帰京(土佐日記)~無責任な隣人😖 & 亡き娘😭

                  

 帰京 

「土佐日記」

 無責任な隣人😖 & 亡き娘😭 


【動画】帰京(『土佐日記』) 

↓ 岡山芳泉 ↓

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2015/08/13 岡山県立岡山芳泉高等学校の美術部と放送文化部の共同制作。すばらしいできあがりですね。)


  帰京(土佐日記)~現代語で

帰京(土佐日記)」の原文+現代語訳はこちらへ。

 京の町なかに入れてうれしいです。我が家の門に入ると、月が明るくて、家のようすがよく見えました。うわさに聞いていたのよりも、家はくずれいたんでいて、ちょっと話にならないほどでした。そもそも、この我が家のせわをたのんでおいた人の心が、すさんでいたのがわかりました。
「この家は、両屋敷のへだての垣根はあるけれど、一つ屋敷みたいなものだからといって、おとなりが望んでせわを申し出たのでしたのに。」
「だから、おとなりにはついでのあるたびに贈り物をして、お礼をしていたのに。」
「今夜、家に帰ってみると、こんなにひどいことになっているなんて、ひどい。」
などと、使用人たちには言わせないようにする。でも、おとなりにはお礼はしようと思います。

 さて、庭には池のようにくぼんで、水がたまっている場所がありました。以前、そのまわりには松の木もありました。でも、今夜見ると、その松の木の半分はなくなってしまっていました。新しく生えた松が混じっていました。庭は荒れていて、使用人たちは
「ほんとうにひどいよ。」
と言っていました。

 この家で生まれた娘が、一緒に帰ってこれなかったのがやはりとても悲しい。一緒に帰京した使用人たちの子供たちが騒いでいます。こんな中で、私はこころが通じている人と歌をよみました。

 生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ

と歌いました。それでも、言い足りない気持ちがあります。もう一首よみました。

 見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや

と。

 忘れがたい思い出がたくさんありますが、書きつくすことはできません。何はともあれ、この書き物は早くやぶってしまおうと思います。

帰京(土佐日記)」の原文+現代語訳はこちらへ。


  『土佐日記』とは

 今から1100年ほど前(平安時代)に、我が国で初めて書かれたとされている日記文学です。

 作者紀貫之(きのつらゆき)が、書き手が女性であるかのように装(よそお)って、ほとんどをかなで書き記しています。内容は、土佐(とさ 現在の高知県)の国司(中央から派遣され,任じられた国の行政・財政・司法・軍事全般を行いました)として赴任(ふにん)し、その任期が終えて京へ帰る一行(いっこう)の55日の出来事を日記風につづった作品です。

 57首の和歌を含む内容はさまざまですが、中心となるのは土佐国(とさのくに)で亡くなった愛娘(まなむすめ)を思う心情、そして行程(こうてい)の遅れによる帰京をはやる思いです。諧謔表現(かいぎゃくひょうげん。ジョーク、駄洒落などといったユーモアという意味)を多く用いていることも特筆されます。


  50日を越える船旅へ

 日次(ひつぎ)に書かれたのではなく、旅の途上で漢文やかなで書かれたメモをもとに、帰京後、入念に書かれたと考えられています。

  土佐(とさ。現在の高知県)から京都へ、現在ではマイカーなどで数時間(こちらを)。楽しく快適にドライブできます。しかし、1100年ほど前の旅は、現在とは異質なものでした。


  

 「土佐日記」が書かれた時代、急峻(きゅうしゅん)な四国山地のため陸路で瀬戸内海側に出るのは困難。子供から年寄りまでの集団と多量の引越しの荷物、船旅をすることになります。でも、当時の船は、脆弱(ぜいじゃく)な造りで、大波に飲み込まれてしまったり、座礁し大破してしまう危険性にさらされていました。多くの泊(とま)りで天候をはかりながらの船旅でした。

 さらに、瀬戸内海を根城(ねじろ)にした海賊に襲撃されるおそれもあります。しかも、貫之はそんな海賊を取り締まる側の国守をつとめていたので、報復をくわだてているといううわさを耳にしていたともいいます。

  そんなわけで、ひとつ判断をまちがえればもろとも命さえ失ってしまうような旅であったわけです。55日間にわたる船旅でした。誇張して言っているのかもしれませんが、この船旅のために黒い髪だったのに白髪(しらが)になってしまったと書かれています。

 当時は、旅中に身なりを整えたり体を清潔に保ったりするのに制限があり、見た目が見苦しくなっているのが常。だから旅から戻って町中(まちなか)に入るのは、人目につかないように夜にしていたそうです。1100年前の人たちの気遣いと配慮!


  都の我が家に帰り着く

帰京(土佐日記)」の原文+現代語訳はこちらへ。

 無事、都に帰り着いた安堵(あんど)は一入(ひとしお)なものであったでしょう。「土佐日記」を旅程にそって読み進めてくると、「京に入り立ちてうれし」には、万感の思いが込められていることがわかります。

  高鳴る気持ちをおさえながら、門を開けて自邸を目にします。

月が明るいので、とてもよく様子が見える。うわさに聞いていたよりもまさって、話にならないほど壊れ傷んでいる。家だけでなく、預けておいた留守番の人の心も、すさんでいるのであったよ。

 深い失望と怒りがこみあげてきます。

 信頼していたのに、それを裏切られたことを「家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり」と言っているのでしょう。

  しかし、この後、貫之事を荒立てることをよしとしない、穏(おだ)やかで賢明な人柄(ひとがら)がしのばれます。


隔ての垣根はあるけれども、一つ屋敷みたいなものだから、頼みもしないのに先方が望んでこの家を預かったのだ。」「そうは言っても、ついでのあるたびに、贈り物も絶えずやってあるのだ。」「今夜帰って来てみると、こんなありさま何の手あてもせず、とんでもなく荒れ果てているさまだ。」と人々は口々に言うが、大声で言わせるようなことはさせない。なんとも薄情だとは思われるけれども、お礼はしようと思う。

 隣人も作者貫之も、現代の私たちの周りにもいそうな人たちですね。

 😖😖😖😖😖


   庭にあったはずの松が !

  後半は、庭木の松をめぐって書かれます。

さて、池みたいにくぼんで、水のたまっている所がある。そのまわりに松もあった。だのに今夜見ると五年か六年の間に、千年も過ぎてしまったのだろうか、松の半分はなくなってしまっていたよ。そこに新しく生えたのが混じっている。

  池も、以前の面影(おもかげ)が偲(しの)ばれないほど荒廃していることへの落胆が皮肉を込めて書かれています

  自然と、土佐に赴任(ふにん)する前のことが数々と思い起こされる。なかでも、ここで生まれながら土佐で亡くなった娘のことが思われ、ともに舟で帰った人々の子供たちが大騒ぎをしているのを見ると、いっそう悲しさがつのってくる。

 生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ 

 (庭に生えている小松を目にすると、つい亡き女児のことが思い出され、悲しみがこみあげてくる。)

 見し人の松の千年(ちとせ)に見ましかば遠く悲しき別れせましや 

 (あの子が松のように元気で丈夫な子であったら、あの遠い地で悲しい別れをしないでよかったのに…なぁ…。)


  哀切さが、1100年後の現代の私たちの心にも響いてきます

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 😭😭😭😭😭

 日本語は、本来文字を持たない言語でした。日本語を表記するのに漢字の音を利用したり、そしてさらに、平安前期には漢字を応用してかなを発明し、さらに、漢字かな交じりで日本語の文字表現ができるようになりました(「竹取物語~かぐや姫のおいたち」)。それからおそらく2 0・30年後に、この「土佐日記」が書かれたようです。文字表現は、コミュニケーションとしての口頭(会話)言語とは次元が異なるものです。

 かなで文字表現ができるようになった初期に、これほど高度で緻密で完成度の高い作品が書かれていることに驚かされます。


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