安部公房「鞄( カバン)」~😕自由でなければならない😕という😓不自由😓?

 安部公房 
「鞄(カバン)」
 ~😕自由でなければならない😕 
 という😓不自由😓 


  あらすじ

 正直(しょうじき)そうな印象の青年が、事務所にいる「私」の前に現(あらわ)れます。その青年は、なんと、この事務所が半年前に出した求人広告を見て来たと言うのです。「私」はあきれてものも言えません。すると、青年は「やはり、駄目でしたか。」と、むしろほっとしたような感じで引き返そうとします。
 はぐらかされた「私」は、そんな青年を引き止めて、事情を聞きます。たまたま欠員が出て新規に補充を考えていた矢先だったからです。すると青年は「一種の消去法でここに来た。」と、かなり思わせぶりなことを言うのです。
 「私」が「具体的に言ってごらんよ。」と言うと青年は「この鞄(かばん)のせいでしょうね。」と、足元に置いた大きな鞄に視線を落とします。さらに青年は「鞄の重さが、僕の行先を決めてしまうのです。」と言うのでした。

 問答を続けているうちに「私」は、その鞄(かばん)のことが気になっていきます。「なかみは何なの?」と「私」が訊ねると青年は「大したものじゃありません。つまらない物ばかりです。」と返します。

 結局「私」は青年を採用することにし、下宿を紹介してあげます。青年が下宿の下見に行くと、そこには例の鞄が取り残されていました。「私」は何気なくその鞄(かばん)を持ち上げて歩いてみます。
 気がつくと「私」は事務所を出て、急な上り坂にさしかかっていました。事務所に引き返すつもりでしたが、どうもうまくいきません。普段は意識していなかった坂や石段に遮られてしまうのです。
 「私」は、やむを得ず、歩ける方向へと歩いて行きます。別に不安など感じませんでした。鞄が導いてくれるのです。「私」はただ歩き続けていれば良いのです。
 「選ぶ道がなければ、迷うこともない。私は嫌になるほど自由だった。」


橋本チャンネル
第六回馬橋映画祭出品。
原作 安部公房

   作者の安部公房とは

 新潮社のサイトで次のように紹介されています。

(1924-1993)東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。


 前衛的実験的超現実主義と言ってもいい作風。共産党に入党経験があり、マルクス主義こちらを)が教養の一部となっています。ただし、ライナー・マリア・リルケ(こちらを)やマルティン・ハイデッガー(こちらを)、その他実存主義(こちらを)の影響を受けていると言われ、作品群の鑑賞・解釈は一筋縄に行かない面があります。ノーベル文学賞の候補者だと言われていました(⇒『実はあの作家も!?ノーベル文学賞を「逃した」日本の文豪たち』こちらを)。

  〈自由〉とは何?

 安部公房は、この『鞄』で何を語ろうとしているのでしょうか。結末で「私は嫌になるほど自由だった。」とあります。「自由」ということば、「人間の歴史は自由を獲得する戦いであった。」などと言われます。
 それでは、そもそも〈自由〉とは何なのでしょうか?

 「何物にも縛られないこと」「やりたいことをやりたいようにできること」「誰にも干渉されないで行動すること」などなど…でも一方、「今は昔と違って自分の進む道は自分で選べるんだよ。」「君の可能性は無限なんだ。君のやりたいことをやりたいようにやりなさい。」などと言われると、むしろ、不安になったり、途方に暮れることだってあります……。

 〈自由〉について考える時〈不自由〉を考えなければなりません。その二つをよくよく考えてみると、絶対的な自由も絶対的な〈不自由〉も存在しないことに気づくでしょう。不自由な〈自由〉も、自由不自由もありえます。たとえば、ランチAからランチEまでの5種類から選べることは〈自由〉ともいえるし、5種類の選択肢を不自由とも感じることもあります。他に付け合わせのオプションが複数用意されていても、本質的には同じ。
 このたとえのように、自由不自由は相対的なものだと言えます。完全な自由〉とは幻想でしかなく、〈自由〉でなければならないとは、時に、幻想の〈自由〉に縛られて何も選ぶことができない不自由になることにもなるともいえます。


  〈自由〉と〈強制〉

 先のランチでどれを選択するのかは、予算・好み・気分・おなかのすき具合、周りの人のに合わせるなどが基準や条件になるでしょう。この基準や条件によって決定しているともいえるし、この基準や条件が行動を制約、あるいは強制しているともとらえられます。そうであるなら自由だと思っていた自分も、実はさまざまな制約の中にあり、選択の道は極めて狭いものだということに気づくでしょう。

 「鞄」で扱われているテーマは自由〉と〈不自由〉の問題であるととらえられます。その意味で、この作品の主人公は「鞄」であるともいえます。「青年」や「私」は「鞄」の象徴する世界とのかかわりを与えられているだけであり、したがって、この作品の「青年」や「私」は読者自身の身の上でもあるわけです。作中、次のようなやり取りがあります。


「分からないね。なぜそんな無理してまで、鞄を持ち歩く必要があるのか……。」
「無理なんかしていません。あくまでも自発的にやっていることです。やめようと思えば、いつだってやめられるからこそ、やめないのです。強制されてこんな馬鹿なことができるものですか。」


 「青年」は、いつでも「鞄」から自由になれると思っています。いつでも、あるいは、いつか、全く別の選択ができるが、今のこの行動は〈自発的に行っているのだ ! 「青年」が自発的〉だと思っていることが、実は本質的な意味で〈強制〉なのではないのか?!自由とは結局〈強制の別名なのではないのか?!

  究極の〈自由〉

  「私」は「青年」が残していった「鞄」をなんということもなしに持ち上げてみました。「ずっしり腕にこたえた」とあるからかなりの重さです。試しに二、三歩、歩いてみると、もっと歩けそうでした。こんな具合に、「私」は導かれるように歩き始めました。「青年」がそうであったように、「私」もまた「鞄(かばん)」に導かれて歩く。この時の「私」の心理は、こう説明されています。

 べつに不安は感じなかった。ちゃんと鞄が私を導いてくれている。私は、ためらうことなく、どこまでもただ歩きつづけていればよかった。選ぶ道がなければ、迷うこともない。私は嫌になるほど自由だった。


 「嫌になるほど自由だった」とは妙な表現ですよね。徹底的に何ものかに導かれるならば、あれこれと迷うことはない、不安もなければ迷いもない。とすれば、人間は徹底的な〈強制〉の中において自由なのであるとされているわけです。また、先のランチの例の「予算・好み・気分・おなかのすき具合」は、時代教育体力能力性格他者からの期待などと置き換えてみることができるでしょう。私たちはそれら所与の条件によって選択させられ、行動させられ、生きさせられているといえるでしょう。その意味で、私たちは作中の「私」なのではないのでしょうか… ! 選択させられている〈自由〉…!

 また、冒頭に『「君の可能性は無限なんだ。君のなりたいものを目指していいんだよ。」などと言われると、むしろ、不安になったり、途方に暮れることだってある』と述べたが、「鞄」を持つことで「青年」も「私」も、選択しなければならないという束縛から自由であるともいえよう。また、先に述べた『「何物にも縛られないこと」「やりたいことをやりたいようにできること」「誰にも干渉されないで行動すること」』という意味での自由は幻想であり、絶えず何ものかに選択させられているのだとも言えます。

  「鞄」の重さ

 私たちには、特定の時代教育体力能力性格他者からの期待などの条件が決定的に与えられています。これらが、私たちにとっての「鞄」なのである。人間は努力すればすべて解決できるというものではない。どんなに努力を重ねても100メートルを10秒以内で走れる人は超レアな例外でしかありません。そういう意味で、私たちは何かしらの重い「鞄」をうんこらしょと運びながら人生を生きなければならないのです。このように考えるなら、「努力」もまた重い「鞄」なのです。


 この作品において、〈自由〉はあるのかないのかという抽象的な見方は出てきません。作品を読み終えて、不思議な重苦しさと、それとは反対に不思議な安堵感を覚えたなら、その読み方は誤っていないのでは…。作者はきっと、私たちの人生にある何もかもひっくるめて「重い」と表現しているのですから。「鞄」は重いほど〈自由〉なのであって、当然二つの読後感が混在してもおかしくはないわけです。


  「鞄」の象徴するもの

 以上を総合して考えると、「鞄」は、人間に与えられた条件や制約、もっと端的に言えば、〈運命〉であるともいえるし、〈自由〉であるともいえるし、また、〈自分自身〉の象徴でもあるともとらえられます。

 これとは別の解釈もいろいろ考えさせる作品だと思います。






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