鴻門の会~九死に一生を得る(史記)もっと深くへ !


鴻門の会あらすじ

 秦の始皇帝が死去すると、各地に反秦の旗を掲げる者が続出しました。その中で最も有力だったのが、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)です。

 項羽はもとの楚の名門に生まれた武将。劉邦(沛公)は沛から兵を起こしたので、沛公と呼ばれ、後に漢王朝を創始し初代皇帝となります。

 紀元前207年10月、南から秦の都咸陽(かんよう)に迫る劉邦は、東から進撃してくる項羽より約1か月早く都を占領、秦王を捕虜にし、項羽の到着を待っていました。2人の間には、秦帝国の心臓部である関中に先に入ったほうがこの地の王となるとの約がありました。一足早く咸陽に入城した劉邦は、函谷関を閉じて項羽の軍を阻もうとしたのです。

 しかし、項羽は討秦軍全体の最高指揮官であり、劉邦はその一部将、そして率いる軍勢は40万対10万と劉邦が圧倒的に劣勢でした。激怒した項羽は、全軍に劉邦攻撃を命じましたが、攻撃の直前、劉邦の謀臣の張良項羽の叔父項伯のとりなしによって、両者は鴻門で会見することとなりまた。これを鴻門の会と言います。

 この会談で項羽の軍師范増(はんぞう)はしばしば項羽に沛公をこの場で殺すことを促しますが、項羽は反応を示しません。業を煮やした范増は、剣舞にかこつけて沛公を殺すように項荘に言い含めますが、項伯がこれを妨害しようとします。劉邦の参謀張良は危険を感じ、そのことを樊噲(はんかい)に伝えます。樊噲はその場に飛び込んできて、剛勇無双、忠義一徹の気力と弁舌によって項羽を圧倒します。九死に一生を得た沛公はその場を抜け出し、後のことを張良に託して逃れることができました。

 『史記』の項羽本記(こううほんぎ)に書かれ、わが国でも人気のある場面です。


『史記』とは

 前漢の司馬遷によって書かれた史伝。今から2100年ほど前の紀元前90ころ成立。

 宮廷に保存されていた資料や古くから伝わる文献や司馬遷自身が各地の古老から聞き取った話などをもとにして書かれたとされています。

 帝王の記録である本紀(ほんぎ)、著名な個人の記録である列伝などから構成される紀伝体(きでんたい)と呼ばれるもので、司馬遷が創始した形式です。以降各王朝の正史の形式となりました。

 『史記』の最大の特色は、単なる事実の集積ではなく、個人の生き方を凝視した人間中心の歴史書であるという点にあります。歴代の治乱興亡の厳しい現実の中を生きた多くの個性的な人々の躍動感あふれる描写と場面転換のおもしろさなどから、文学作品としても人気を保ってきた史書でもあります。

 今から2000年以上前、これほどの史書が書かれていたことに驚かされます。その頃はわが国は弥生時代であり、また、万葉仮名で書かれた我が国初めての歌集『万葉集』の編纂が完成する約850年も前に書かれたことになります。




項羽と劉邦 King's War 第44話 鴻門の会
2021/02/04
『項羽と劉邦 King's War』は、2012年の中国のテレビドラマ。総制作費35億円。全80話。


劉邦と項王の人物像

  劉邦(沛公)は鴻門での会談に臨むとき、どんな気持ちで出かけたのでしょうか。昨夜、項伯を丸めこめたと信じて身の危険を感じず、無事に帰ってこられると思っていたのでしょうか。項伯の親友の張良をはじめ、樊噲(はんかい)・夏侯 嬰(かこうえい)・紀信(きしん)などの股肱の臣(ここうのしん。いつも身近にいて信頼できる腹心の部下。)を連れて行ったことから見ると、身の危険を感じていたと思われます。

 結果は無事に帰還することができましたが、その経緯は波乱に富んでいました。この危機から劉邦を救ったのは、項伯であり、張良樊噲でした。智勇の臣下の活躍によって、劉邦は九死に一生を得たことになります。

 ここでも、有能な人物を部下として登用し、その部下を信頼し、その部下たちの声に耳を傾け、最善の方法に従う劉邦(沛公)の一面が読み取れる場面と言えます。


 項羽(項王)は、優柔不断で、熱しやすく冷めやすく、極端から極端に走る激情型・直情径行型の人間として描かれているようです。例えば、劉邦(沛公)の陳謝に気を良くして劉邦を撃つことをやめて「与(とも)に飲」んだり、范増の再三の催促にも「黙然として応じ」なかったり、項荘の剣舞にも簡単に「諾(だく)」と言ったり、樊噲の無礼な態度に「壮士なり」と言って咎めなかったりしたとされています。

 息詰まるような場面と、そこでのそれぞれの人物の言動や心理に、思わず引き込まれてしまいます。

鴻門之会(史記)1/3 原文/書き下し文/現代語訳はこちら

鴻門之会(史記)2/3 原文/書き下し文/現代語訳はこちら

鴻門之会(史記)3/3 原文/書き下し文/現代語訳はこちら



関連する記事です。

↓ ↓ ↓

荊軻~始皇帝暗殺(史記)はこちら

韓信~劉邦を勝利に導いた、稀代の戦略家 (史記)はこちら

臥薪嘗胆~すさまじい怨恨の連鎖(『十八史略』)はこちら

刎頸の交わり~中華の謝罪法、肉袒負荊(『十八史略』)はこちら

木曾の最期(平家物語)~日本人がそうふるまうのは なぜ ?はこちら

能登殿の最期(平家物語)~剛勇無双の平教経 VS. 敏捷に身をかわす源義経はこちら

忠度(タダノリ)の都落ち(平家物語)~動乱期の師弟愛はこちら



「鴻門之会 1/3」問題へ

解答(解説)

問1a 翌朝  f 目くばせをする  h 人柄

  b   c いま  d しからずんば  e ともに  g こと  i なんぢ  j しからずんば  k 

問2 ① 沛公  ② 項王 

問3 取るに足らぬ者 (品性の卑しい者。「小人閑居して不善をなす。」などと使われます。) 曹無傷

問4  (使AB→使役の句法 AをしてB しむ = AにB させる

問5 何を以てか此に至らん  沛公が項王を撃とうとすること

問6 范増が項王にこの場で沛公を殺すのを決断せよということを

問7 因りて沛公を坐に撃ちて之を殺せ

(まず「撃〈〉沛公〈〉於坐〈〉」ととらえる。「殺〈〉之〈〉」の文意から命令ととらえる。「撃沛公於坐」が「殺之」を修飾している。)

問8 且に虜とする所と為らんとす  (「~」→ 「且に~せんとす」と訓む再読文字。「為所~」→ 「~する所と為る」と訓む受身の句法。)

問9 常に身を以て沛公を翼蔽す かばうように守る

「鴻門之会 1/3」問題へ



「鴻門之会 2/3」問題へ

解答(解説)

問1a いかん  c と  d たまへ  あたふ  f と  g とに  h しかるに  k のみ

問2 b 差し迫っている  i つまらぬ者のことば  j 二の舞(あとにつづくもの)

問3 怒りの形相 (5字)

問4 ② お前は何者か  ⑥ わずかのものも自分のものにしようとはしませんでした

問5 壮士風に見える樊會をひるませようとする心理的駆け引き。

問6 臣死すら且つ避けず。卮酒安くんぞ辞するに足らんや。 死ぬことでさえ避けませぬ。大杯の酒くらい、どうして断るに樽でしょう。いや、断るには足りません。

(「AB。。」→ 抑揚=Aすら且つB。安くんぞCせんや。AでさえB。まして、どうしてCしようか。いやCしない。 )

問7⑤ 人を殺すこと挙ぐるに能はざるが如く

  ⑦ 未だ以つて応ふる有らず

問8 司馬遷 前漢 紀伝体

「鴻門之会 2/3」問題へ


「鴻門之会 3/3」問題へ

問1 a いま  b いかん  c あたへんと  d   f のみ  g すでに

問2 e ひそかにかくれて行く(「間」にはひそかにの意がある。「間者」など) h 小僧 青二才  i すぐさま(「たちどころに/ただちに」などと訓読する。)

問3①都尉陳平をして沛公を召さしむ(「使AB」→ AをしてBせしむ=使役 AにBさせる。)

  ③何ぞ辞するを為さん(「~」何ぞ~せん=反語 ドウシテ~スルダロウカ、イヤ、~シナイ。)

  ④公我が為に之を献ぜよ (文意から命令文の構造をとらえる「公〈主〉為我〈修〉献〈述〉之〈目〉」。)

  ⑥安くにか在る(「」。文脈から判断。 疑問・反語①理由→いづクンゾ=どうして。 疑問・反語②場所→いづクニ〔カ〕=どこに・どこで。  動・形→やすンズ・やすシ。

問4 天下統一という大事業をなそうとしているとき、帰りのあいさつなど気にしなくてよいと言うこと。(直接には、大事な儀式の際には、小さな譲り合いなど気にかけないでよいの意。)

問5⑤別れの挨拶をすることができない。

  ⑦捕虜にされる。

問6 司馬遷 前漢 紀伝体

「鴻門之会 3/3」問題へ



漢文とは何? へ

漢文の基本知識 へ


高校国語学習支援サイト】向け









 

コメント