鷹を放つ(蜻蛉日記)~平安貴族😉、結婚生活のリアル😥 part 2

 鷹(たか)を放つ 

 『蜻蛉日記(かげろうにっき)』 

 ~平安貴族😀、結婚生活のリアル😥 

  part 2 

 

  鷹を放つ(蜻蛉日記)を現代語で

 つくづく(夫兼家との不安定な夫婦関係に悩まなければならない)身の上のことを思い続けると、やはりなんとかして心から死にたいと思う以外ほかのこともないが、ただこの一人いる人(息子の道綱)を思うと、たいそう悲しい。


 道綱一人前にして、あとあと安心できるような妻などに預けて、そうした上なら死んでも安心だろうとは思ったけれど、私が死んだ後、息子はどのような気持ちで世の中をさまようだろうかと思うと、やはりとても死にきれない。

 「どうしようかしら。出家して、兼家様との仲を思い切れるか試してみようか。」

と話すと、道綱はまだ深くも考えない歳であるけれども、ひどくしゃっくりあげておいおいと泣いて、

「そのようにおなりになるならば、私も法師になってしまおう。何のために、この世の中に生きていこうか。」

と言って、ひどくおいおいと泣くので、私も涙をこらえられないけれども、あまりも真剣なので、冗談に言い紛らわそうと思って、

「ところで、出家すると鷹を飼えなくなるが、鷹を飼わないでどうなさるのか。

と言ったところ、道綱は静かに立って走って行き、止まり木に止まらせていた鷹をつかんで放してしまった。それを見ている女房も涙をこらえられず、まして、私は一日中暮らすこともできないほど悲しい。心に思われたことは、

  争へば思ひにわぶる天雲にまづそる鷹ぞ悲しかりける

  《現代語による解釈は、下の歌の解説で》

と詠んだ


 日が暮れるころに、夫(兼家)から手紙が来た。手紙に書かれている内容はまったくのでたらめだろうと思うので、「今は気分が悪いので、返事ができない。」と言って、夫の使いの者を返した。

鷹を放つ(蜻蛉日記)原文+現代語訳こちら


  あらすじ

 不実な夫との生活に絶望して死んでしまいたいと思うが、残される息子(道綱)のことを思うと死にがたい。「いっそ出家して、夫婦仲が思い切れるか試してみよう。」と言うと、道綱は「それなら僕も、一緒に出家するんだ。」と言って泣きじゃくる。私は「出家なさったら鷹も飼えなくおなりになるのよ。」と言い紛らわそうとすると、道綱は大事に飼っていた鷹をつかんで放ってしまった。その際詠んだ歌、「争へば思ひにわぶる天雲にまづそる鷹ぞ悲しかりける」。夕方、夫からまたでたらめの手紙が届けられた。「今は忙しいので返事ができない。」と意趣返しをしてやった。

 この時作者36才。子息道綱は16才、成人してもいい年齢、「泣きじゃくる」は創作めく。

  作者はどんな人?

 当時の女性の名は多くは伝わっていません。清少納言紫式部も正規の姓名ではなく、通称です。『蜻蛉日記』の作者は、藤原道綱の母親だったので藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)とよばれています(道綱ママです。道綱の後の官職名から右大将道綱の母ともよばれています。)。

 父親が地方官を歴任した、中流階級の娘。少女時代、和歌の素養、漢詩文の知識、琴・絵画・裁縫の技芸を培(つちか)ったと伝えられています。


  夫の藤原兼家はどんな人

 時の右大臣師輔(もろすけ)の三男。藤原北流の嫡流(ちゃくりゅう)、トップ階級の貴族。作者と結婚する前から藤原中正の娘時姫という正妻がいて、道隆道兼道長超子詮子らを産み、将来男子は摂関家の後継に、女子は入内(じゅだい)して女御(にょうご)となるなどして藤原摂関政治の隆盛期を支えることとなりました。




  どういう夫婦関係

 平安貴族の結婚の形は現代の私たちとはまったく異なる招婿婚(しょうせいこん、こちらを)。一夫多妻制で正妻は一人ということになっていました。

 兼家には妾(さいしょう=つまとめかけ)が十人ほどいたらしい。娘を入内(天皇の后となる)させるようなトップ階級の権勢家として普通のこと。妾(しょう)となる作者は道綱を産むが、兼家との不和がもとでこころ安まる日々はないようでした。当時の一夫多妻のあり方や身分差を考えれば、二人の夫婦関係はむしろ良好なものであったといえそう。しかし、兼家の愛情を一途(いちず)に求めようとしたところに、二人の不和と作者の苦悩が続いたともいえるでしょう。


 作者は妾(しょう)という立場であり、正妻もいる権勢家の男性との夫婦なのだから、複数の女性との関係は予想すべきでした。しかし、作者は兼家を独占したいと、望みようもないことを望んで苦しむのでした。


  「争へば思ひにわぶるあま雲にまづそる鷹ぞ悲しかりける」とは

 このように、折に触れての感慨を読まれた歌を「独詠歌」と呼びます。二人で読みあう歌は「贈答歌」といいます。
 出家して夫兼家との思いを断ち切れるか試してみようと口にしたら、息子の道綱は、自分も一緒に出家するんだと言って泣きじゃくった。作者は「出家したら、大事になさっている鷹も飼えなくなるのよ。それでいいの?」といいなだめた。すると、道綱は鷹を放ってしまった。その時詠んだ独詠歌。

あま」が(空)と(出家した女性修行者)、「そる」が逸る(それる・思わぬ方向に進む)と剃る(剃髪する)の掛詞(かけことば)

 ここで、鷹とは鷹狩用に飼っていました。「鷹狩り」とは、タカ科のイヌワシ、オオタカ、ハイタカ、およびハヤブサ科のハヤブサ等を訓練し、鳥類や哺乳類(兎・狼・狐など)を捕らえさせること。仏教では殺生戒〈セッショウカイ〉を破ることとなる。出家の身で鷹は飼えないことになるという理屈です。

 この歌、すっきり解釈するのは難しいですが、解きほぐすように解釈すると次のようになります。

 🦅夫と言い争う(のが耐えられない)ので、(思いを断ち切るためにいっそ出家して)尼になろうかつらく思っていると、わが子も剃髪して法師になろうとして鷹を放した。その鷹が空に飛び去るのを見ると、わが子の真剣な思いが分かって悲しいことよ。🦅




【参考①】朗読 蜻蛉日記・鷹を放つ



【参考②】超訳マンガ百人一首物語
第五十三首(右大将道綱母)

  表現史上の位置

 西暦900年ころ我が国初めての物語「竹取物語」、その30年くらい後に歌物語「伊勢物語」、そして日記「土佐日記」(紀貫之)が成立し、その40年くらい後に「蜻蛉日記」が女性が書いた最初の本格的かな日記文学として成立しました
 内面に生起し起伏する名付けようのないものを言葉によって形象化して、内面世界を構築していこうとしたもいえるでしょう。表現史的には、「蜻蛉日記」の35年くらい後の「源氏物語」が書かれるのに不可欠であった作品と言われています。

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