映画 「工作~黒い金星
/ブラック・ヴィーナスと呼ばれた男」
~はじめて観た韓国映画、クオリティーが高い !
韓国映画は初めて観た。正直言って、期待感、30パーセントだったかな…。
慰安婦合意の一方的破棄、観艦式での言いがかり、火器攻撃レーダー照射問題、元「徴用工」倍賞判決問題など、韓国政府、そして、日本在住でテレビに出演して実質的に韓国政府スポークスマン役を務めている大学教員の言い分など聞いていると、李氏朝鮮時代の衒学的朱子学(こちらを)のDNAが脈々と受け継がれているなと思っていました。プラス、文現大統領はチュチェ思想(こちらを)にも侵食されているな、意図的に韓国消滅に向かわせているのかもと思っていました。日本人全体が、うんざりした気分になっているのは、そうだよなと思います。
あるきっかけで、「工作~黒い金星 ブラック・ヴィーナスと呼ばれた男」(こちらを)という映画のことを知り、興味をひかれて、時間を作って映画館に観に行きました。
あらすじを「Filmarks 映画」から引用します。
1992年、北朝鮮の核開発をめぐって朝鮮半島の緊張状態がたかまるなか、軍人だったパク・ソギョン(ファン・ジョンミン)は北の核開発の実態を探るため、コードネーム黒金星(ブラック・ヴィーナス)という工作員として北朝鮮に潜入する命令を受ける。事業家に扮したパクは3年にもおよぶ慎重な工作活動の末、北朝鮮の対外交渉を一手に握るリ所長(イ・ソンミン)の信頼を得ることに成功し、北朝鮮の最高国家権力である金正日と会うチャンスをものにする。しかし1997年、韓国の大統領選挙をめぐる祖国と北朝鮮の裏取引によって、自分が命を賭けた工作活動が無になることを知り、パクは激しく苦悩する。果たして彼は祖国を裏切るのか、それとも国が彼を切り捨てるのか。また北朝鮮はパクの工作に気づくのかー。(こちらです)正直、韓国でこんなにクオリティの高いエンターテイメント映画が作られていたのか ! と思いました。
一番感じたのは、リアリズム、リアリティということ。日本と韓国のリアリティの違いなのでしょう。
日本では、メディアにおいても教育においても、安全保障も経済活動も日常生活も決定的にアメリカの軍事力(核兵器を含む)に守られていることに気づかないふりをして、平和憲法を守れ、防衛力強化反対、外交と話し合いですべて解決できるというスタンスが正義であり良識であり続けました。もっとも、アメリカは自分の利益のためにそうした同盟を結んでいるのはいうまでもありません。
一方、玄界灘を越えた向こうの半島は休戦状態。1950年から1953年まで続いた朝鮮戦争が平和条約ではなく休戦協定で終わったため、韓国と北朝鮮は現在も形式上は戦争状態にあります。つまり両国で監視・威嚇(いかく)・衝突、さまざまなステージでの工作・スパイ・攪乱・プロパカンダ・世論操作が行われているのは、これまたいうまでもありません。
日本と韓国のリアリティの違いが、映画作りの背景となっているし、出来上がった作品をかなり異質なものにしているようです。
日本映画は、やはり、空想性・情緒性の色が濃い。それが強みであり弱みでもあるといえるるのでしょうか。
少し前、軍事リアリズムを主眼としたと思われる映画「空母いぶき」(こちらを)を観ましたが、決定的にリアリティに欠けていてがっかりしました。日本が領有する島嶼が外国勢力に軍事的に占拠されているのに、佐藤浩市演じる自衛隊最高指揮監督権を持つ総理大臣が反撃奪還すべきかどうか躊躇しまくっている…?(おなかの調子の悪いシーン、映画製作当時の安倍首相への揶揄があったようです…演出?演技? 悪趣味だなあ😟) 占拠されているのが沖縄だったら…? 九州や四国だったら…?
「工作~黒い金星 ブラック・ヴィーナスと呼ばれた男」は少し前の出来事・事件、実在した人物と噛み合わせて、とてもスリーリングな物語を巧みに組み立てあげている。画面にくぎ付けにさせる迫真性を持っている。
現在も休戦中であり、陰に陽に戦争がつづいていて、かつ、背後で中国・ロシア・北朝鮮が情勢をうかがい操(あやつ)っている。そんな韓国のリアリズム。
「ダチョウの平和」(こちらを)と揶揄される日本では作れない映画ではないかと思った。
半島国家の、事実を過大化したり逆に過小化したり、あるいは、不都合な真実には目を背け、またあるいは、都合の良いように虚構を事実と言いつのり、歴史と世界の物語を組み立ててきたアイデンティティーは始末におえないなと思っていた。
しかし、韓国のリアリズム、その表と裏、目に見えない存在や力への想像力…才能・制作陣たち・観客たちの存在、この映画を観て、一面的な韓国観だったなと思わされました。
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