梓弓(伊勢物語)~すれ違いによる悲しい結末


 梓弓 

(あづさゆみ)

「伊勢物語」

 ~すれ違いによる悲しい結末 

『伊勢物語』第二十四段「あづさゆみ」2011/06/11

 梓弓(伊勢物語)を現代語で 

 昔、ある男が、片田舎に住んでいた。その男が、宮仕えをしに都へ行くと言って、女と別れを惜しんで出かけたままで、三年の間帰ってこなかったので、女は男の帰りを待ちあぐねていたところ、たいそう親切に言い寄った別の男に、女は今夜夫婦になりましょうと約束していたちょううどその日に、この都に行っていた男が帰ってきたのだった。帰ってきた男が、「この戸を開けてください」と言って戸をたたいたけれど、女はその戸を開けないで、歌を詠んで差し出した。

 あらたまの年の三とせを待ちわびてたゞ今宵こそ新枕すれ
 〈三年(という長い間、待ちわびて(それでもお帰りにならないので)ちょうど今夜、(ほかの男と)結婚することになっているのですよ。〉

と言って家の中から男に差し出したので、男は

 梓弓ま弓つき弓年をヘてわがせしがごとうるはしみせよ
 〈梓弓・真弓・槻弓と、(弓にはいろいろあるように、私たちの間にも色々あったが)長年の間私が(あなたを愛)したように、(あなたは新しい夫を)大切に愛しなさい。〉

と言って、立ち去ろうとしたので、女は、

 梓弓ひけどひかねど昔より心は君によりにしものを
 〈(あなたが私の心を)引いても引かなくても、昔から(私の)心は(いちずに)あなたに寄り添っていましたのに。〉

と言ったが、男は帰っていってしまった。女は、とても悲しくて、(男)のあとについて追っていったが追いつくことができないで、清水が湧き出るところに倒れ伏してしまった。(そして)そこにあった岩に、指の血で書き付けた歌、

 あひ思はでかれぬる人をとゞめかねわが身は今ぞきえはてぬめる

 〈(私がこれほど恋しく思っているのにあなたは)ともに思ってくださらないで、よそよそしくなってしまった(そのいとしい人)を引き止めることができなくて、私の身は今にもすっかり消えて(死んで)しまいそうです。〉

と書いて、(ほんとうに)そこで死んでしまったのだった。


梓弓(伊勢物語)原文+現代語訳こちら

 愛と死 

 恋愛や結婚、現在を絶対視しないで、今から1100年前の人々にできる限り近づいて、物語を追体験してみましょう。結婚のあり方も慣習も交通や通信の便も、現代とは全くと言っていいほど異なる時代です。
 今現在の自分や時代や価値観とは異なる体験を疑似的にすることで、新しい発見をしたり、過去や現在が新しい見え方をしたりすることもあるのではないでしょうか。

 
 都で仕事を得た夫が帰ってきて、「この戸開けたまへ」と言う。

 女は三年も他の男に心を許さず、ひたすらに夫を待っていました。「ねんごろにいひける」男を憎く思うわけではない。でも、出て行って、帰ってきた夫の胸に飛び込みたい。しかし、親切に、辛抱強く、熱心に求婚し続けた男に対して、それはできない。しかも今夜は初めて枕を交わすべく、その人は家の中にいるのです。もとの夫へのあふれんばかりの思いを、戸を押さえながら、女は辛い思いでせき止めようとしていました。

  あらたまの年の三とせを待ちわびてたゞ今宵こそ新枕(にいまくら)すれ
  (三年という長い間、あなたの帰りを待ちわびてそれでもお帰りにならないので、ちょうど今夜、ほかの男と結婚することになっているのです。
 

 夫は女の歌にその場の事態を察しました。夫にしてみれば、決して女に不誠実ではなかった。女と暮らせる見通しも立つようになって戻ってきた。しかし、三年放っておいたのは事実だ。女は今夜から新しい生活に踏み切ろうとしている。夫は祝婚(しゅくこん)の歌を残して、自分は退(しりぞ)こうと決心しました。


  梓弓ま弓(ゆみ)つき弓(ゆみ)年(とし)をヘてわがせしがごとうるはしみせよ
  〈梓弓・ま弓・槻弓と、弓には色々あるように、私たちの間にも色々ありましたが、長年私があなたを愛したように、あなたは新しい夫を大切に愛しなさい。〉 


 女は、今夜新枕(にいまくら)する人を裏切ることはできないと、必死で押しとどめていた夫への愛情は、夫の優しさあふれる歌によってとどめられなくなりました。身を引いて女の幸せ願う夫の心の美しさ、気高さに、女は以前以上の強い愛情を感じ、夫の後を追ったのです。

  梓弓(あづさゆみ)ひけどひかねど昔より心は君によりにしものを

  〈(あなたが私の心を)引いても引かなくても、昔から(私の)心は(いちずに)あなたに寄り添っていましたのに)。〉

しかし、追いつくことはかなわず、清水の脇の岩に哀切な歌を書き残して、息絶えたのです。


  あひ思はでかれぬる人をとゞめかねわが身は今ぞきえはてぬめる
  〈私がこれほど恋しく思っているのにあなたはともに思ってくださらないで、別れて去ってしまう、そのいとしい人を引き止めることができなくて、私の身は今にもすっかり消えて(死んで)しまいそうです。〉


 ここでの「男」は、設定から在原業平とは関係がないお話しです。

 ここでも、初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。また、和歌が物語の中核となっているのも特徴です。

「梓弓」原文&現代語訳はこちら


 「伊勢物語」への道 

 日本語は文字を持たない言葉でした。平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情や情景の文字表現ができるようになっていったのです(万葉仮名は除く)。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。

 文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした作り物語(「竹取物語」など)と、歌の詠まれた背景についての話を文字化した歌物語(「伊勢物語」)の二つが成立したとされています。


 「伊勢物語」は、初め在原業平(ありわらのなりひら)の家集を母体として原型ができ、その後増補を重ねて、今日の形になったようです。

 在原業平になぞえられる主人公「昔男(むかしおとこ)」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集です。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の段もあります。この「梓弓」も男性の設定から業平とは関係ない段です。





「梓弓」原文&現代語訳はこちら

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