頭の辨の、職にまゐり給ひて(枕草子136段)~恋愛ゲームめいたコミュニケーションが意味すること !

 頭の辨の、職にまゐり給ひて 

(枕草子129段)

  ~恋愛ゲームめいたコミュニケーション

が意味すること !   


超訳マンガ百人一首物語
第六十二首(清少納言)

『枕草子』についての解説記事こちらを。

「頭の辨の、職にまゐり給ひて(枕草子136段)」の原文+現代語訳はこちらへ。

  藤原行成、夜の談話を宮中の物忌のため中座する(現代語で) 
(1)  藤原行成(ゆきなり)様が、(★1)職の御曹子に参上なさって、話などしていらっしゃったが、夜が更けてしまった。

行成様は、「明日は宮中の(★2)物忌で、籠(こ)もる予定ですので、丑の刻(うしのこく 午前1~3時)になったらまずいでしょうから。」

とおっしゃって参内(さんだい・皇居にあがること)なさった。

 ★1 しきのみぞうし。中宮職の庁舎、妃の仮御所として利用されることもあった。

 ★2 ものいみ。平安時代には陰陽道(おんみょうどう・こちらを)による物忌が多く行われ、貴族などは物忌中はだいじな用務があっても外出を控えた。物忌中の人は家門を閉ざして、訪問客があっても会わないようにしました(こちらを)。 


 藤原行成(ゆきなり・こうぜい)は、原文では人名ではなく「頭の辨(こちらを)」とその人の職名で書かれています。平安中期の三蹟(さんせき=平安中期の三人の書の名人。他に小野道風藤原佐理。)とされる能筆家であり、一条天皇治世下の四大納言(こちらを)とされた一人。

 ある夜、行成が職の御曹子(しきのみぞうし こちらを)で雑談していたが、宮中で物忌(こちらを)があるのでと言って中座しました。


翌朝の歌のやり取り (現代語で)

(2)  翌朝、蔵人(くろうど こちらを)の詰所用の用紙を折り重ねて、

「今日もの足りない気がします。夜を徹して、昔話などして明かそうと思っていたのに、丑(うし)ならぬ、鶏の声にせき立てられまして。」

と、たいそう言葉を尽くしてお書きになってよこされた手紙は、とてもみごとな筆跡だ。私はお返事に、

「ずいぶん夜更けに鳴いたという鳥の声は、孟嘗君の(食客が鳴きまねをしたという、にせの鶏の)ことでしょうか。」

と書いて申し上げたところ、折り返し行成様から、

 「孟嘗君の鶏は、その鳴き声で函谷関を開くことができ、三千人の食客がかろうじて逃げ去った、と書物に書いているが、これはそれと違ってあなたと私の逢坂の関ですよ。」

とお返事があったので、私が、

「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ

(まだ夜が明けないうちに、鶏の鳴きまねでだまそうとしても、函谷関の関守はともかく、あなたと私が逢うという逢坂の関は(通すことを)決して許さないでしょう。)

 函谷関の関守のような間抜けではなく、気の利いた関守がおりますのよ。」

と申しあげる。するとまた、折り返し、行成様から

逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか

(今の逢坂の関は、人の越えやすい関所ですから、夜明けを告げる鳥が鳴かない時も門を開けて来る人を待っているとかいうことですが…)

と書いてあった手紙なんかを、最初の手紙は僧都の君(=隆円僧都)が、たいそう額(ひたい)をつき懇願までして、持っていらっしゃいました。後の手紙は、中宮様に差しあげた。

ところで、私は逢坂の歌には閉口して、返歌も詠めずじまいだった。まったく困ったもの。


 翌朝、行成から中座したおわびの挨拶(あいさつ)の手紙がありました。退出する際の「丑(うし)の刻」という言葉にかけて、「丑」ならぬ「鶏」の声に急き立てられてとしゃれた言い方をして、「夜通し話などして語り明かしたかったのに、心残りです」と書いていました。それに対して、清少納言は「嘘をおっしゃいますな。中国の函谷関(かんこくかん)の故事と同類の、鶏のそら鳴きだったのでしょう」と答えます。

 「函谷関の故事」というのは、中国の史記にある孟嘗君(もうしょうくん)の「鶏鳴狗盗・(こちらを)」の話です。秦国に入って捕まった孟嘗君が逃げる時、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせて、逃げるのに成功したという故事です。

 清少納言は、「夜を通して話をしたかったなんて、心にもないごあいそうの言葉でしょう」と言いたいわけです。それに対して行成は「関(所)は関(所)でも、あなたに逢いたい逢坂の関(所)ですよ」と、恋歌に擬した言い方で弁解をします。男女のきわどいやりとりめいた言葉のやり取りをしているわけです。

 そこで詠まれたのがこの歌(夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ)です。「鶏の鳴き真似でごまかそうとも、この逢坂の関は絶対開きませんよ(=私の恋の関所は守りが固いので、お会いできません)」という意味です。

 行成はそれに対して、「あなたの逢坂の関は守りが弱いと聞いています=尻軽で誰とでも会うのでは ? 」という下品なものでした。清少納言は、さすがに閉口して返歌も詠めませんでした。

 「最初の手紙は僧都の君(=隆円僧都 こちら)が、たいそう額(ひたい)をつき懇願までして、持っていらっしゃいました。」とあるのは、行成は書の名人で誰もが行成の書いた書を欲しがっていたのです。書への鑑識眼のある清少納言宛には特に気を入れて書いたでしょうから、僧都の君が額をついて懇願するほど欲しがったのが分かります。中宮も手に入ったのでとても喜んだことでしょう。行成の書は、観賞用コレクションとしても書道のお手本としてとても垂涎(すいぜん=こちらを)ものだったのです。

【参考動画(1)】
藤原行成 白楽天詩巻」古典臨書(翠葉)
国宝 白紙詩巻
 藤原行成 寛仁2年(1018)


   届いた手紙を他人に見る ? 見せない ? (現代語で) 

(3) 行成様が、「あなたのお手紙は、殿上人(てんじょうびと=帝に接見できるような上級貴族)がみんな見てしまったよ。」とおっしゃるので、私は、

「あなたが私を本当に思ってくださっていたのだなぁと、その一言でわかりました。よくできた歌は、口から口へ伝わらないのは、つまらないものですから。反対に、みっともない歌は、人目に付くことがつらいことですから、あなたからのお手紙は、厳重に隠して人には少しも見せておりませんの。あなたと私の友情のほどを比べますと、見せる見せないは違っても、同じことになりますわね。」と言うと、

行成様は、「あなたがそこまで物事を分かって言うのが、なんといってもやはり他の人とは違って感心させられます。『よくも考えないで、私からの手紙を他人(ひと)に見せてしまって ! 』などと、並の女のように言うかもしれないと心配していたのですよ。」

などと言ってお笑いになる。

私は、「まさかとんでもない。お礼を申し上げたいくらいですわ。」

などと言う。

行成様は、「私からの手紙をお隠しになったことは、これもまた、やはりしみじみとうれしいことですよ。人目についていたら、どんなに不快で嫌なことでしょう。これからも、その分別(ふんべつ)を頼りにしましょう。」

などとおっしゃった。


 行成清少納言からの手紙を殿上人(てんじょうびと=上級の貴族 こちらを)に見せたよと言うと、清少納言よくできたなと思う歌は人に伝わり知ってほしいのでうれしい、それとは逆に、行成からの手紙は二人の関係がゴシップの種となる恐れがあるので、人には絶対に見せないと言う。

 行成清少納言からの手紙を人に見せたことを非難がましく言わなかったことに感心しているよと言って笑った。また、行成が送った手紙を清少納言が人に見せないことを、自分が女たらしの軽薄な人間だと誤解されないですんだと言って、清少納言を誉めているわけです。


   源経房が清少納言を誉める (現代語で) 

(4) その後に、経房(つねふさ)の中将様がおいでになって、

「行成様が、あなたのことをたいそうめていらっしゃるとは知っていますか。先日の手紙にあった『夜をこめて』の歌などについてお話しなさった。自分の恋人が他の人からめられるのは、とてもうれしいものですよ。」

などと、きまじめな顔でおっしゃるのもおもしろい。

私が、「うれしいことが二つ重なりましてよ。あの行成様がめてくださったそうなうえに、あなたの恋人の中に私が加えられていましたってことが。」

と言うと、経房の中将経房が、

「あなたが私の恋人であると言ったことを目新しいことのようにお喜びなさるのですね。」などとおっしゃる。


 源経房こちらを)が来た時、行成が「夜をこめて」歌を吹聴し誉めていたことを、自分の恋人が他人から誉められるのはうれしいものだと言う。ここでも、恋人めいた言い方をして、「あなたのこと評判になっているよ ! 」と伝えているわけです。二人のやり取りを読むと、もしかして、二人は恋仲にあったのかも ? と思うような書きぶりですよね。

 ここでの手紙や歌や話しのやり取りは、実用上の伝達内容は何もないと言ってもいいでしょう。恋愛ゲームのような体裁をとった言葉のやり取りや故事に基づく言葉のやり取りによって、繊細で高度なコミュニケーションがなされているといっていいでしょう。意識していたにしろそうでないにしろ、そのようなコミュニケーションが中宮定子のサロンで行われ、帝や上流貴族たちからの好評を博することとなり、世の評判を呼び、結果的には中の関白家(藤原道隆を始祖とする一族)の世間からの支持を得ることにつながるものだったと思われます。

頭の辨の、職にまゐり給ひて(枕草子136段)の原文+現代語訳はこちらへ。

  「頭の辨の、職にまゐり給ひて」から考える 

 前項で「ここでの手紙や歌や話しのやり取りは、実用上の伝達内容は何もない」と述べましたが、このような非実用的な文章が、じつは、文化や文明を創り出し進めていく原動力になるのです。

 ところが、ITやネット関連の事業などで成功し、若い人たちにもてはやされ人気のある人たちが、ネット媒体などで文芸や哲学などの人文分野(こちらを)を軽視したり、揶揄したりしているのが受けているを見ていると心配になります。教育行政も、「論理国語」という科目を新たに立てて、文芸分野よりも賃貸住宅などの契約書を理解する方が大事だというような方針で、次の世代を育てようとしているようです。

 平安時代、漢文は、主に役所の記録や儀式や出来事の記述というような、多くは実用的な用途で用いられました。ところが、かなが発明されて以来、かな書き・漢字かな交じりの文章が書かれるようになって、日記文学・歌物語・随筆・説話・物語文学・歴史物語の数多くの作品が書かれるようになったのです。文芸作品は実用上なくてはならないものではありませんが、そのようにして日本独自の文化・文明が創られ発達していきました。絵画や書道・管弦・歌舞をはじめとする諸道とともに、文芸(詩・小説・随筆・評論)という非実用的な文章が、自然科学的分野と並んで、文化・文明の礎(いしづえ)であり文化・文明そのものであったこと、今後もそうであることを自覚することは決定的に重要だと思います。

 自分ではない人の、自分とは異なる時代・場所・境遇・体験などを追体験するという、文芸上の経験を重ねることが言語能力を豊かにし、ものの見方を多様にし、情緒・感受力を豊かにし、人として全体的に成長するのに寄与するといえるでしょう。わが国では1000年以上の間、文芸作品が作られてきており、身分·階層を越えて親しまれてきました。教科書は、そんな中から最上質な作品が採られています。学校の授業で出会えたからこそ出会うことができた作品も数多くあったと思います。官学民各層で、国語教育が我が国の人々の育成に果たす役割を深く考察してほしいと思います。私たちは、快適で便利な生活を望むのは言うまでもありませんが、どこの誰だか得体のしれないのっぺら坊にはなりたくないと思いますから。

 この記事「頭の辨の、職にまゐり給ひて(枕草子129段)~恋愛ゲームめいたコミュニケーションを楽しむ !」の結末として、そんなことを考えました。


【参考動画(2)】

枕草子 水野ぷりんさん作
⇩ ⇩ ⇩
「春は曙」(枕草子)についての記事はこちらです。

【参考動画(3)】
茶の湯への誘い 4 茶事「こころ」と「かたち」
'An Invitation to Chanoyu' #4 
'The Tea Gathering : Spirit and Form'
↓ ↓ ↓  


『枕草子』についての記事こちらを。

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