」であるとはどういうこと…? それは、次のわたし〉と身体の例を考えれば理解しやすい。

 〈わたし〉は身体を〈わたし〉の思うように動かしていると考えるのは、心身二元論にもとづくもの

わたし=精神 ⇔ 身体=物質

これは二分法二項対立。こちらを)のパラダイム。
 脛(すね)を打ち付けると脛が痛い。でも、痛いのは脛なのか、〈わたし〉なのか…? 脛ともいえるし、〈わたし〉ともいえる。この場合、わたし=身体。〈わたし〉と身体の関係を考えても、〈わたし〉が「もろく、不可解な存在」であることがわかる。〈わたし〉と身体の関係の話題、後半の「清潔願望」につながるものです。

   

② 〈わたし〉とは、そのつどあらわれる他者との関係において、つねに変容していく存在である。しかし、そのことは、他者とは〈わたし〉の輪郭を絶えず侵食するものであるともいえる。それに耐えきれず、「構成」された「歴史」(変容し形作られてきたこと)が忘却され、「自然」化された〈わたし〉に固執し、〈わたし〉は先験的に存在すると思い込み、他者を排除しようとする。(「本当の私」とか、「自分探し」などチルデッシュ・アイディア…?)


③ この1/2全体をごく短く要約すると、

 わたしたちは他者を通してしか自分を知りえないのに、その他者から自分を隔離しようとばかりする。

  となります。


  

④ ただし、この評論が語ろうとしているのは上記の要約というわけではありません。いったん結論づけたことを敷衍(ふえん。こちらを)しながら、さらに次の結論へ、さらに次の結論へ…と動的・階層的に論を組み立てていく「脱構築」(こちらを。仏: deconstruction、英: deconstruction)タイプの文章です。このタイプの文章の読み取りに慣れ親しんでおいてください。「序論・本論・結論」、「起・承・転・結」の組み立てとは違います。
 それでは、「自分・この不思議な存在」2/2に進みましょう。

  

じぶん・この不思議な存在(鷲田清一)2/2 もっと深くへ !


自分・この不思議な存在 1/2 問題

自分・この不思議な存在 1/2  解答(解説)

問1 解答例…「意味の分割線を混乱させたり」する人を「別の世界に生きている人」と思うのは、わたしたちと彼らを対等に見ることになる。「普通」ではない人」とみなすのは、彼らを独自な存在と見ず、わたしたちが「普通」と感じる価値判断から、その枠を外れた人と見ることとなる。(たとえば、豚肉を食べることを良いか悪いかという「意味の分割線」を共有できない人と共存するか、異質なものとして隔離したり排除するかに発展しいく問題でもあるとも考えていい。)


問2 解答例…「わたし」と「身体」は分離できない関係 (18字。)


問3 解答例…他者との差異を確認する(その)意味の軸線

(指示語の指示内容は、直前、その直前…とさかのぼり、「こと」などを補うなどして指示語に代入、文意が通るか確認。ただし、要約しなければならなかったり、指示内容が指示語の後にあることもあり、そのケースが出題されることも知っておく。ここでは、指示語の後にあるケース。)


問4 

(「意味の軸線」「解釈の一体系」といういわば党派的で歴史可変的なものを絶対視する。)


問5 解答例…差別されている人を優遇することで、かえって不当に利益を得る人々ができて、全体的に公平ではなくなること。


問6 自分はだれかという問いを自分の内部へと向ける (22字。最後尾にある。)


a.Q 
解答例…目の前に存在するものに対して、共通の基準でもって意味づけや区分けを行っている、ということ。


自分・この不思議な存在 1/2 問題


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