能登殿の最期(平家物語)~日本人がそうふるまうのなぜ?②=平教経 VS. 源義経

    能登殿の最期 

(平家物語)

 ~日本人がそうふるまうのなぜ ② 

 平教経 vs. 源義経  


【動画】91 平家物語 壇ノ浦の戦い

 〇動画目次
  0:00~ 概要  0:22~ 田口一族  1:20~ 伊勢義盛の謀  2:33~ 状況整理  3:20~ 関門海峡と潮の流れ  3:38~ 開戦前の源氏  4:18~ 開戦前の平家  4:49~ 壇ノ浦の戦い  6:07~ 平家の秘策  6:27~ 田口成良の裏切り  7:12~ 先帝入水  8:38~ 平宗盛  9:21平教経と義経の八艘跳び  9:46~ 平家最期  9:58~ 赤間神宮



「能登殿の最期」(平家物語)を現代語縮約で

 能登守平教経)の矢に立ち向かう者はほとんどいませんでした。教経は矢を次々と放ちながら、最後の戦いだと思ったのでしょうか、赤い錦の鎧直垂(ひたたれ)に唐綾縅(もようどり)の鎧を着て、立派な大太刀を抜き、白木の柄の大長刀の鞘をはずして、両手に持って敵をなぎ倒して回りました。誰も彼に正面から立ち向かおうとはしませんでした。多くの敵が討たれてしまいました。


 新中納言平知盛)は使者を送って、

能登殿、あまり人を殺してはいけない。そんなに敵をなぎ倒したところで、何の意味があるのか」

と言いました。教経はその言葉を「大将軍源義経)と戦えということか」と理解し、太刀や長刀の柄をしっかり握り、源氏方の舟に乗り移って叫びながら戦い続けました。


 教経義経を知らなかったので、立派な武具を着た武者を見つけては義経だと思い、舟を乗り移って駆け回りました。義経もそれに気づいていて、教経の前に立ち向かおうとしましたが、実際にはあれこれ行違うように見せて対決しませんでした。しかし、ひょんなことから義経の舟に教経が乗りかかり、

「それ、出会ったぞ!」

と飛びかかりました。義経はこれには勝てないと思ったのでしょう、長刀を脇に挟んで味方の舟にひらりと飛び移りました。


 能登殿は、早業は(判官に)劣っておられたのであろうか、すぐ続いては飛び乗りなさらず、「今はこれまで」と覚悟を決め、太刀や長刀は海に投げ入れ、甲(かぶと)も脱いで捨てました。鎧の草擦を引っ張ってちぎり捨て、胴だけを着て、髪の結びが解けた乱れ髪の姿となり、大手を広げて立ちました。恐ろしいほどの威圧感で、誰も近寄れない姿でした。


 教経は大声で、

「我こそはと思う者は、近寄って教経と戦って生け捕りにしてみよ。鎌倉の頼朝に会って、一言もの言おうと思うぞ。勇気がある者は、かかって来い!」

と叫びましたが、誰ひとり近づく者はいませんでした。


 さて、土佐の国の安芸郷を持っていた安芸太郎実光という者がいました。彼は三十人力の力を持つ強力な武士で、彼の家来や弟も非常に強かった。安芸太郎教経を見て、

「どんなに勇猛でも、我ら三人がかかれば、丈30メートルの鬼であっても組み伏せられないはずがない」

と言い、三人で小舟に乗り込み教経の舟に乗り移りました。

 「えい!」

と言って乗り移り、三人が一斉に教経に向かって攻撃しました。しかし、教経は少しも驚かず、まず安芸太郎の家来を引き寄せて海に蹴り込み、続いて安芸太郎を左手に、弟を右手に挟んで一気に締め上げ、

「さあ、お前たちも死出の旅に連れて行くぞ」

と言って、二十六歳の若さであったが、海に飛び込みになった。

★能登殿の最期(平家物語)の原文/現代語訳こちら


能登殿(平教経)の最後のいくさ語り

 平教経(たいらののりつね 能登殿)は、壇ノ浦の合戦で、この日を最後と、大太刀(おおだち)・長刀(なぎなた)を振り回し大活躍する。従弟(いとこ)の平知盛(たいらのとももり 新中納言)は使者をやって、「むだな殺生(せっしょう)はおやめなさい。りっぱな敵といえないものを」と言いやったところ、能登殿教経(のりつね)大将軍源義経(みなもとのよしつね)に組めということと受け取って、義経目指して船から船へ乗り移って攻め戦うのでした。義経は表面では能登殿教経に立ち向かうと見せかけて、実際は避けて組もうとしません。そうしているうちに、どうしたはずみか義経教経は行き当たり、あわやと思われた瞬間、義経は離れた味方の船にひらりと飛び移ります。今はこれまでと悟った能登殿教経は物の具(武器や武具)を投げ捨て、「我と思わん者は生け捕りにせよ」と呼ばわりますが、寄る者は一人もいませんでした。
 やがて、安芸太郎実光(あきのたろうさねみつ)という剛の者が、弟と郎等(ろうどう 武家の家臣)の三人がかりで討ちかかってきたが、能登殿教経は最初に郎等を海に蹴り入れ、弟と実光(さねみつ)を両脇にさしはさんで、「お前たちも、死出(しで)の旅路の供をせよ」と言って、もろともに海に飛び込んで果てたのでした。

★能登殿の最期(平家物語)の原文/現代語訳こちら

平教経と平知盛と源義経はどう造形されているのか 

平教経(=能登殿 たいらののりつね)…ここでの主人公。勇猛果敢、剛勇無双の豪快な武者として描かれています。その最期(さいご。死に際のこと)もそれにふさわしく、死を少しも恐れず源氏方の武者を道連れに、なんのこだわりもなくためらいもなく入水(じゅすい。水中に身を投げて自死すること)して果てたとしています。

平知盛(新中納言 たいらのとものり)…奮戦する能登殿教経に、敵とはいえそれほど重要な敵なのか、そうではあるまいと、無用に人を殺す罪作りを戒める。平家一門が滅亡に向かっていることを運命としてらえ、それは避けようのないという仏教的諦観からの言葉のようにみえます。

源義経大将軍 みなもとのよしつね…兄頼朝が平氏を滅ぼすのに多大な功績をあげたが、後に対立することとなり、奥州衣川(おうしゅうころもがわ)の館で自害することとなった、悲劇の人。ここで、鎧(よろい)・甲(かぶと)をつけ、六、七メートルも海の上を飛ぶという、常人では考えられない早業。敏捷(びんしょう)な行動、特別な技量の持ち主として描かれています。能登殿教経と一騎打ちになったら面倒なことになると、先を読んだ行動。戦(いくさ)の達人、知将としてのふるまい。味方の士気を考えた司令官としての戦い方。

 武者の三つの典型として三者の人物が際立つように造形され語られています。

『平家物語』とは

鎌倉時代中頃までに成立した軍記物語。作者は未詳(みしょう)。

 平家の覇権(はけん)が確立したころから、壇ノ浦における平家の滅亡を経(へ)て、建礼門院(けんれいもんいん)の往生(おうじょう)に至る平家一門の興亡に焦点を合わせて描かれています。合戦譚(たん)や恋愛譚(たん)、説話や主要人物のエピソードが織り込まれ、これにこの時代特有の因果応報仏教思想儒教思想がからみあって、一大人間絵巻をくりひろげています。 

 盲目の僧形(そうぎょう)をした琵琶法師と呼ばれた芸人によって語られた語物(かたりもの)。琵琶によって『平家物語』を語ることを平曲といいます。

 合戦(がっせん)の場面は簡潔で力強い調子の和漢混交文で、情緒的な場面では流麗な七五調の文体でというように、場面に応じて巧みにかき分けられている。対句表現擬態語・擬声語の多用など、平安時代とは異なる語法が随所にみられる。


平曲とはどういうもの?

【動画】琵琶演奏「祇園精舎
〜伝統音楽デジタルライブラリー 


 ずいぶんスロー・テンポだなと思いますよね。むしろ、現代が映像も、人々の話し方や動作も、そもそも、時間の流れ方が早すぎるのではないでしょうか。「コスト・パフォーマンス」とか「◯◯の最適化」とか、結果を効率的かつ短時間に求める産業社会、そのことを可能にする科学技術の進歩と社会システムが背景としてあるのでしょうか?

 現代の饒舌(じょうぜつ)すぎることば、鮮明で高速度で切り替わる映像に、中身が伴っているのかと疑問に思うこともあります。

 動画どころか画像などもちろんなく、文字を理解し高価な紙に書写された書物を読めるのはごくごく例外的な人であった時代、琵琶法師が琵琶を奏でながら語ることば(平曲)を聴きながら、ことば一つ一つに集中し、想像力をはたらかせ、風景や人物や出来事をありありと思い浮かべ、自分もその場面に生きているかのように聴き入っていた、名もなき人々。そんな人々にできるだけ近づいて、その人々自身を体験するように読むと、「平家物語」をより深く味わうことができるのではないでしょうか。






【参考1】項羽「今、ただちに降伏しなければ、オレはお前のおやじを煮殺すぞ!」(『史記』)

 ついでに、敵と対峙した際の情況は異なりますが、東アジア大陸で秦滅亡(紀元前206年)後、覇(は)を争った項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)の下のようなやり取りが『史記』(司馬遷)で語られています。



當此時,彭越數反梁地,絕楚糧食,項王患之。為高俎,置太公其上,告漢王曰:「今不急下,吾烹太公。」漢王曰:「吾與項羽俱北面受命懷王,曰『約為兄弟』,吾翁即若翁,必欲烹而翁,則幸分我一桮羹。」項王怒,欲殺之。項伯曰:「天下事未可知,且為天下者不顧家,雖殺之無益,只益禍耳。」項王從之。(項羽本紀)


 高校生上級編の漢文です。漢字の力がある人は訓読できるでしょう。


【現代語訳】
 当時、彭越(ほうじょう)はいくたびか梁(りょう)の地で反乱を起こしており、楚(そ)の糧道を絶っていた。項王(項羽)はこれを患(わずら)い、高俎(高いまな板=生贄の台)を準備して太公(劉邦父)をその上に置き、漢王劉邦に告げて言った。「今、ただちに降伏しなければ、オレは太公(オマエの父親)を煮殺すぞ!」。漢王劉邦は言った。「オレは項羽(オマエ)とともに北面して懐王の命を受け、『兄弟の約束を結ぼう』と宣誓した。オマエの父は、即ちオレの父である!どうしてもオレの父親を煮殺そうというならば、オレにもその羹(あつもの。ホットスープ)を一杯分けてもらおうか!」。項王項羽は怒り、太公を殺そうとしたが項伯(項羽の側近)が言った。「天下の事(趨勢)はいまだわかりかねる。かつ、天下を取ろうと考えている者は家族の事なんか顧(かえり)みるものではない、殺したところで無益なばかりか、ただ禍(わざわい)が増すだけだぞ!」。項王
項羽はこの言葉に従った。



 不利な情勢を打開しようとして、項王(項羽)は捕えていた漢王(劉邦)の父親を高いまないた中華では切り株を用いた)にのせて、「降伏しないと、お前(=劉邦)の父親を釜で茹(ゆ)でて殺してしまうぞ。」と脅迫したのでした。項羽の残虐な性格が現れたものです。すると劉邦は「やるならやってみろ。そして(オレのおやじを)かまゆでにした後の一杯のスープを、わしにも分けてくれ。」と返答したといいます。肉親の危機に直面しても落ち着き払っている劉邦の冷たい性格が語られていることになります。またここでは、人肉食が前提になっています。漢王朝の創始者劉邦(高祖)について書かれている一節、漢王朝の正式な歴史書に記録されているのです !  彼我(ひが)の倫理観や思考の組み立て、そして美意識は両極にあるほど異質だなあと思わされます。

 

これも、

「我々を刺激する妄想をするならば…頭が割れ血を流すだろう。」(こちらを)こわすぎデス


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【参考2 動画】平知盛の潔い最期の姿

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壇ノ浦に消ゆ 2012/09/06
maichin3916
源平最期の決戦となった壇ノ浦合戦 平家武者の意地と誇りを胸に、奮戦する平知盛 迎え撃つは戦の天才、源九郎義経 知勇兼備の武将、平知盛の潔い最期の姿 彼を惜しむ弁慶の叫びが、戦いの水面にこだまする・・

武蔵坊弁慶・中村吉右衛門 
源九郎義経・川野太郎 
伊勢三郎義盛・ジョニー大倉
常陸坊海尊・岩下浩 
平知盛・隆大助 
平資盛・堤大二郎



【参考3 動画】平家物語「木曾の最期」

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木曽の最後:映画にしてみた 
funnypg run



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