町小路の女
「蜻蛉日記」
~平安貴族😊結婚生活のリアル😪😪
超訳マンガ「百人一首物語」
第五十三首(右大将道綱母)
町小路の女(蜻蛉日記)を現代語で 九月ごろになって、兼家様が外出したときに、文箱(ふみばこ)が置いてあるのを、手なぐさみに開けて見ると、兼家様がほかの女のもとに送ろうとした手紙が入っている。驚きあきれて、せめて確かに見ましたよとだけでも悟らせようと思って、書きつける。
うたがはし ほかに渡せる ふみ見れば ここやとだえに ならむとすらむ
(疑わしいこと。よその女に送る手紙を見ると、私の所へ通い来るのは途絶えようとしているのでしょうか。)
などと思っているうちに、はたして、十月の末ごろに、三晩続けて姿が見えないときがある。兼家様は、やってくるとそしらぬふりをして、「しばらくここを訪れないようにして、あなたの気持ちを試しているうちに日が経ってしまったよ。」などと、思わせぶりなことを言う。
私の所から、夕方に、「宮中に行かざるを得ない用件があるのだった。」と言って出て行くので、不審に思って、使用人にあとをつけさせて様子をうかがわせたところ、「町小路にあるお家に、車をお停めになりました。」と言って帰って来た。 思ったとおりだと、とてもつらいと思うけれど、言いやるすべもわからないでいるうちに、二・三日ほどして、夜明け前ごろに、門をたたくことがある。あの人が来たようだと思うけれど、恨めしいので、開けさせないでいると、兼家様は例の女の家と思われるあたりに行ってしまった。
翌朝、このままではおけないと思って、
嘆きつつ ひとり寝る夜の あくる間は いかに久しき ものとかは知る
(嘆きながらひとり寝をする夜が明けるまでの間は、どんなに長いものかあなたはお分かりになりますか。〈門を開ける間も待てないあなたのことですから、おわかりにならないでしょうね。〉)
と、いつもよりは改まって書いて、色の褪(あ)せ始めた菊に添えて持たせてやった。
返事は、
「夜が明けるまでもようすを見ようとしたけれども、急用の召し使いが来合わせたのですぐに去らざるを得なかった。あなたが言うことはしごくもっともですよ。
げにやげに冬の夜ならぬまきの戸も遅くあくるはわびしかりけり
(本当に本当に〈なたが言うとおり冬の夜はなかなか明けずつらいものだけれど〉、冬の夜ではない槙(まき)の戸も、なかなか開けてもらえないのはつらいことだと初めてわかったよ。」
それにしても、全くどういうつもりなのか不審に思うくらいに、兼家様は何気ないふうで、しらばくれているとは。しばらくは、気づかれないように、「仕事で宮中に行く。」などと言い続けているのが当然なのに、ますます不愉快に思うことは、このうえない。
あらすじは? ほかの女にあてた夫の手紙を見つけて疑ったが、やはり新しい女の元へ通っていることがわかった。その後、私を訪ねてきた時に門を開けないでいると、その女のところへ行ってしまった。歌を詠んで送ったところ、無神経な手紙と歌が贈られてきて、本当に不愉快きわまりない。
作者はどんな人? 当時の女性の名は多くは伝わっていません。清少納言も紫式部も正規の姓名ではなく、通称です。『蜻蛉日記』の作者は、藤原道綱の母親だったので藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)とよばれています(道綱ママです。道綱の後の官職名から右大将道綱の母ともよばれています。)。
父親が地方官を歴任した、中流階級の娘。少女時代、和歌の素養、漢詩文の知識、琴・絵画・裁縫の技芸を培(つちか)ったと伝えられています。
夫の藤原兼家はどんな人? 時の右大臣師輔(もろすけ)の三男。藤原北流の嫡流(ちゃくりゅう)、トップ階級の貴族。作者と結婚する前から藤原中正の娘時姫という正妻がいて、道隆・道兼・道長・超子・詮子らを産み、将来男子は摂関家の後継に、女子は入内(じゅだい)して女御(にょうご)となるなどして藤原摂関政治の隆盛期を支えることとなりました。
どういう夫婦関係? 平安貴族の結婚の形は現代の私たちとはとはまったく異なる招婿婚(しょうせいこん、こちらを)。一夫多妻制で正妻は一人ということになっていました。
兼家には妻妾(さいしょう=つまとめかけ)が十人ほどいたらしい。娘を入内(天皇の后となる)させるようなトップ階級の権勢家として普通のこと。妾(しょう)となる作者は道綱を産むが、兼家との不和がもとでこころ安まる日々はないようでした。当時の一夫多妻のあり方や身分差を考えれば、二人の夫婦関係はむしろ良好なものであったといえそう。しかし、兼家の愛情を一途(いちず)に求めようとしたところに、二人の不和と作者の苦悩が続いたともいえるでしょう。
どんな贈答歌となるの? 嘘を言って新しくできた妾(町小路の女)のところに行った兼家が、二・三日後の夜明け前頃に門を叩くが開けさせないでいると、またその女のところへ行ってしまいました。翌朝、このままではおけないと、枯れて色あせた菊に添えてつけた歌。
A嘆きつつひとり寝る夜のあくる間(ま)はいかに久しきものとかは知る
《嘆きながらひとり寝をする夜が明けるまでの間は、どんなに長いものか(あなたは)お分かりになりますか。(門を開ける間も待てないあなたのことですから、おわかりにならないでしょうね。)》
その歌への兼家の返歌。
Bげにやげに冬の夜ならぬまきの戸も遅くあくるはわびしかりけり(現代語訳はこちらへ)
《本当に本当に(あなたが言うとおり冬の夜はなかなか明けずつらいものだけれど)、冬の夜ではないまきの戸も、なかなか開けてもらえないのはつらいことだと初めてわかったよ。》
作者はA歌で、「あくる」という掛詞(夜が明ける/戸を開ける)を使い、〈嘆きながらひとり寝をする夜が明けるまでの間は、どんなにつらいものか、あなたはお分かりにならないでしょうね。〉と、さっさと新しい女の元へ行ってしまった道兼を非難します。「うつろひたる(色あせた)菊」は、兼家の愛情は衰えたのかと訴えるもの。
それに対して、兼家はB歌で、作者の嘆きを慰めるようなものではなく、戸を開けてくれなかった作者の冷淡さを嘆く、作者にとって無神経なものでした。
作者は妾(しょう)という立場であり、正妻もいる権勢家の男性との夫婦なのだから、複数の女性との関係は予想すべきでした。しかし、作者は兼家を独占したいと、望みようもないことを望んで苦しむのでした。
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朗読|原文・現代語訳
蜻蛉日記「うつろひたる菊」
『蜻蛉日記』とは
平安中期、藤原道綱母(みちつなのはは)の書いた回想録的な日記。時の右大臣藤原師輔(もろすけ)の三男兼家(かねいえ)の妾(しょう)となり、974年(天延2)に兼家の通うのが絶えるまでの、20年間の記事からなる。『蜻蛉日記』という書名は、日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし(⇒相変わらずのものはかなさを思うと、あるかないかもわからない、まるでかげろうのような身の上話を集めた日記と言えばよいのかしら)」より。
表現史上の意味 「蜻蛉日記」は、1050年ほど前に、女性が書いた最初の本格的な日記文学。内面に生起し起伏する名付けようのないものを言葉によって形象化して、理解可能なものとして文字表現として構築していこうとしたともいえます。
女性の内面の懊悩(おうのう)、その屈折してアンビバレント(こちらを)な心理のひだを、これほど緻密に描いた作品は現存するものでは、「蜻蛉日記」を嚆矢(こうし)とします。この作品の成立なしには「源氏物語」は書かれることはなかったともされています。表現史・文学史上も重要な作品なのです。
古代に女流がこれほど高度な作品を書き残しているのは、世界史上日本だけだということ、当の日本人、自慢に思っていい…?
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