太宰治
「富嶽百景 」2/2
~富士には、月見草がよく似合う
【名作朗読・字幕付】
太宰治『富嶽百景』
「富士には、月見草がよく似合う」
あらすじ
私は、昭和13年の初秋(しょしゅう)から11月にかけ、甲州(こうしゅう)御坂峠(みさかとうげ)の天下茶屋(てんがちゃや)に滞在しました。思いを新たにする覚悟で出た旅です。井伏鱒二(いぶせますじ 小説家の名)氏がそこで仕事をしていたのですが、氏の紹介で、わたしは甲府(こうふ)のある娘さんと結婚話を進めることとなりました。仕事のほうでは、毎日富士と向き合いながら作品を書くのです。おあつらい向きの富士の姿や、棒状(ぼうじょう)の素朴(そぼく)に反発したりしながらも、念々と動く自分の愛憎とくらべ、のっそりと黙っている富士には感心するのでした。時に、巨大な富士に相対峙(あいたいじ)して、けなげにすっと立つ月見草(つきみそう)に感動したりもします。仕事はなかなか進みません。新しい世界観、新しい文学を模索して、素朴な自然なもの、簡潔で自然なものを一挙につかまえる「単一表現」について思いをめぐらすのでした。一頓挫(いちとんざ)と思われた結婚話は、母堂と娘さんとの理解でうまく進行しました。寒さも厳しくなった山を下り、わたしは甲府に帰りました。(「富嶽」とは、富士山の別称。「百景」とは、さまざまの景の意。)
花の使い方
小道具として「花」が巧みに使われています。
●月見草(つきみそう) 「富士には、月見草がよく似合う。」。『富嶽百景』でもっとも有名な一節です。
月見草(こちらを)、空き地などにごくふつうに自生する花。その名が言うように、昼間はしおれているが、夜間に生き生きと花を開かせます。花瓶(かびん)にさして愛(め)でるようなことはされない、格別に注目されるというわけではない花。太宰はその花を、ささやかだが俗なる現実に対峙するものとしてピック・アップしているわけです。三つ峠の老婆や茶店の娘さんがシンボライズされているとも考えられます。「富士と月見草(こちらを)」にはもちろん論理的には本来何の関係もありませんが、この小説のコンテクストで説得力を持つコンビネーションとも言えるし、太宰の発見とも言えるし、初めに言ったが勝ち?とも言えるでしょう。
●薔薇(ばら)& 睡蓮(すいれん) お見合いの場面、「娘さんの家には薔薇(こちらを)がたくさん植えられていた」とその家庭のモダンな趣味がうかがえるようさりげなく挿入(そうにゅう)されています。その家の中、「富士山頂大噴火口(だいふんかこう)の鳥瞰(ちょうかん)写真」が「真っ白い睡蓮の花(こちらを)に似ていた」と書き、直後に「娘さん」をちらと見て、その瞬間結婚を決意したと続ける。「真っ白い睡蓮の花(こちらを)」の残像と「娘さん」が重なるように書かれ、「娘さん」の初々しく清楚なイメージが伝わってきます。やはり、手練手管(てれんてくだ)に長(た)けた小説家だとうならせられます。
●罌粟(かたくり) 結末近くのカメラの前の「若い知的の娘さん」は「罌粟(かたくり)の花(こちらを)二つ」とメタファ (こちらを)でとらえられ、緊張して身体も表情もこちこちに緊張していて、しかも、きりっとかわいらしい(?)女子二人の像が喚起されます。「罌粟の花(こちらを)」を女性の比喩にする例は初めてです。それに、富士山と罌粟の花(こちらを)との組み合わせ、月見草(こちらを)との組み合わせと同様、太宰のオリジナルな発見だともいえるでしょう。
●酸漿(ほうずき) 「富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出している。酸漿 (ほうずき。こちらを)に似ていた。」を、この小説の結末としています。形としては三角。これは冒頭近くの「小さい真っ白い三角」=「だんだん沈没しかけてゆく軍艦」や、バスの窓から見える「変哲もない三角の山」とのアナロジー(こちらを)であり、それらは無機的で何の取り柄もないイメージ。ここでは酸漿 (ほうずき。こちらを)の実。
酸漿(ほうずき。こちらを)は一昔前、あちこちの民家の庭先で普通に目にしていたもの。熟した実は子供たちが軸の付け根部分だけを慎重に取り除き、中身を手をかけて抜き取り、口の中で舌を器用に使い膨らましたりつぶしたりして音を出して楽しんでいました。また、提灯(ちょうちん)の形に似ていることから、お盆などでは招霊用(しょうれいよう)の仏花としています。現在よりもはるかに身近で親しんでいたものです。郷愁を誘うものともいえます。ここでは、朝日に染まり、筋(すじ)立った、小さい三角の富士のアピアランス。そして、「酸漿 (ほうずき。こちらを)に似ていた」は、富士の視覚像だけではなく、御坂での人々との出会いやさまざまな体験が「私」にとってあたたかく、懐かしい思い出として振り返ることができることを象徴させているのでしょうか。またさらに、御坂での体験が一つの完結した出来事として結実しつつあることの心象風景になっているようにも感じます。「ほうずき」とひらがなではなく、「酸漿(ほうずき。こちらを) 」と漢字で表記され、きりりと濃密なニュアンスも感じます。
結末の「酸漿 」(ほうずき。こちらを)の使い方、小説は、書き出しと結末が生命線だといわれますが、太宰はやはり卓越した小説家であり、言葉の魔術師でもあると思わずにいられません。
写真について
結末近くの写真撮影の場面。写真て、今みたいにどんどん撮って削除してとか、クラウドに転送されてとか……というようなものではありませんでした。70年前(2015年時点)、カメラ(こちらを)は高価で誰もが購入できるものではありませんでした。さらに、フィルム感度も低く、手振れが許されず、シャッタースピードや露出がどうのこうのて技術が要求されていました。またさらに、フィルムも安くなく、写真屋で印画紙(焼き付け用の紙)に焼き付けてもらうのに日数も費用もかかるものでした。何かの記念日などにカメラを所有する知人から貸してもらって、着るものに気を配り、よそ行き顔で、ちょっと緊張して写っていた、そういうものだったということを知らないとピンと来ない場面です。
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