木曽の最期(平家物語)~日本人がそうふるまうのは なぜ ?

                 巴御前(ともえごぜん)の雄姿
                
funnypig run作 木曽の最後:映画にしてみた 
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義仲・兼平・巴(ともえ)

 木曾の義仲(よしなか)とは、木曾(長野県南西部)の山中で成人した源義仲のこと。1180年、以仁王(モチヒトオウ)の平家打倒の令旨(リョウジ)を奉じて挙兵しました。平家の大軍を撃破して、1183年には京都に入りました。「連年の飢饉と荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。」(ウィキペディアより引用)。「朝日将軍」と称えられていた。


 今井兼平(いまいのかねひら)とは、その父は木曾(源)義仲 の養父で,兼平義仲とは乳兄弟(ちきょうだい)。1180 年9月,義仲の挙兵時から側近として活躍,木曾四天王の一人に数えられた。義仲に従って入京,1184 年1月,範頼(のりより),義経(よしつね)の軍が京都に迫ると,義仲の命で瀬田(せた)を守ったが敗れ,帰京の途中,粟津(あわず)で義仲に自害をすすめたのち,戦死。


 巴御前(ともえごぜん)とは、武勇をもって知られる平安時代末期の女性。源義仲の妾(めかけ)。中原兼遠(なかはらのかねとう)の娘。義仲に従って各地に転戦し功を立てた。1184 年源頼朝の命を受けた源範頼義経軍に宇治,勢多(せた)で敗れ,近江粟津(おうみあわず)に逃れた義仲に説得されて逃げ延び,のち尼となり,越後に移り住んだと伝えられる。
 美しい女性であり、かつ、武勇にも卓越し戦(いくさ)に帯同するキャラクター、国文学の物語にもまれな登場人物、興味惹かれます。


『平家物語』はどう享受されていた?

 鎌倉時代、動画どころか画像などもちろんなく、文字を読み書きできる庶民はほぼいない、また、高価な紙に書写された書物を読めるのはごくごく例外的な人であった時代。

 琵琶法師が琵琶を奏でながら語ることば(平曲)を聴きながら、ことば一つ一つに集中し、想像力をはたらかせ、風景や人物や出来事をありありと思い浮かべ、自分もその場面に生きているかのように聴き入っていた、名もなき人々。そんな人々にできるだけ近づいて、その人々自身を体験するように読むと、「平家物語」をより深く味わうことができるのではないでしょうか。




☆木曽の最期(平家物語)の現代語訳はこちらへ。

木曾の最期
 もはやこれまでと悟った兼平(かねひら)は、弱音をはく義仲(よしなか)を励まし、乳兄弟(ちきょうだい)の主君に対して深い思いやりと礼節を尽くして、厳しくしかも冷静な態度で、自害をして立派な最期を遂げるよう説得します。

 義仲と兼平、武士と君臣の典型としてまた理想として語られ、平曲を聴いた聴衆もそう受け取って感銘を受けていたのでしょう。武人と君臣のあるべき在り方として影響を与えていったといえます。
 のちに武士道の源(みなもと)となるものでもあり、さらに、潔(いさぎよ)さを尊び世間(せけん)に恥じることはできないなど、日本人全体の行動規範の源ともなっていると思います。

☆木曽の最期(平家物語)の現代語訳はこちらへ。



😉能登殿の最期(平家物語)~剛勇無双の平教経・敏捷に身をかわす源義経は海戦です。見てね。こちらです。😉



項羽の最期 
 同じようなシチュエーションに〈項羽(こうう)の最期〉があります。項羽劉邦(りゅうほう 沛公の抗争については、高校漢文で必ずと言っていいほど原文でふれられます。また、歴史好きは、各種の小説や歴史書で詳しく知っています。しかし、項羽の最期の次の個所はなぜだかカットされているものが多いようです。項羽が「自刎而死(自分で首を刎ねて自決)」したあとです。高校上級漢文、漢字が得意な人は訓読できるでしょう。


王翳取其頭,餘騎相蹂踐爭項王,相殺者數十人。最其後,郎中騎楊喜,騎司馬呂馬童,郎中呂勝、楊武各得其一體。五人共會其體,皆是。故分其地為五:封呂馬童為中水侯,封王翳為杜衍侯,封楊喜為赤泉侯,封楊武為吳防侯,封呂勝為涅陽侯。

口語訳すると、

 王翳(おうえい)がその首を取ると、その他の騎兵が揉み合いになりながら項籍項羽)の死体に群がり、(味方)数十人が互いに殺し合った。最終的に、郎中騎の楊喜ようき)、騎司馬の呂馬童、郎中の呂勝りょしょう)楊武ようぶ)がそれぞれ一体を手に入れ五人がともにその体を合わせてみればすべて是(まさしく項羽の死体)であった。故にその地を五つに分割して呂馬童中水(ちゅうすい)侯、王翳杜衍(とえん)侯、楊喜は赤泉(せきせん)侯、楊武呉防(ごぼう)侯、呂勝涅陽(でつよう)侯に封じられた(領地を与えられその地の支配者となった)。


ということになります。


 自害した項羽の遺体を、なんと、劉邦方の兵は仲間同士で殺し合いをして奪い合い、結局、五分割したが、五分割された遺体は合わせてみると項羽のものに間違いはなかった。それを持ち帰り、それを手柄(?)とされて領地を与えられ大名(領主)になったのだと書かれています。漢王朝の正式の歴史書「史記」に記録されているのです。これはどういう思考回路や行動原理の源泉になるのでしょうか?

 動乱が常であり(現代でも年間20~30万件の暴動が発生しているそうです。こちらへ。)、かつ、敵の手に落ちたら、数万数十万人が住む城郭都市の中では、虐殺、略奪、レイプ、拉致(農耕奴隷や歩兵にするため)などが常であった東アジア大陸の常識と、穏やかな気候と食糧事情に比較的恵まれていた島国のそれとは異質だなと思わされます。


☆「木曾の最期」、もっと詳しくはこちらへ(琵琶の演奏も聴けます)。






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