花は盛りに
「徒然草」
~新しい美意識、わび・さびへ
徒然草「花は盛りに」
朗読|原文・現代語訳|
『徒然草』とは
兼好法師によって今から700年ほど前の鎌倉時代終わりころに書かれた随筆。『枕草子』(清少納言)・『方丈記』(鴨長明)とあわせて日本三大随筆とされています。
自然、社会、人間のありように対する思いを述べた随筆で、さまざまな角度から斬新な感覚で切り込んだ作品。王朝文化へのあこがれ、有職故実(礼式・官職・制度などの由来など)に関する心構え、処世訓、自然美の新しい見方など、素材・対象は多彩を極めています。また、作者兼好法師は和歌四天王の一人に数えらたように、美的感受性にも優れている人です。
『花は盛りに』あらまし
① 桜や月の見どころ
桜や月の趣は、満開の時や曇りなく輝いているときだけをよいとすべきではなく、雨に妨げられた月、家にこもって思いやる桜も情趣ふかい。
咲く前の桜、散った後の桜の花も見がいがあり、花見ができなかった歌の詞書(ことばがき)もよいものだ。
すべてものの初めと終わりは興趣があるもので、男女の情愛も十分思いが遂げられないところに、真の趣があり、月の景にしても、十分月光を鑑賞できないところが、かえって、趣ふかい。
② 桜や月を観る態度
月や桜は現実に眺めなくても、心の中で思いやる風情もまた興趣ふかいものだ。
教養ある人は風流を愛しても態度がさらりとしているが、田舎の人はその態度があくどくて何でも直接味わい、欲望を満たそうとして、物事を距離をおいてゆったり眺めることがない。
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新しい美意識の発見
この段は、『徒然草』下巻の冒頭に据えられ、古くから人々に親しまれてきました。
実物を目の当たりにするよりも心中でしのぶことに価値を見出したり、完全なもの・典型・絶頂ではなく、兆(きざ)し・未完・終わりつつあるもの・名残りに価値を見出す独特な美意識の発見であるとも主張であるとも言っていいと思います。
次の「三夕(さんせき)の歌」と共通する美意識と言えそうです。
☆寂しさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ☆(361・寂蓮法師)
「このさびしさはどこから来るというものでもないのだ。真木(まき)の生えている山の秋の夕暮れよ。」という意です。
「このさびしさはどこから来るというものでもないのだ。真木(まき)の生えている山の秋の夕暮れよ。」という意です。
秋の寂しさは、とくにこれという目に見えるはっきりしたものから伝わってくるのではない。華やかな紅葉もない、杉やひのき(「槙」)が茂る山の、秋の夕暮れのなかでつくづくそう感じた。
☆心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ☆(362・西行法師)
「あわれなど理解するすべもない私にも、今はそれがよくわかるのだ。鴫(しぎ)が飛び立つ沢の秋の夕暮れよ。」という意です。
世を捨て法師となり煩悩を捨てて無心なる私のような者にも、あわれな趣は身にしみて感じられるものである。シギが飛び立っていく秋の夕暮れはあわれふかいものだ。
☆見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ☆(363・藤原定家)
「見わたすと、花も紅葉もここにはない。海辺の仮小屋に訪れる秋の夕暮れよ。」の意。
見渡してみると、あでやかな花も見事な紅葉も見当たらない。浜辺の粗末な漁師の小屋だけが目に映る、わびしい秋の夕暮れであることよ。
浜辺のわびしい秋の景が詠まれているのですが、初めに提示した桜の花や紅葉の華やかな残像とが二重になって、奥深く不思議ともいえる世界を経験することになります。
中世(鎌倉時代)になると、平安時代(古代)の典型的なもの(=中心)に美を見出すことに飽き足らず、典型から外れたバリエーション、すなわち、周縁に美を見出す傾向が色濃くなります。
装飾的なものをできうる限り排除し、素朴なもの、華やかならぬものに風情を見出す美意識ともいえますし、作為の極限としての不作為の美ともいえるし、幽玄(こちらを)やわび・さび(こちらを)の美意識ともいえます。また、象徴(こちらを)や暗喩(こちらを)を尊ぶ美意識に結晶していくとも考えられます。これらは能楽・茶道・書院造・水墨画・俳諧などに影響してもいきました。
【参考動画】
茶の湯への誘い 4 茶事「こころ」と「かたち」
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