男もすなる日記といふものを(土佐日記)~歴史上はじめて書かれたかな日記作品

 男もすなる日記といふものを 

『土佐日記』

 ~歴史上はじめて書かれたかな日記作品  

朗読

紀貫之『土佐日記』「門出」

1:20 から原文と現代語訳が同時に表示されています※

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  💕男の人が書くという日記を私も書いてみました💕

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 男の人が書くという日記を、女の私も、漢字ではなくかなになりますが書いてみました。

 ある年の、十二月の二十一日の午後八時ごろ、門出をしました。その様子を簡略に書いてみます。

 ある人が、
国司長官の四、五年の任期が終わり、交替の事務引き継ぎも完了し、解由状(げゆじょう=こちら)を受け取って、住んでいた官舎を出て、船に乗って新しい場所へ移ることになりました。よく知っている人もそうでない人も、みんなが見送りをしてくれました。数年、親しく付き合ってきた人々は、別れがつらく、一日中何やかやと大騒ぎするうちに夜がふけました。

 二十二日には、和泉の国(現在の大阪府南西部)まではせめて無事に到着するよう、神仏に祈願しました。藤原のときざねという人は、船路の旅であるのにもかかわらず、「うまのはなむけ(=送別の宴)」を開いてくれました。そこでは、身分の上から下までの人々がさんざん酔っぱらって、辛い浜辺で、「あざり(=ふざけ)」合っていました(「あざる」には魚肉が腐る意味もあるのですが、がきいているのに「あざる(=腐る)」とは、変なことですよね)。

 二十三日には、八木のやすのりという人が現れました。この人、国司の役所でめし使っているわけではないのに、いかめしく立派なようすで餞別をしてくれました。離任する国司の人柄が良かったのでしょうか。田舎の人々は、離任する国司などには用もないと言って顔を出さないそうですが、真心のある人は、人目を気にしないでやってきます。これは、餞別の贈り物をもらったからほめているわけではありません。

 二十四日には国分寺の住職が餞別を持っていらっしゃいました。身分の高い者も低い者も、子供たちまでが酔っぱらって、「」という文字さえ知らない人々が、文字に千鳥足になって踊り狂っていました。


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  『土佐日記』への道

 かなで書かれた最初の日記文学平安時代前期に成立。作者は紀貫之(きのつらゆき)
 紀貫之土佐国(とさのくに、こちらへ)国司(こくし、こちらへ)として赴任していました。その任期を終えて土佐から京へ帰る貫之ら一行の55日間の旅路と思われる話を、書き手が女性であるかのようによそおって、書かれていますかなで書かれた初めての日記文学です。その後のかなによる表現、特に女流文学の発達に先鞭をつけたとされています(「平安女流、世界の文学史上輝く綺羅星たち」はこちらへ)。


 57首の和歌を含む内容は様々ですが、中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘(まなむすめ)を思う心情、そして行程の遅れによる帰京をはやる思いです。
 諧謔表現(ジョーク、駄洒落などといったユーモア)を多く用いていることも特筆されます。

 日次(ひつぎ)に書かれたわけではなく、旅の途上で漢文か、かなで書かれたメモをもとに、帰京後、入念に書かれたと考えられています。



  「うまのはなむけ」~1100年前の船旅

 土佐日記」は、ただ旅程での出来事を記録しているのではなく、例えば、次の諧謔(かいぎゃく。ジョーク、駄洒落などといったユーモア)表現のように、高度な表現として書かれている箇所も多い。

・「船路なれど、むま(馬)のはなむけす」
・「海のほとりにて、あざれ合へり」 (「あざる」は、現代語でいうと「戯れる」と「腐れる」の両意があり、「(塩)」をしているのに「腐る」としゃれている。)
・「一文字をだに知らぬ者、しが(ソノ)足は十文字に踏みてぞ遊ぶ」

 今から1100年も前の日本人、現代人に勝るとも劣らない
ジョーク、駄洒落などといったユーモアの精神を持っていたのですね。


  人間観察

 「八木のやすのり」という人について、任期の終わった国司などにはもう用はないと冷淡なのが普通なのに、丁重に餞別(せんべつ)を持ってきたことが書かれています。実直で誠心の持ち主として、1000年以上も人々に知られることとなっているのがおもしろいですね。
 このような人の心理の深い考察に基づいた高度な表現も注目されます。

 しかも、ここで、門出直前の21日から24日までの出来事が、簡潔であるが、リアルにイメージできるように書かれています。歌の巨匠紀貫之秀逸な散文も書き表したことになります。


 かなで文字表現ができるようになった初期に、これほど高度で緻密で完成度の高い作品が書かれていることに驚かされます。


  紀貫之とは

 905年、醍醐天皇の命によって初めての勅撰和歌集『古今和歌集』を紀友則・壬生忠岑(みぶのただみね)・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)と共に撰上。また、仮名による序文である仮名序こちらを)を執筆。日本文学史上において、歌人として最大の敬意を払われてきた人物です。



紀貫之「土佐日記」(ラジオドラマ)

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超訳マンガ百人一首物語第三十五首(紀貫之)

上のアニメの貫之の歌

 《長谷寺に参詣するたびに宿にしていた家に、長い間泊まらないでいて、久しぶりに立ち寄ったところ、その家の主人が「このように確かに家はありますよ」と言い出したので、そこに立っていた梅の花を折り取って詠みかけた歌

 人はいさ心は知らず古里は花ぞ昔の香ににほひける(あなのお気持ちが以前とお変わりがないかどうか、さあよくわかりませんが、なじみ深いこの土地では、梅の花だけは昔と変わらない香で美しく咲いています)》

 ここでは、紀貫之(きのつらゆき)が以前よく訪ねていた人のもとを訪問したところ、その家の主人が「私のことはもうお忘れになったのですね。この家は昔と変わらずここにありますのに、お訪ねになりませんでしたが。」と皮肉をよそおって言いかけたので、貫之(つらゆき)は、「人の心は、どう変わってしまうものだかわからないものだが、昔なじみの場所で、梅の花は昔と同じ香りをさせて花開いていることよ=いやいや、心変わりをしたのはそちらではないですか。」と、さらりと歌って返した。心変わりした相手への恨みを述べようとしているわけではなく、お久しぶりですねという挨拶(あいさつ)をひとひねりした言い方でしているのです。このように、平安貴族はちょっとした挨拶(あいさつ)でも、和歌を詠むことで行うのが教養ある文化人の証(あかし)でした。

 



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