忘れ貝
「土佐日記」
~亡き娘👧のために、拾う?拾わない?
土佐日記 忘れ貝
(※1:26~2:58 現代語要約)
「土佐日記」の冒頭(門出/馬のはなむけ)については、『男もすなる日記といふものを(土佐日記)~歴史上初めて書かれたかな日記』(こちらを)で、その文学史的意味をふくめて書いています。👧
55日間の船旅
土佐(高知)から京都、現在では車で数時間(こちらを)。楽しく快適にドライブできます。しかし、1100年ほど前の旅は、現在とは異質なものでした。
さらに、瀬戸内海を根城にした海賊に襲撃されるおそれもあります。しかも、貫之はそんな海賊を取り締まる側の国守をつとめていたので、恨みを買っていたともいわれています。
国府を出港して40日以上が経った。船頭は、「今日は空模様が悪い。」というので出航しなかったが、一日中風も波も穏(おだ)やか。たわけた船頭だ。
浜辺には色とりどりの貝があり、見ていると土佐でなくした娘のことを思わずにはいられない。船中の人が詠みましたのは、
よする浪うちも寄せなむわが戀(こ)ふる人わすれ貝おりてひろはむ
よする浪うちも寄せなむわが戀(こ)ふる人わすれ貝おりてひろはむ
(寄せる波よ、もっと打ち寄せてほしい。恋しくてならない亡き娘のことを忘れられる、寄せる波にはこばれる忘れ貝を、浜辺に下りて拾おう。)
その歌を聞いた人が詠んだ。
わすれ貝ひろひしもせじ白玉を戀(こ)ふるをだにもかたみと思はむ
(いまさらに、私はわすれ貝を拾うまい。せめてあの白玉のような亡き娘を、このように恋しく思い続けることだけでも、あの子の形見と思いましょう。)
娘のためには、親というものは(亡き娘のことを忘れたいだとか、いつまでも忘れたくないとか)理屈が通らないことを考えるのか。白玉というほど美しくはなかったのでは、と人は言うだろうか。けれど、死んだ子は顔立ちがよかったという言い方もありますよね。
亡き子を思う親の哀切さ、1100年後の現代の私たちにもしみわたってきます。
手をひでゝ寒さも知らぬ泉にぞ汲(く)むとはなしに日ごろ經(へ)にける
(手を浸しても寒さも感じない泉で水をくむことはないというわけではないが、この和泉の国で、むなしく日を過ごしたこと。)
泉があるのに水をくまないことと、和泉の国でその必要もないのに日を過ごした虚しさを、ダブルイメージで詠んでいる歌。まるで、明治時代以降の現代的感覚で詠まれた歌のようにも見えます。
泉があるのに水をくまないことと、和泉の国でその必要もないのに日を過ごした虚しさを、ダブルイメージで詠んでいる歌。まるで、明治時代以降の現代的感覚で詠まれた歌のようにも見えます。
かなで日本語が表記できるようになって何十年もたたない時期に、これほど繊細高度で完成された作品が書かれているのに驚かされます。
岡山県立岡山芳泉高等学校の美術部と放送文化部の共同制作の作品。すばらしい ! できですね。
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