幸田文
「えぞ松の更新」
~死にゆく先に
幸田文(こうだあや)
「えぞ松の更新」
随筆集『木』(1992年刊)に収められています。
倒木更新への興味
幸田さんは、ここではえぞ松の倒木更新(とうぼくこうしん)に興味を持ち、北海道の自然林に出むき、目にしたもの・感じたこと・考えたことを文章にしています。 「倒木更新(とうぼくこうしん)」とは、寿命や天災、伐採などによって倒れた古木(こぼく)を礎(いしずえ)にして、新たな世代の木が育つことです。主に、エゾマツやトドマツ、スギなどの針葉樹林(しんようじゅりん)に多くみられるそうです(詳しくはこちらから)。
幸田さんが、えぞ松の更新(こうしん)に興味を持つようになった背景を次のように書いています。
北海道にある東大(とうだい)演習林での見学の便宜(べんぎ)を得ることになります。
えぞ松の更新の見学
一日目は標本室、二日目は演習林の全体を案内してもらった。
三日目に、えぞ松の更新の見学となります。
ほうとばかりため息をついて、その更新に見入った。それはバカでもわかる、まさに縦一文字に生え連なった太い幹たちであった。えぞという大きな地名を冠にかち得ているこの松は、ほんとうに真一文字の作法で、粛然と並びたっていた。威圧はおぼえないが、みだりがましさを拒絶している格があった。清澄にして平安、といったそんな風格である。むざとは近よらせぬものがある。同じほどの太さ高さのが七本ほど、そのあいだにちょうどいい間をおいて、それより細く低いのが混成して、自然の連れ立ちはいい感じの構成である。
案内されて行ってみたが、えぞ松の更新だと分からない。案内する人に「ここらへ来て」と言われて初めてそれと分かりました。
縦一文字(たていちもんじ)にならんだえぞ松を、「自然の連れ立ちはいい感じの構成」ととらえています。でも、「倒木のうえに生きた、という現物の証拠」がなく、「いささかもの足りなかった」としています。
すると、案内する人が幸田さんの望む倒木更新を見つけてくれた。
倒木の上に何本もの若木が育っているのを目にすることができた。それは、倒木の養分を貪(むさぼ)り吸収して生きていて、それなのに、若木(わかぎ)は倒木に何の感情も持っていない(「 あはれもなにももたない」)ことに、生き死にのめぐりゆき(「 輪廻の形」)や、自然の生命力のむごさ(「 無惨」)を実感している箇所(かしょ)です。
幸田さんは、その倒木をゆすってみたり、手を置いてみたり、苔と樹皮(じゅひ)を押し分けてみる。そして、その腐食した内側をこじってみる。
ここでは、「倒木」を「亡骸(ぼうがい)」とも「亡躯(ぼうく)」とも「屍衣(しい)」とも表現しているように、明らかに人の「死の変相」、すなわち、〈死後の硬直〉→〈腐敗〉→〈白骨化〉→〈分解・消滅〉に重ねて見られています。
手を置いてみたり、苔(こけ)をおしのけてみたり、こじったりして細部まで客観的に観察して文章化されています。生々しく、少し息を少し詰(つ)めてしまいそうな気持ちにさせる表現ではないでしょうか。この段落だけではなく、この文章全体が木々を人間の生き死にと重ねて、観察し語られているのです。
倒木のほうは、腐朽(ふきゅう)が進んでしまっているが、それでもなお横には裂けにくい本性を失っていないことに、限りなくいとしいものだと思ったとしています。死後もなお消え去りがたいもの…読む者にさまざまなことを想像させる暗示(あんじ)的な言い方ではないでしょうか。
根株の上の更新
老木が強風などのため倒れ、その根株(ねかぶ)の上にも新しいえぞが太くたくましく育っている。それは、「この古株を大切にし、いとおしんで、我が腹のもとに守っている」ように見える。
死にゆく先に
幸田さんは、その古株(こかぶ)に手を差し入れてみる。その内部は意外にぬくみがあり、乾いていることに気づく。そして思う、生きているえぞ松は自分が犠牲にしてきた倒木を、今は「我が腹のもとに守っている」こと、それゆえ「倒木」は乾いてぬくみを保ちえていると思う。 「この古い木、これはただ死んだんじゃないんだ。この新しい木、これもただ生きているんじゃないんだ」と実感されています。
生死の継ぎ目、輪廻の無惨を見たって、なにもそうこだわることはない。あれもほんのいっ時のこと、そのあとこのぬくみがもたらされるのなら、ああそこをうっかり見落とさなくて、なんとしあわせだったことか。このぬくみは自分の先行き一生のぬくみとして信じよう、ときめる気になったら、感傷的にされて目がぬれた。木というものは、こんなふうに情感をもって生きているものなのだ。今度はよほど気を配らないと、木の秘めた情感を探れないぞ、とも思った。
木というものは新旧・生死が「情感」を通わせて生きているものだなあということが分かったとされています。
死とはただ消滅するのではなく、親から子孫へ、死にゆく者から生きていく者へ、暖かい「情感」を受け継ぎながら連続してゆくものだと悟り、救われる思いがしたということになるのでしょうか。暖かい「情感」とは、敬愛、感謝、いとおしみ、なつかしさ、悔恨、折に触れ思い浮かぶ出来事など、一言では尽きない「情感」なのでしょう。
一途に生きるえぞ松に感動し深い満足を覚える…というふうに結んでいます。
この文章が書かれたのは、幸田さんが66歳の時。人生の終末期(現在では10~15歳位プラスしなければならないのでしょうか)、遠くない将来に迎える死という意識が根底にあって、えぞ松を見て、感じ、思索して文章化しているのです。生きるとは、そして、死ぬとはどういうことなのかという自問自答が通奏低音のように流れていると思います。そしてその難問への解答が得られているのです。優れた才能が齢(よわい)を重ね晩年になって書くことができた文章といえるのではないでしょうか。
こころに響き続けることば
さらにこの文章、最近よく強調されるディベート力とか、IT事業で成功したりしてもてはやされている人の論破力(こちらを)などとは次元が異なる、繊細で高度、かつ、深い感覚・観察力・洞察力・思索力に基づいて書かれいるのに感嘆してしまいます。こころの深いところで響き続けます。現在の私たちが忘れかけている「ことばの力」というものではないでしょうか。
感受性にとむ若い人たちに触れてほしい、日本語で書かれたほんものの文章だとも思いました。
父親と平安女流
そしてまた、この文章、父幸田露伴(こちらを)のDNAだけではなく、1000年以上前から続く清少納言や紫式部などの女流文学者(こちらを)のDNAが脈々と受け継がれているのだなあと思わずにはいられません。
こんな文化や伝統を持っているのは世界でも他に例がないということ(こちらへ)、私たちはもう少し意識してもいいのかなと思います。このDNA、幸田さんふうに言うと、「祖先から受け継ぎ連続して」私たちの中にもさまざまな形で存在し、物事を感じたり考えたりする時、直接・間接に影響を与えているものですから。
幸田さんは、平成2(1990)年に逝去されました。享年86歳でした。
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