袴垂、保昌に会ふこと
「宇治拾遺物語」
~鎌倉時代、新しいヒーロー像の登場
袴垂、保昌に会ふこと(宇治拾遺物語)原文/現代語訳はこちらへ 袴垂、保昌に会ふこと(宇治拾遺物語)を現代語で
昔、袴垂(はかまだれ)といってたいそうな盗賊の大将軍(「首領」のこと)がいた。十月頃に、冬のための衣服が必要だったので、少し調達しようと思って、適当な場所をねらい歩いたところ、夜中の、人がみなすっかり寝静まった後、月がおぼろな中を、衣服をたくさん着こんだ人が、指貫(さしぬき。はかま、すそをひもでくくれる)のももだちを腰に挟み込んで、絹の狩衣(かりぎぬ、貴族の男性の略装)のようなのを着て、たった一人笛を吹いてゆったりと練(ね)り歩いて行くのを見て、「ああ、こいつこそ、おれに衣服をくれてやろうと出て来た人のようだな」と思って、走りかかってはぎ取ろうと思うが、奇妙にそら恐ろしく感じられたので、後ろについて二三町(200~300m)ほど行くが、(その人は)自分の後ろに人がついていると思っているようすもない。いっそう笛を吹き澄まして行くので、ためしに襲い掛かってみようと思って、足音をさせて走り寄ったところ、笛を吹いたままふと振り返った(その人の)様子が、襲いかかることもできそうにもなかったので、走って脇にそれた。
このように、何度も何度も色々とやってみるが、その人はほんの少しも動揺するようすがない。袴垂は「めったにいない人だなあ」と思って、十町(1000 m)あまり後ろをついていく。「そうかといってこうしていられようか」と思って、刀を抜いて走りかかると、その時、笛を吹くのをやめて、振り返って「お前は何者か」と尋ねると、袴垂は呆然(ぼうぜん)として、正気も失って、その場にへたりこんでしまった。かさねて、「どういう者か」と尋ねるので、今となっては、逃げてもよもや逃がしはするまいと思われたので、「追いはぎでございます」と言ったところ、「何という者か」と尋ねるので、「世間では、袴垂と呼ばれております」と答えると、「そういう者がいると聞いているぞ。物騒(ぶっそう)で、とんでもない奴だなあ」と言って、「一緒についてこい」とだけ言葉をかけて、また同じように笛を吹いて行く。
この人のようすは、ここまできては逃げてもまさか逃がすまいと思われたので、鬼(人知を超えた災いをもたらすおそろしいもの)に魂を取られたかのようで、一緒に行くうちに、(その人の)家にたどり着いた。どこかと思うと、摂津前司(せっつのぜんじ)保昌(やすまさ)という人なのであった。家の中に呼び入れて、綿(わた)が厚く入った着物を一つをお与えになって、「衣服が必要な時は、ここに参上してその旨(むね)を申せ。どんな人か分かりもしない人に襲いかかって、自分のほうが怪我をするなよ。」と言ったのは、あっけにとられる思いで、気味悪く恐かった。なんともたいした(保昌)のありさまであると、(袴垂は)捕らえられてから語った。
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保昌と袴垂とは
保昌…藤原保昌(ふじわらのやすまさ)。平安中期の貴族、母は元明親王(げんめいしんのう)の息女。日向(ひゅうが)・肥後(ひご)・大和(やまと)などの国守を務めた。武勇に優れ大盗賊袴垂(はかまだれ)を恐怖に陥れた説話は有名。また、酒吞童子(しゅてんどうじ。こちらを)説話では、源頼光とともに鬼退治をしたとされています。和泉式部(いずみしきぶ。こちらを)の夫としても有名。
袴垂(はかまだれ)…平安時代の伝説的な盗賊の首領。『今昔物語集』では、一度は捕らえられたが、大赦で出獄した後、関山で死んだふりをして、油断した武者を襲い殺すなどして、再び徒党を組むしたたかな行状(ぎょうじょう、品行のことです)が描かれています。「袴垂(はかまだれ)」は、貴族の正装である束帯の表袴(おもてばかま)の前に二つの垂れがつくことに由来する呼び名であったろうといわれています。この話の登場人物、藤原保昌の弟保輔(やすすけ)との説もあり、そうであればこんがらがってきます。
保昌=武勇に秀でた貴族~鎌倉時代、新しいヒーロー像の登場
説話集は、説話(語り伝えられた昔話や世間話など)を書き記したものですが、書き記した人の好みや個性や力量がうかがえます。
この「袴垂、保昌に会ふこと」でも、親しみやすく軽妙で軽快、テンポの良い語り口が、読む者の興味を引っ張っていきます。保昌は平安中期の人ですが、鎌倉時代に至っても武勇に秀でた貴族として長く語り伝えられたわけです。
当時の人は盗賊の「首領・頭(かしら)」を「大将軍」と呼んでいたというのもおもしろいですね。現代でも、「大将」とか「社長」とか呼びかけていい気分にさせようとするのに通じるよび方になるのでしょう。
深夜、人も寝静まっているなかを、上等(絹)の狩衣(かりぎぬ=平安時代の男性貴族の普段着。
こちらを)を着込んだ人が歩いてきた。
袴垂は「オレに着物をくれてやるとやって来たのだな」と
身勝手に受け止める。盗賊の
袴垂には深夜に高価な着物を着こんで出歩いているなんて、カモがネギを背負(しょ)って(
こちらを)状態に見えたようです。
しかし、その人は危険が迫っているのに動揺する気配がない。襲いかかろうとしてもスキがない。袴垂が勇気を出して刀を抜いて襲いかかかると、その人は振り返りじろりとにらみ、「お前は何者か」という。その威圧的で威厳のある雰囲気に袴垂は気圧(けお)されてしまい、その場にへたり込んでしまった。その人の「わしについて来い」という言葉にあらがうこともできない。人を意のままに導き動かす能力も持っていたようだ。
その人の家についてみると、その人は摂津の前国司、藤原保昌(やすまさ)という人だと分かった。その人は袴垂に分厚い綿入れの着物を授(さず)け、「必要ならいつでもここに来い。相手かまわず襲い掛かって、けがなどすることになるなよ。」と戒める、懐が深く、かつ、太っ腹な人でもあった。
月夜に笛を吹きながら逍遥(しょうよう=そぞろ歩きのこと)する風流な人ではあるが、一方、洗練された恋愛をしたり、和歌や管弦に秀でる上品で雅(みやび)な王朝的な男性主人公像とはかなり異質。新しい人間の類型に人々は興味をひかれ、魅力を感じたのではないでしょうか。
平安後期ころ武士が勃興し力をつけ、社会に影響を与えつつあった新しい時代以降、人々の興味を引き、魅了する男性ヒーロー像の一つとして語り伝えられたといえるでしょう。
私たちは、意識するにしろしないにしろ、親だったり、先輩だったり、スポーツ選手だったり、歴史上の人物だったり、アニメの主人公だったりを、目指すべきモデル(=ロールモデル)にして生きていると言えます。そういう意味では、「保昌」は現代ではどういう人にあたるのでしょうか?
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『宇治拾遺物語』とは
宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)とは、今から800年ほど前(鎌倉時代前期)に成立した説話集。説話集とは人々の間で語り伝えられた昔話や世間話を書き集め記(しる)したもの。
帝や聖人から盗賊、にせ坊主、さらには、鬼や動物の化身にいたるまでを主人公とする説話が集められています。多彩な話がおだやかな語り口で描かれ、編者の人間に対する並々ならぬ興味と、狭い価値観に縛られない寛容な精神が感じられます。
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