若宮誕生
「紫式部日記」
~道長絶頂のひとこま、紫式部の本音は ?
『紫式部日記』は、文字通り『源氏物語』の作者紫式部が記(しる)した日記。中宮彰子(しょうし/あきこ)に仕えた時期の出来事や人間関係を、日記や手紙の形で綴(つづ)ったものです。全2巻から成り、紫式部の批評や愚痴ともいえる内容も含まれています。平安時代の貴族の生活や文化を知る上で貴重な史料ともなります。
紫式部の『源氏物語』は世界史上初の長編小説です。四代の帝(みかど)の七十四年間にわたって、五百名にものぼる登場人物を見事に描き分け、和歌795首を詠みこみ、100万文字超で書き記され、壮麗な虚構の世界を展開しています。より詳しくはこちらを。
若宮誕生(「紫式部日記」)現代文による縮約
紫式部日記「若宮誕生」本文+現代語訳はこちらへ
十月十日余りまでも、中宮(彰子)様はお産の床からお出になりません。殿(道長)が若宮(皇子)を抱こうと、夜中にも明け方にもお伺いになさっては、乳母(めのと)の懐(ふところ)をお探りになるので、乳母がくつろいで眠っているときなどは、何やらわからないで寝ぼけて目を覚ますのも、とても気の毒に思える。殿が若宮(皇子)を「たかい、たかい」して、おしっこをかけられ、殿は「最高の気分だ」と、とても喜んでいらっしゃいました。
中務の宮(なかつかさのみや=村上天皇の第七皇子)に関することを、殿はご熱心になさって、私を中務の宮家に縁のある者とお思いになって、ご相談になるにつけても、本当に心の中は、思案にくれていることが多い。
一条帝の(若宮ご対面のための道長邸への)行幸(ぎょうこう/みゆき)が近くなったというので、殿はお邸の内をますます美しく造作し手入れをなさる。人々が、実に美しい菊を見いだしては、根から掘って献上する。菊のいろいろな色に変色しているのも、黄色で見どころのあるのも、さまざまなようすに植え並べてあるのも、朝霧のかかる切れ目にずっと見通しているのは、ほんとうに老いもなくなるにちがいないという気がするのに、こうなのはどうしてだろうか。もの思いが少しでも世間並みな人間であったとしたら、このような折には風流好みにも振る舞い、若い気分になって、無常のこの世をも過ごすことであろうに。すばらしいことや、興味を引かれることを見たり聞いたりするにつけても、ただ思いつめた憂愁が引きつける面ばかりが強くて、憂鬱で、思いに任せずに、嘆かわしいことが多くなるのは、とてもつらいことだ。」水鳥たちが何のもの思いもない様子で遊び合っているのを見る。
水鳥を水の上とやよそに見む我も浮きたる世を過ぐしつつ
(水鳥を水の上に浮かんでいる、自分には関係ないものと、見ることができようか。この私も、水鳥のように浮いている不安定な生活を送っているのだ。)
あの水鳥も、あのように気ままに遊んでいると見えるけれど、それ自身は(水面下で懸命に足掻きをして)たいそうつらい生き方をしているようだと、わが身に思い比べられる。
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皇子(若宮)誕生の一か月後
藤原道長(ふじわらのみちなが)は娘を4人も入内(じゅだい。天皇の后となること)させ、天皇の外祖父(がいそふ。母方の祖父)として摂政(せっしょう 幼い天皇に代わって政治を行う役職)になるなど権勢(けんせい)を誇りました。「この世をば我が世とぞ思ふもち月のかけたることのなきと思へば(この世は自分のためにあるようなものだ。望月(=満月)のように足りないものは何もないと思えるから)」という歌は有名ですね。
この後、一条天皇の御子の若宮対面の御幸(ぎょうこう)を控え、自邸の土御門(つちみかど)邸はますます磨き立てられ、前栽(せんざい 庭の植え込み)には色とりどりの菊が植えられ見事です。しかし、作者紫式部はそんなようすを見ても心浮き立ちません。憂鬱で嘆かわしいことが多くなるのは辛いことだとも、池に遊ぶ白鳥を見ても、実は必死に足掻きをして苦しいのだろうと思ったりもします。地方官に就くチャンスを待ち続ける、不安定な受領(ずりょう)階級(=中流貴族)の悲哀を味わってきた作者は、国母(こくぼ)ともてはやされる中宮に仕えていても、心が晴れることはないのでしょうか。
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若宮誕生「栄華と権勢の裏面」関係系図
栄華と権勢の裏面
道長の父兼家は次男の道兼を使って、寵愛していた女御(にょうご 天皇の后)を亡くして悲嘆に暮れている花山天皇(かざんてんのう 上系図の伊尹=コレタダのご令孫)を詐欺的なやり口で出家退位させ(こちらを)、自分の娘・詮子(せんし/あきこ)の子の東宮(とうぐう=皇太子)を即位させました。これが一条天皇です。道長は兼家の五男であり、はじめ道隆・道兼という有力な兄に隠れてさほど目立たない存在でした。しかし、父兼家の死後に摂政を継いだ兄たちが相次いで病没すると、内大臣の伊周(これちか 道長の甥)と政権争いをし、ついには、伊周・隆家兄弟を左遷することに成功し、道長は左大臣となります。
道長は娘の彰子を一条天皇に入内させていました。そして彰子は敦成(あつひら)親王を出産。ここは一条天皇の道長邸への御幸の日に備えているある日の場面です。
一条天皇が若宮に対面のため御幸になる晴れの日が近づいているのに、作者は浮き立たず物思い勝ちのようです。道長の栄華と権勢の裏面には、見たくも聞きたくも知りたくもない醜悪な陰謀・術策と悲劇が存在するのを知っているからだろうかなどと考えるのは、考えすぎでしょうか ? 道長は長男頼通(よりみち)と中務の宮(具平親王)の姫君との結婚をすすめたいと思っていて、中務の宮(具平親王)と縁のあるものと思って作者に相談を持ち掛けるのですが、「まことに心のうちは、思ひゐたること多かり(ほんとうに心の中は、思案に暮れることが多い)」とも記しています。
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【参考】 ラジオドラマ
↓ 紫式部「紫式部日記」 ↓
投稿者の説明⇒「【出演】 ・紫式部:大島由莉子 ・藤原道長:呉圭崇 ・清少納言:五十嵐由佳 ・女房:内海祐紀、尼子真理、山川琴美 ※劇中、使用している音楽・効果音、画像は全て著作権フリーの素材です。」
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