能登殿の最期
(平家物語)
~日本人がそうふるまうのなぜ ②
平教経 vs. 源義経
『平家物語』とは
鎌倉時代中頃までに成立した軍記物語。作者は未詳(みしょう)。
平家の覇権(はけん)が確立したころから、壇ノ浦における平家の滅亡を経(へ)て、建礼門院(けんれいもんいん)の往生(おうじょう)に至る平家一門の興亡に焦点を合わせて描かれています。合戦譚(たん)や恋愛譚(たん)、説話や主要人物のエピソードが織り込まれ、これにこの時代特有の因果応報の仏教思想や儒教思想がからみあって、一大人間絵巻をくりひろげています。
盲目の僧形(そうぎょう)をした琵琶法師と呼ばれた芸人によって語られた語物(かたりもの)。琵琶によって『平家物語』を語ることを平曲といいます。
合戦(がっせん)の場面は簡潔で力強い調子の和漢混交文で、情緒的な場面では流麗な七五調の文体でというように、場面に応じて巧みにかき分けられている。対句表現や擬態語・擬声語の多用など、平安時代とは異なる語法が随所にみられる。平曲とはどういうもの?
ずいぶんスロー・テンポだなと思いますよね。むしろ、現代が映像も、人々の話し方や動作も、そもそも、時間の流れ方が早すぎるのではないでしょうか。「コスト・パフォーマンス」とか「◯◯の最適化」とか、結果を効率的かつ短時間に求める産業社会、そのことを可能にする科学技術の進歩と社会システムが背景としてあるのでしょうか?
現代の饒舌(じょうぜつ)すぎることば、鮮明で高速度で切り替わる映像に、中身が伴っているのかと疑問に思うこともあります。
動画どころか画像などもちろんなく、文字を理解し高価な紙に書写された書物を読めるのはごくごく例外的な人であった時代、琵琶法師が琵琶を奏でながら語ることば(平曲)を聴きながら、ことば一つ一つに集中し、想像力をはたらかせ、風景や人物や出来事をありありと思い浮かべ、自分もその場面に生きているかのように聴き入っていた、名もなき人々。そんな人々にできるだけ近づいて、その人々自身を体験するように読むと、「平家物語」をより深く味わうことができるのではないでしょうか。
能登殿(平教経)の最後のいくさ語り
平教経と平知盛と源義経はどう造形されているのか
【参考1】項羽「今、ただちに降伏しなければ、オレはお前のおやじを煮殺すぞ!」(『史記』)
ついでに、敵と対峙した際の情況は異なりますが、東アジア大陸で秦滅亡(紀元前206年)後、覇(は)を争った項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の下のようなやり取りが『史記』(司馬遷)で語られています。
當此時,彭越數反梁地,絕楚糧食,項王患之。為高俎,置太公其上,告漢王曰:「今不急下,吾烹太公。」漢王曰:「吾與項羽俱北面受命懷王,曰『約為兄弟』,吾翁即若翁,必欲烹而翁,則幸分我一桮羹。」項王怒,欲殺之。項伯曰:「天下事未可知,且為天下者不顧家,雖殺之無益,只益禍耳。」項王從之。(項羽本紀)
高校生上級編の漢文です。漢字の力がある人は訓読できるでしょう。
【現代語訳】
当時、彭越(ほうじょう)はいくたびか梁(りょう)の地で反乱を起こしており、楚(そ)の糧道を絶っていた。項王(項羽)はこれを患(わずら)い、高俎(高いまな板=生贄の台)を準備して太公(劉邦父)をその上に置き、漢王(劉邦)に告げて言った。「今、ただちに降伏しなければ、オレは太公(オマエの父親)を煮殺すぞ!」。漢王(劉邦)は言った。「オレは項羽(オマエ)とともに北面して懐王の命を受け、『兄弟の約束を結ぼう』と宣誓した。オマエの父は、即ちオレの父である!どうしてもオレの父親を煮殺そうというならば、オレにもその羹(あつもの。ホットスープ)を一杯分けてもらおうか!」。項王(項羽)は怒り、太公を殺そうとしたが項伯(項羽の側近)が言った。「天下の事(趨勢)はいまだわかりかねる。かつ、天下を取ろうと考えている者は家族の事なんか顧(かえり)みるものではない、殺したところで無益なばかりか、ただ禍(わざわい)が増すだけだぞ!」。項王(項羽)はこの言葉に従った。
不利な情勢を打開しようとして、項王(項羽)は捕えていた漢王(劉邦)の父親を高いまないた(中華では切り株を用いた)にのせて、「降伏しないと、お前(=劉邦)の父親を釜で茹(ゆ)でて殺してしまうぞ。」と脅迫したのでした。項羽の残虐な性格が現れたものです。すると劉邦は「やるならやってみろ。そして(オレのおやじを)かまゆでにした後の一杯のスープを、わしにも分けてくれ。」と返答したといいます。肉親の危機に直面しても落ち着き払っている劉邦の冷たい性格が語られていることになります。またここでは、人肉食が前提になっています。漢王朝の創始者劉邦(高祖)について書かれている一節、漢王朝の正式な歴史書に記録されているのです ! 彼我(ひが)の倫理観や思考の組み立て、そして美意識は両極にあるほど異質だなあと思わされます。
これも、
「我々を刺激する妄想をするならば…頭が割れ血を流すだろう。」(こちらを)こわすぎデス…
高校生上級編の漢文です。漢字の力がある人は訓読できるでしょう。
当時、彭越(ほうじょう)はいくたびか梁(りょう)の地で反乱を起こしており、楚(そ)の糧道を絶っていた。項王(項羽)はこれを患(わずら)い、高俎(高いまな板=生贄の台)を準備して太公(劉邦父)をその上に置き、漢王(劉邦)に告げて言った。「今、ただちに降伏しなければ、オレは太公(オマエの父親)を煮殺すぞ!」。漢王(劉邦)は言った。「オレは項羽(オマエ)とともに北面して懐王の命を受け、『兄弟の約束を結ぼう』と宣誓した。オマエの父は、即ちオレの父である!どうしてもオレの父親を煮殺そうというならば、オレにもその羹(あつもの。ホットスープ)を一杯分けてもらおうか!」。項王(項羽)は怒り、太公を殺そうとしたが項伯(項羽の側近)が言った。「天下の事(趨勢)はいまだわかりかねる。かつ、天下を取ろうと考えている者は家族の事なんか顧(かえり)みるものではない、殺したところで無益なばかりか、ただ禍(わざわい)が増すだけだぞ!」。項王(項羽)はこの言葉に従った。
不利な情勢を打開しようとして、項王(項羽)は捕えていた漢王(劉邦)の父親を高いまないた(中華では切り株を用いた)にのせて、「降伏しないと、お前(=劉邦)の父親を釜で茹(ゆ)でて殺してしまうぞ。」と脅迫したのでした。項羽の残虐な性格が現れたものです。すると劉邦は「やるならやってみろ。そして(オレのおやじを)かまゆでにした後の一杯のスープを、わしにも分けてくれ。」と返答したといいます。肉親の危機に直面しても落ち着き払っている劉邦の冷たい性格が語られていることになります。またここでは、人肉食が前提になっています。漢王朝の創始者劉邦(高祖)について書かれている一節、漢王朝の正式な歴史書に記録されているのです ! 彼我(ひが)の倫理観や思考の組み立て、そして美意識は両極にあるほど異質だなあと思わされます。
これも、
「我々を刺激する妄想をするならば…頭が割れ血を流すだろう。」(こちらを)こわすぎデス…
【参考2 動画】平知盛の潔い最期の姿
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壇ノ浦に消ゆ 2012/09/06
maichin3916
【参考3 動画】平家物語「木曾の最期」
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