韓信
「史記」
~国史無双、劉邦の覇権を決定づけた戦略家
『史記』とは
前漢の司馬遷によって書かれた史伝。紀元前90ころ成立。
宮廷に保存されていた資料や古くから伝わる文献や司馬遷自身が各地の古老から聞き取った話などをもとにして書かれたとされています。
帝王の記録である本紀(ほんぎ)、著名な個人の記録である列伝などから構成される紀伝体(きでんたい)と呼ばれるもので、司馬遷が創始した形式です。以降各王朝の正史の形式となりました。
『史記』の最大の特色は、単なる事実の集積ではなく、個人の生き方を凝視した人間中心の歴史書であるという点にあります。歴代の治乱興亡の厳しい現実の中を生きた多くの個性的な人々の躍動感あふれる描写と場面転換のおもしろさなどから、文学作品としてもながく読まれてきています。
今から2000年以上前、これほどの史書が書かれていたことに驚かされます。その頃はわが国は弥生時代であり、また、万葉仮名で書かれた我が国初めての歌集『万葉集』の編纂が完成する約850年も前に書かれたことになります。
韓信とは
韓信(かんしん)は劉邦(りゅうほう)に仕えて大将軍(総指揮官)となり、楚漢の抗争で勝敗を決定する重要な役割をはたした武将です。卓越した作戦能力を持ち、戦えば常に勝利をおさめ、『国士無双(=比べられる者がいないほど優れた者)』と呼ばれるにふさわしい人物でした。
しかし劉邦が天下を統一して漢の皇帝となってからは、その能力と領土の大きさから警戒されるようになり、最後は謀反(むほん)を企てるものの、失敗して処刑されてしまいました。漢族に人気の歴史上の人物のです。HP「韓信1/2」(こちらへ)は、その韓信の若いころのエピソードが語られている箇所です。韓信は若いころから貧乏で人に寄食していたが、待遇が悪いと怒って飛び出すような自尊心の強い人だったとされています。また、木綿を晒(さら)している貧しいおかみさんの世話になっていた時、おかみさんに、そのうちたっぷりお礼をするよと言って、甲斐性なしが何を言っているのだとバカにされたり、町のならず者に言いがかりをつけられてその股をくぐり笑いものになった(「韓信の股くぐり(こちらへ)」と言われています。)など、若い頃から自尊心が強く、高い野心を持ち、愚かな争いはしないというような人物として司馬遷は語っています。
「韓信1」の原文/書き下し文/現代語訳はこちらへ。
後にHP「韓信2/2」(こちらへ)で、 劉邦は蕭何(しょうか)の推薦を受けて無名の韓信を抜擢して大将軍(最高司令官)の地位を与えました。韓信は劉邦に敵項羽攻略の戦略を授けました。こうして劉邦が項羽との戦争で勝利するために重要な役割を果たすこととなります。
韓信の、巧みな語り口
韓信、項王攻略の戦略を説く
**項王の評価**
① 勇猛であり、怒ると千人がひれ伏すほどの威圧感があるが、将軍たちに仕事を任せきることができない、「匹夫之勇」(こちらを)の持ち主だ。②礼儀正しく温情に厚いが、功績を立てた者に土地や爵位を授けることをはなはだ惜しむ、「婦人之仁」(こちらを)の持ち主である。
つまり、項羽の全能性・カリスマ性とそれと表裏する組織統治の欠陥を具体的に説明することで、劉邦にその隙を突く機会があることを示しているわけです。
**項羽の政治的な失策とその影響力**
項羽の、都の選択、義帝(懐王)との約束破り、諸侯への好き嫌いや思い込みによる不公平な措置、項羽の軍兵たちの残忍非道さなど具体的な事例を挙げ、それが広範囲にわたる不満と不信を招いていると論じます。
韓信はこの影響力の大きさを強調し、劉邦がうまく立ち回ればここに勝機があるとします。
**勝利への戦略**
一言でいえば、項羽の弱みを衝く方法をとれということになります。
①真に武勇に優れた者を親任しその者に各局面を任せよ。
②戦果功績をあげた者には天下の町々を支配地として与えよ。
③東方の秦に帰りたがっている兵士の心理を利用せよ。
④降伏した二十万人を生き埋めにして殺し、裏切り者の三人を秦の王にしているなどへの、項羽に対する民衆の憎しみを利用せよ。
すなわち、優れた将を登用して各局面は任せ、王は大局を正しく把握して最適な策を決断せよということになります。
**支持と資格**
劉邦は、秦王朝を滅ぼし、都咸陽に入城した際、秦の厳しい法律を撤廃し、「人を殺せば死刑。人を傷つければ処罰。物を盗めば処罰」の三条のみに改めた寛大さを示すことで住民からの広範な支持を得ていた。また、諸侯間の約束から、劉邦が漢中の王になる資格があることを民衆はみな知っている。
**火ぶたを切るのは今 !**
狡兎死して走狗烹らる
「韓信2」のあらすじ/原文/書き下し文/現代語訳はこちらへ。
音声は1:50後から
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解答(解説)
問1(1)①たりし ②なる(こと)を ③ために ⑤なす
(2)④一人前の男
( ←「丈夫」は成人男子、才能が人より優れた立派な人の意。ここでは、「いい若いもん」のニュアンス。)
問2 A亭長の妻が(韓信の面倒を見ることを)苦痛に思うようになり,朝早くご飯を炊くと腹いっぱい食べてしまったこと。
( ←直前の「亭長妻患之,乃晨炊蓐食」、直後の「食時信往,不為具食」に着目します。亭長の妻は韓信を怠け者の上ずうずうし過ぎると思い、嫌気がさした。言い換えると、韓信が食事のころあいに行っても、その支度がしていなかったことになる。韓信は自尊心が傷つけられ亭長の家を出て行く、と言うことになります。「蓐食」は「蓐」を蒲団と解し、寝床の中で食べると解釈する人もいるようです。)
問3 (1)豈に報いを望まんや (2)どうしてお返しなど期待しましょう(お返しの期待などしていません)
( ←「豈ニ~ンヤ」の反語の句法。反語は、「何」「安」「誰」「幾」「如何」「豈」などの漢字を使ったり、「…ンヤ」と訓読して反語と捉えたりします。)
問4 若は長大にして好みて刀剣を帶ぶと雖も、中情は怯なるのみ
( ←「若」は二人称代名詞(なんぢ)、「雖」は「~ト雖(いへど)モ」と返読する仮定形の句法、「好」は「好みて」と訓読し「帶刀劍」を修飾、「帶刀劍」は「帶」と「刀劍」が述語・目的語の関係、「中情怯」は「中情」と「怯」は主語・述語の関係、「耳」はノミと読む強調の助字ととらえていく。訓読する時ひらがなにするもの(助詞・助動詞に当たる語など)にも注意しましょう。「大きな図体をして、いつも刀剣をぶらさげて(いきがって)いるが、本当は臆病者に決まっている。」の意ととらえられる。)
問5 【解答例】地道に努力して生活を築いていくというのではなく、そのうちどでかいことをやりとげようと野望を抱き、そんな自分を理解してくれない人とは絶交するような高い自尊心の持ち主である。また、掛けられた恩情には心から感謝して、人生意気に感じる義侠心の持ち主でもある。さらに、将来に大志を抱いているので一時の屈辱にはよく耐えるような人物でもある。(152字)
(←最初の亭長の家での出来事、次の「漂母」とのやりとり、さらに、「韓信の股くぐり」として語り継がれることになる話題で、司馬遷が何を語ろうとしているのか考えてみます。
韓信は、劉邦が項羽との抗争に勝利し中国皇帝となるのに多大な貢献をなしたが、晩年はその劉邦から疑惑を持たれ、ついには謀反を企て斬られて殺されてしまう。今からおよそ2100年前、劉邦が築いた漢王朝に仕える天才的歴史家(司馬遷)が、韓信という特異な人物の生い立ちを描き出しているのです。日本人とは違った古代中華独特の発想や人間観や話の組み立て方を楽しむこともできます。)
問1①国中で二人といない立派な人(「国士」とは、一国の中で優れた人物の意。「無雙」は、並ぶ者がいないこと。)
②ゆゑん ③いずれぞや ⑦おもへらく
(⑦は「もつて~なす」とも訓む。)
問2 ④匹夫 ⑤婦人 ⑥百姓
(「匹夫」とは、教養のない男の意。「匹夫之勇」は、思慮分別がなく、単に血気にはやる勇気のこと。「百姓」は、漢文(中華)では人民の意。)
問3(1)左右の手を失ふがごとし
(2)頼りとする優秀な側近を失い、途方にくれること。
問4 B必ず天下を爭はんと欲せば,信に非ずんば與に事を計る所の者無し
C安んぞ能く鬱鬱として久しく此に居らんや
D用ふる能はずんば
E忍んで予ふる能はず
F義兵を以て東に歸るを思ふの士を從ふれば,何の散ぜざる所あらん
G當に關中に王たるべく
問5 1 人々を恐れさせる強い性格だが、仕事を部下に任せきれない点。
2 とてもやさしくふるまうが、実は、いざ功績を挙げた者に封爵を与えることになるとしぶってしまうけちな点。
3 義帝との約束を破りお気に入りの将を王にするなど、平気で道義を無視し不公平にふるまう点。
4 敗者には徹底して残酷である点。
5 秦の人民から憎まれている三人の将を、それぞれ王にするなど、民意を全く理解しないで振舞う点。
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