羽根という名の島
(土佐日記)
~" 島に乗って早く都へ帰りたいよ ! "
羽根という名の島(土佐日記)を現代語で
二十七日。大津から浦戸を目指してこぎ出す。こうした中で、特に京で生まれていた女の子が任地の土佐で急に亡くなったので、この出発の準備を見ても、何も言わず、京へ帰るというのに女の子がいないことばかり悲しく思う。そこにいる人も気の毒で堪えられない。そこで、ある人が書いてさしだした歌は (都へ帰ると思うのに、うれしいはずが逆にもの悲しいのはいっしょに帰らない人があるからだったなあ)
またあるときには、
(あの子は生きているものと、死んだことを忘れてしまっては、やはりそのまま亡くなった人のことをどこにいるのと尋ねるのはなんと悲しいことだ)
十一日。夜明け前に船を出発させて、室津を目指して行く。人々は皆まだ寝ていたので、(自分だけ起き出すこともできず)海がどういう状態なのかは見えない。ただ月を見て、東西(の方角)を知った。このような間に、すっかり夜が明けて、手を洗い、いつも習慣にしていることをして、昼になった。ちょうど今、羽根というところに来た。幼い子どもがこの場所の名を聞いて 「羽根というところは鳥の羽のような形なのかな。」と言う。まだ幼い子どもの言葉なので、人々が笑うときに、(その場に)いた女の子が、この歌を詠んだ。
十一日。夜明け前に船を出発させて、室津を目指して行く。人々は皆まだ寝ていたので、(自分だけ起き出すこともできず)海がどういう状態なのかは見えない。ただ月を見て、東西(の方角)を知った。このような間に、すっかり夜が明けて、手を洗い、いつも習慣にしていることをして、昼になった。ちょうど今、羽根というところに来た。幼い子どもがこの場所の名を聞いて 「羽根というところは鳥の羽のような形なのかな。」と言う。まだ幼い子どもの言葉なので、人々が笑うときに、(その場に)いた女の子が、この歌を詠んだ。
(本当に羽根という名に聞く場所が鳥の羽であるならば、その羽で飛んでいくかのように早く都に帰りたいなぁ)
と言った。男性も女性も 「どうにかして早く京都へ帰りたい。」と思う心があるので、女の子の詠んだこの歌が上手だというわけではないのだけれど 「本当に(そのとおりだ)。」と思い、この歌のことを忘れない。この羽根というところについて尋ねる子どもをきっかけに、また亡くなった女の子のことを思い出し、いつ子のことを忘れるだろうか、いや、忘れはしない。今日は特に、亡くなった女の子の母(紀貫之の奥さん)が悲しまれることはなはだしい。京都から土佐に出向したときの人数が土佐から京都に戻るときには娘が亡くなったために減ってしまい足りないので、昔の歌に 「数が足りないで帰るようだ。」 (※古今集に詠まれていた歌を指す)という(歌があった)ことを思い出して、ある人が詠んだ(歌)。
(世の中に思いをはせてみても、子どもを恋い慕う気持ちに勝るような悲しみはないことであるよ)
と言いながら悲しみにくれるのであった。
そんなわけで、ひとつ判断をまちがえればもろとも命さえ失ってしまうような旅であったわけです。55日間にわたる船旅でした。
光源氏の誕生(源氏物語)~四代の帝、七十四年間、登場人物五百人の物語のはじまりはこちらへ
と言いながら悲しみにくれるのであった。
土佐日記
「土佐日記」の冒頭(門出/馬のはなむけ)については、『男もすなる日記といふものを(土佐日記)~ 歴史上もっとも古いかな日記 』で、その文学史的意味をふくめて書いていますので参照してみてください(こちらです)。
55日間の船旅
「土佐日記」が書かれた時代、急峻(きゅうしゅん)な四国山地のため陸路で瀬戸内海側に出るのは困難。船旅をすることになります。でも、当時の船は、脆弱(ぜいじゃく)なつくりで、大波に飲み込まれてしまったり、座礁して大破してしまう危険性にさらされていました。多くの泊り(船着き場)で天候をはかりながらの船旅でした。
さらに、瀬戸内海を根城(ねじろ)にした海賊に襲撃されるおそれもあります。しかも、作者の紀貫之(きのつらゆき)はそんな海賊を取り締まる側の国守(こくしゅ)をつとめていたので、恨みを買っていたとも考えられます。【参考】鎌倉初期の船
そんなわけで、ひとつ判断をまちがえればもろとも命さえ失ってしまうような旅であったわけです。55日間にわたる船旅でした。
女の子のことば(土佐日記)現代語訳/原文はこちらへ。
亡き娘が恋しい !
やっと帰京できるというのに、土佐で亡くした娘のことを思って沈んでいると、同行の人が同情して、こんな歌を書いてくれた。
都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり
都へ(帰る)と思うのに、(うれしいはずが逆に)もの悲しいのは(いっしょに)帰らない人があるからだったなあ
また、私はこんな歌も詠んだ。
あるものと忘れつつなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける
(あの子は)生きているものと、(死んだことを)忘れてしまっては、やはりそのまま亡くなった人のことをどこ(にいるの)と尋ねるのはなんと悲しいことだ
ある女の子が、船中から見える島の名が「羽根(はね)」と聞いて、こんな歌を詠んだ。
まことにて名に聞くところ羽ならば飛ぶがごとくに都へもがな
本当に(羽根という)名に聞く場所が(鳥の)羽であるならば、(その羽で)飛んでいくかのように(早く)都に帰りたいなぁ
「羽根」という島の名を尋ねた女の子をきっかけに、また亡き娘のことを思い出し、『古今集』の歌に重ねて、こんな歌を詠んだ
世の中に思ひやれども子を恋ふる 思ひにまさる思ひなきかな
世の中に思いをはせてみても、子どもを恋い慕う気持ちに勝るような悲しみはないことであるよ
現代は、高速鉄道や飛行機で遠く離れたところへ容易に移動できます。それに比べると、平安時代の旅は、途方もなく時間がかかり、困難があったようです。ただ、より早く、便利になった現代の旅では失われたものもあるのでは…? 自然に対して謙虚であり、また、ゆったりと流れる時間とともに生活していたり、さらに、人々が思いを共有して互いを思いやる、控えめで、暖かで濃密な時間を過ごしていたようにみえます。
かなで日本語が表記できるようになって何十年もたたない時期(1100年ほど前)に、これほど繊細高度で完成された作品が書かれているのに驚かされます。
女の子のことば(土佐日記)現代語訳/原文はこちらへ。
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