古今の草子を御前に
置かせ給ひて
(枕草子)
~中宮定子さま出題の試験
冲方丁 歴史小説!
『はなとゆめ』
「古今の草子を御前に置かせ給ひて」現代語で縮約
①中宮様による女房たちへの試験
また、中宮(ちゅうぐう)様が、『古今和歌集』の歌の上の句おあげになって下の句をお尋ねになるのに、すらすら答えられないのはどういうことだろうか。
才女との評判の宰相(さいしょう)の君でさえ十程度しか答えられない。覚えているのが五つ・六つ程度くらいなら「まったく覚えていません」と言いたいが、そんな風に興をそぐことはできませんと、女房たちは愚痴を言い、悔しがる様子もおもしろい。
知っていると申し出る人のない歌は、中宮様がそのまま下の句まで読み続けて、その場所にしおりをおはさみになるのを、「これは、知っていた歌だわ。なぜこんなに、できが悪いのかしら。」と嘆息する。中でも、『古今集』を何度も繰り返して書き写しなどする女房なら、全部でも思い出して当然のところですわ。
ここまでの「古今の草子を(枕草子/二十段)1/2」原文・現代語訳はこちらへ
②村上帝による宣耀殿の女御への試験
中宮様は、村上天皇の御代に、小一条の左大臣殿〔藤原師尹=ふじわらのもろただ〕のご令嬢である宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご=芳子ホウシ)についてお話しなさいました。
女御(にょうご=帝の后= 宣耀殿)が入内(じゅだい=帝の后となること)前であった時、父大臣様から「まず第一には、お習字の練習をなさい。次には、七弦の琴(しちげんのきん=こちらを)を誰よりいちだん功(たく)みに弾(ひ)けるようになさいませ。それからまた、『古今集』の歌二十巻全部を暗誦(あんしょう)なさるのを、学問にはなさいませ。」と教えられたという。
それを、村上帝はかねて耳になさっていて、ちょうど物忌(ものいみ)であった日、村上帝は女御( 宣耀殿)のお部屋に『古今集』を持っていらして、間を几帳(きちょう=こちらを)で引き隔てになりました。
女御は、村上帝が草子をお広げになって、「某月、何々の折、だれそれがよんだ歌はどういう歌か。」とお尋ね申し上げなさったのを、「こうして『古今集』の暗誦を試してみようというお考えだったのだわ。」と合点なさったそうですが、女御は「覚え違いがあったり、忘れた歌でもあったら、たいへんなことだわ。」と、ひどくご心配になったことでしょう。
村上帝はその方面に熟達した女房を、二・三人ほどお呼び出しになって、(女御に)無理にご返事をお求め申し上げなさった様子など、どんなにすばらしく、興趣ある情景だったでしょう。その折に控えていた女房たちのことまでうらやましく思います。
③女御のお答え
村上帝が女御に返事をおさせになると、利口ぶって、下の句までお答えするのではなかったが、一つとして間違うことはなかったという。
村上帝は「少しでも誤りを見つけて終わりにしよう。」と、女御のあまりに立派なお答えぶりねたましくお思いになって、試験をお続けになるうちに、(『古今集』の)半分の十巻にまでなった。『全くむだ骨折りだったなあ。』とおっしゃって、草子にしおりをはさんで寝室にお入りになったのも、仲睦ましくてまたすばらしいことですわ。
④村上帝による再度の試験
だいぶ時がたって、村上帝はご起床になると、このことは勝負が付かなくて終ったら、まことによろしくない、それに、後半十巻を、明日になったら、別の本をご参照になるおそれがあるとお思いになって、今日中に勝負を決めてしまおうと、灯火をおともしして、夜が更けるまでお読み続けになったのよ。でも、(女御は)最後までお負け申し上げずじまいでいらっしゃいました。
⑤女御の父師伊、娘のための祈祷
「村上帝が、女御のお部屋にいらっしゃって、こういう試験をお始めになりました。」などと、父大臣(師尹モロタダ)にご注進申し上げに使いを遣(つか)わせなさったのでした。
(師尹様は)たいへんご心配になって、あちこちの寺に依頼して、祈祷のための読経などをおさせになって、娘のいる宮中の方角に向かって、一晩中、失敗のないように、と祈り続けなさったそうです。興趣深いことでもあり、また、(親の子を思う気持ちに)しんみり心打たれることですね。」と中宮(定子)様がお話しなさいました。
中宮(定子)様のお話を、主上(一条帝)もお聞きになって、ご賞賛になりました。主上(一条帝)は、「私なら、三巻か四巻さえ読み終えられないだろうね。」と仰せになりました。
女房たちは、「昔は、下々(しもじも)の者たちも、みな風流を身につけていたと言いますわ。」「当世は、こんなすばらしい話は耳にしませんわ。」などと、中宮(定子)様の御前に侍(はべ)っている女房や、主上(一条帝)付きの女房で、こちらの御前に出るのを許されている人やらが参って、口々に称賛の言葉を述べている様子は、本当に、何の不足もなく、すばらしく思われました。
これまでの「古今の草子を(枕草子/二十段)2/2」原文・現代語訳はこちらへ
物忌について
「
物忌(ものいみ)」とは、暦の上や占いや夢見の見立てなどから「凶」の期間、行動を慎み、不浄をさけること。平安時代には陰陽道(おんみょうどう
こちらを)による
物忌が多く行われ、貴族などは
物忌中はだいじな用務があっても外出を控えた。
物忌中の人は家門を閉ざして、訪問客があっても会わないようにしました(
こちらを)。近代合理主義=モダンのパラダイムで考えたり行動している現代の私たちには奇妙な習慣にみえますね。でも、モダンに続くポスト・モダンからみると私たちの思考と行動原理である近代合理主義が未熟にも奇妙にも見えることになるということもあります。
村上帝の宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご=芳子ホウシ)への試験は、時間をもてあましがちな「物忌」だからこそ行われたこと。「物忌」の期間を天皇や后妃や仕えていた女房たちが宮中でどう過ごしていたのかが、リアルかつ詳細に描かれていて興味深い個所です。AIやイノベーションやロボットの進化によってしなければならない仕事がなくなったポスト・モダンの人間がするのは、これに類似することやart だったらよいのですが……?
村上帝の試問と定子の意図
②③④⑤の村上帝の宣耀殿の女御(芳子ホウシ)への試問は、『その月、何の折、その人のよみたる歌はいかに。』と詞書(ことばがき・和歌や俳句の前書き、その作品の成立事情などが書かれる)からその歌を答えさせるもので、①の、上の句を読んでその下の句を答えさせる定子のものより難易度が高いもの。宣耀殿の女御はよどみなく完璧に、しかも、控えめな言い方で答えた。宣耀殿の女御の教養の深さ、そして、上品優雅な人柄が偲ばれます。定子の試問に正答率の低かった女房たちの目指すべきモデルともなる話だったのです。
宣耀殿の女御の父左大臣(師尹モロタダ)が娘のために祈祷させたというエピソード、受験を控えた子どものために天満宮などに参拝祈願する現代の親を連想させ、1000年前も子を思う親心は変わらないようです。
定子の巧みに語られる話に、一条帝はとても感銘を受け、女房たちも感動している。と同時に、定子は、女房たちがいっそう教養を深めようと自ら思うように仕向けているようにも思われます。しかも、押し付けがましくなく、聞いている人たちが楽しめるような話し方で。
そんなすばらしい定子に仕えられていた作者(清少納言)の満ち足りた気持ちがこの章段を書かせているようです。
「枕草子」とは
日本語はそれを表す文字を持ちませんでしたが、1200年ほど前の平安時代の初期に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情や情景の文章表現ができるようになっていったのです(除く万葉仮名時代)。
このようにして、かな文字で書かれる〈物語〉という新しい文学に発展していきました。文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした「竹取物語」や、社会で語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した「伊勢物語」などが書かれたとされています。
さらに、1000年程前、見聞きしたことや、自然・人事についての感想・考え・評価などを自在に記した『枕草子(まくらのそうし)』を清少納言(せいしょうなごん)が書き表しました。今で言う〈随筆〉というジャンルとなります。中宮定子(ていし・さだこ)に仕えた宮中生活の体験や、感性光る「ものづくし」を自在に著わし、「をかし」の文学と言われています。『枕草子』も、日本人独自の感受性、ものの見方、思考の組み立て方の原型の一つとなっているといえます。
「古今の草子を」の前段「清涼殿の丑寅のすみの(枕草子20段)~絶頂期の中の関白家」はこちらへ
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