頭の辨の、職にまゐり給ひて
(枕草子129段)
~恋愛ゲームめいたコミュニケーション
が意味すること !
行成様は、「明日は宮中の(★2)物忌で、籠(こ)もる予定ですので、丑の刻(うしのこく 午前1~3時)になったらまずいでしょうから。」
とおっしゃって参内(さんだい・皇居にあがること)なさった。
★1 しきのみぞうし。中宮職の庁舎、妃の仮御所として利用されることもあった。
★2 ものいみ。平安時代には陰陽道(おんみょうどう・こちらを)による物忌が多く行われ、貴族などは物忌中はだいじな用務があっても外出を控えた。物忌中の人は家門を閉ざして、訪問客があっても会わないようにしました(こちらを)。
藤原行成(ゆきなり・こうぜい)は、原文では人名ではなく「頭の辨(こちらを)」とその人の職名で書かれています。平安中期の三蹟(さんせき=平安中期の三人の書の名人。他に小野道風・藤原佐理。)とされる能筆家であり、一条天皇治世下の四大納言(こちらを)とされた一人。
ある夜、行成が職の御曹子(しきのみぞうし こちらを)で雑談していたが、宮中で物忌(こちらを)があるのでと言って中座しました。
翌朝の歌のやり取り (現代語で)
(2) 翌朝、蔵人(くろうど こちらを)の詰所用の用紙を折り重ねて、
「今日もの足りない気がします。夜を徹して、昔話などして明かそうと思っていたのに、丑(うし)ならぬ、鶏の声にせき立てられまして。」
と、たいそう言葉を尽くしてお書きになってよこされた手紙は、とてもみごとな筆跡だ。私はお返事に、
「ずいぶん夜更けに鳴いたという鳥の声は、孟嘗君の(食客が鳴きまねをしたという、にせの鶏の)ことでしょうか。」
と書いて申し上げたところ、折り返し行成様から、
「孟嘗君の鶏は、その鳴き声で函谷関を開くことができ、三千人の食客がかろうじて逃げ去った、と書物に書いているが、これはそれと違ってあなたと私の逢坂の関ですよ。」
とお返事があったので、私が、
「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ
(まだ夜が明けないうちに、鶏の鳴きまねでだまそうとしても、函谷関の関守はともかく、あなたと私が逢うという逢坂の関は(通すことを)決して許さないでしょう。)
函谷関の関守のような間抜けではなく、気の利いた関守がおりますのよ。」
と申しあげる。するとまた、折り返し、行成様から
逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか
(今の逢坂の関は、人の越えやすい関所ですから、夜明けを告げる鳥が鳴かない時も門を開けて来る人を待っているとかいうことですが…)
と書いてあった手紙なんかを、最初の手紙は僧都の君(=隆円僧都)が、たいそう額(ひたい)をつき懇願までして、持っていらっしゃいました。後の手紙は、中宮様に差しあげた。
ところで、私は逢坂の歌には閉口して、返歌も詠めずじまいだった。まったく困ったもの。
翌朝、行成から中座したおわびの挨拶(あいさつ)の手紙がありました。退出する際の「丑(うし)の刻」という言葉にかけて、「丑」ならぬ「鶏」の声に急き立てられてとしゃれた言い方をして、「夜通し話などして語り明かしたかったのに、心残りです」と書いていました。それに対して、清少納言は「嘘をおっしゃいますな。中国の函谷関(かんこくかん)の故事と同類の、鶏のそら鳴きだったのでしょう」と答えます。
「函谷関の故事」というのは、中国の史記にある孟嘗君(もうしょうくん)の「鶏鳴狗盗・(こちらを)」の話です。秦国に入って捕まった孟嘗君が逃げる時、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせて、逃げるのに成功したという故事です。
清少納言は、「夜を通して話をしたかったなんて、心にもないごあいそうの言葉でしょう」と言いたいわけです。それに対して行成は「関(所)は関(所)でも、あなたに逢いたい逢坂の関(所)ですよ」と、恋歌に擬した言い方で弁解をします。男女のきわどいやりとりめいた言葉のやり取りをしているわけです。
そこで詠まれたのがこの歌(夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ)です。「鶏の鳴き真似でごまかそうとも、この逢坂の関は絶対開きませんよ(=私の恋の関所は守りが固いので、お会いできません)」という意味です。
行成はそれに対して、「あなたの逢坂の関は守りが弱いと聞いています=尻軽で誰とでも会うのでは ? 」という下品なものでした。清少納言は、さすがに閉口して返歌も詠めませんでした。
「最初の手紙は僧都の君(=隆円僧都 こちら)が、たいそう額(ひたい)をつき懇願までして、持っていらっしゃいました。」とあるのは、行成は書の名人で誰もが行成の書いた書を欲しがっていたのです。書への鑑識眼のある清少納言宛には特に気を入れて書いたでしょうから、僧都の君が額をついて懇願するほど欲しがったのが分かります。中宮も手に入ったのでとても喜んだことでしょう。行成の書は、観賞用コレクションとしても書道のお手本としてとても垂涎(すいぜん=こちらを)ものだったのです。
届いた手紙を他人に見る ? 見せない ? (現代語で)
(3) 行成様が、「あなたのお手紙は、殿上人(てんじょうびと=帝に接見できるような上級貴族)がみんな見てしまったよ。」とおっしゃるので、私は、
「あなたが私を本当に思ってくださっていたのだなぁと、その一言でわかりました。よくできた歌は、口から口へ伝わらないのは、つまらないものですから。反対に、みっともない歌は、人目に付くことがつらいことですから、あなたからのお手紙は、厳重に隠して人には少しも見せておりませんの。あなたと私の友情のほどを比べますと、見せる見せないは違っても、同じことになりますわね。」と言うと、
行成様は、「あなたがそこまで物事を分かって言うのが、なんといってもやはり他の人とは違って感心させられます。『よくも考えないで、私からの手紙を他人(ひと)に見せてしまって ! 』などと、並の女のように言うかもしれないと心配していたのですよ。」
などと言ってお笑いになる。
私は、「まさかとんでもない。お礼を申し上げたいくらいですわ。」
などと言う。
行成様は、「私からの手紙をお隠しになったことは、これもまた、やはりしみじみとうれしいことですよ。人目についていたら、どんなに不快で嫌なことでしょう。これからも、その分別(ふんべつ)を頼りにしましょう。」
などとおっしゃった。
行成は清少納言からの手紙を殿上人(てんじょうびと=上級の貴族 こちらを)に見せたよと言うと、清少納言はよくできたなと思う歌は人に伝わり知ってほしいのでうれしい、それとは逆に、行成からの手紙は二人の関係がゴシップの種となる恐れがあるので、人には絶対に見せないと言う。
行成は清少納言からの手紙を人に見せたことを非難がましく言わなかったことに感心しているよと言って笑った。また、行成が送った手紙を清少納言が人に見せないことを、自分が女たらしの軽薄な人間だと誤解されないですんだと言って、清少納言を誉めているわけです。
「行成様が、あなたのことをたいそう誉めていらっしゃるとは知っていますか。先日の手紙にあった『夜をこめて』の歌などについてお話しなさった。自分の恋人が他の人から誉められるのは、とてもうれしいものですよ。」
などと、きまじめな顔でおっしゃるのもおもしろい。
私が、「うれしいことが二つ重なりましてよ。あの行成様が誉めてくださったそうなうえに、あなたの恋人の中に私が加えられていましたってことが。」
と言うと、経房の中将経房が、
「あなたが私の恋人であると言ったことを目新しいことのようにお喜びなさるのですね。」
「頭の辨の、職にまゐり給ひて」から考える
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