あだし野の露消ゆる時なく(徒然草)~40歳になる前に死ぬのが見苦しくない !

  あだし野の露消ゆる時なく

(徒然草)

 ~40歳になる前に死ぬのが見苦しくない ! 



1:30から現代語訳が始まります。

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『徒然草』兼好法師
第七段「あだし野の露きゆる時なく」
原文・現代語訳 朗読

  「あだし野の露消ゆる時なく」(徒然草)を現代語で

 あだし野の露は消えやすいが、そのように消えるということなく、鳥部山に立つ(火葬の)煙は消え去ってしまうが、そのように消え去るということなく、この世の終わりまで生きつづけるならわしであるなら、どんなにか物事のしみじみとした情趣もないことだろう。この世は無常であるからこそ、たいへんすばらしいのだ。

 命があるものを見ると、人間ほど命が長いものはない。かげろうが(朝に生まれて)夕方も待たずに死に、夏の蝉が春や秋を知らないで死んでしまうというような、短命な生き物の例もあることだよ。しみじみと一年を暮らす間さえも、このうえなくゆったりと感じられるものだよ。それを、何年生きても飽き足りなく思い、命を惜しいと思うなら、たとえ千年を過ごしたとしても、たった一夜の夢のようなはかない気持ちがするだろう。永久に生き続けることができないこの世に生き長らえて、老醜の姿を待ち迎えていったいどうしようというのか、どうしようもないのである。長生きをするとそれだけ恥をかくことも多い。長くても四十歳に足りないくらいで死ぬのが、見苦しくないであろう。

 その年ごろを過ぎてしまうと、老い衰えた容貌を恥じる心もなくなり、人前に出て仲間に入ることを願い、傾きかけた夕日のように余命いくばくもない身で子孫に執着して、彼らが繁栄していく将来を見届けるまでの長寿を期待し、むやみに名誉や利益をほしがる心ばかりが深くなり、物事の情趣もわからなくなっていくのは、あきれ果てるほど嘆かわしいことである。

あだし野の露消ゆる時なく(徒然草) 原文/現代語訳はこちら

  

  40歳になる前に死ぬのが見苦しくない?

 もし、(あだし野〈墓地のある地として有名〉に置く)露が消えることがなかったり、また、(鳥辺山〈火葬場のある地として有名〉の)煙が消え去ってしまうということもなくなったりして、この世の終わりまで生き続けるのがならわしであるのなら、しみじみとした風情というものはない。この世は無常この世の中の一切のものは常に生滅流転〈しょうめつるてん〉 して、永遠不変のものはないということであるからすばらしいのだ。

 

 人間は、他の生き物に比べると長生きしすぎるのだ。長生きしたとしても、40歳になる前に死ぬのが見苦しくない


 現代のヒューマニズムからは理解しにくい主張ですね。

 

  ところで、今から1100年ちょっと前、『古今和歌集』に国歌「君が代」の元となった次の歌が載せられています。

 わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いはほ)となりて 苔(こけ)の むすまで

(旺文社文庫脚訳…あなた様の寿命は、千年も八千年も、小石が大きな岩になり苔が生えるようになるまで、いつまでも末長く続いてほしいものです。)

 

 『徒然草(つれづれぐさ)』が書かれた700年前の日本人だって、この歌のように、長生きを願い長寿を祝っていました。

 ここでは、兼好仏教思想をベースにした独特な厭世(えんせい)思想唯美思想が語られていると理解されます。

 有名な「花は盛りに月は望月(もちづき)をのみ見るものかは。」(こちらからリンクできます)で主張されている、実物を目の当たりにするよりも心中で偲ぶことに価値を置いたり、完全なものより兆(きざ)し未完のもの終わりつつあるものなごりに価値を見出すと同様、長寿祈願・礼賛のような典型ではなく周辺に価値を見出す独特の美意識ととらえてもいいのかもしれません。

 

  兼好の目にしていた老人 

  兼好は、夭逝(ようせい/ようせつ)したいとか、逆に、長寿を願ったとしても、どちらも願うようにはかなえられるものではないことは分かりながら、この段のように主張しているのは、兼好が目にする公家・武士・僧侶の老人には、兼好が望む老成円熟の人、敬意を抱ける老人が見当たらなかったということなのでしょうか。老害老醜(ろうしゅう)・老獪(ろうかい)・老残などの熟語があることからも、故(ゆえ)ないことではないのでしょうか。

 

 ただし、この随筆が書かれた時代の平均寿命は30歳代と考えられています。よって、平均的な寿命を超えるまで生きていたくないと願望しているのでしょうか。現代では、男八十代、女九十代と、世界でトップレベルの長寿国となりました。だから、現代の感覚では80歳90歳になる前には世を去りたいとも理解されるのでしょうか。それならそんなにエキセントリックな主張とはならないとも思われます。

 

 長寿はもちろんめでたいことですが、一方、認知症への対応や、介護従事者の慢性的不足、回復の見込みがない高齢者への胃瘻などの延命措置についての議論、医療介護費の増大化労働人口の不足など、解決することが困難な問題が山積しているのも事実です。

  

  異質な観点

 ここでは、人は遅かれ早かれ死ぬべきもの、だからこそ大変よいのであるということが前提になっています。では、遅いのと早いのとではどちらがよいのかと論じていきます。

 兼好は、永久に生き続けることができないこの世で、長生きをするとそれだけ恥をかくことも多く、むやみに名誉や利益をほしがる心ばかりが深くなるとしています。よって、長寿は望むべきでない、ますます欲深く外見だけではなく心も醜くなりがちだから……という結論。現代の生命尊重、長寿礼賛になじんだ私たちにインパクトを与え、考え込ませてしまいます。

 兼好独特の厭世的かつ唯美的な思想が具現化されている段です。

 

 齢(よわい)を重ねる者への自戒自省(じかいじせい)ともなる章段になるのかなとも思います。

  

  今現在の価値観・美意識・思想を絶対視せずに、歴史上稀有(けう)の教養の持ち主であり、観察者であり、思索者である先人の主張に謙虚に向き合ってみると、ものの見方や理解の仕方が奥行きのあるものになるのではないでしょうか。

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  『徒然草(つれづれぐさ)』とは

 兼好法師によって今から700年ほど前の鎌倉時代終わりころに書かれました枕草子』(清少納言)・『方丈記』(鴨長明)とあわせて日本三大随筆と言われています

 自然、社会、人間のありように対する思いを述べた随筆で、さまざまな角度から斬新(ざんしん)な感覚で切り込んだ作品。王朝文化へのあこがれ有職故実(礼式・官職・制度などの由来など)に関する心構え、処世訓自然美の新しい見方など、素材・対象は多彩を極めています。
 また、作者兼好法師は和歌四天王の一人に数えらたように、美的感受性にも優れている人です。

  

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