「大鏡」とは
摂関政治(こちらを)の絶頂期を過ぎたころ、過去を振り返る動きが起こり、〈歴史物語〉(こちらを)という新しい文学ジャンルが産まれました。
それまで歴史は「日本書紀(こちらを)」のように漢文で書かれましたが、十一世紀中頃かなで「栄華物語(こちらを)」が書かれ、続いて、十二世紀に「大鏡」がかなで書かれました。
「栄花物語』は藤原道長賛美に終始していますが、「大鏡」は批判精神を交えながら、歴史の裏面まで迫る視点をも持ち、歴史物語の最高の傑作といえます。
中華の正史の形式紀伝体に倣って書かれています。二人の二百歳近くの老人とその妻、それに若侍という登場人物との、雲林院(うりんいん、うんりんいん。こちらを)の菩提講(ぼだいこう。こちらを)での会話を筆者が筆録しているというスタイルで書かれています。これも独創的な記述の仕方で、登場人物の言葉がその性格や場面に応じており、簡潔で躍動的、男性的な筆致と相まって、戯曲的効果を高めているものです。
「大鏡」は、約百九十年(語り手の世継の年齢とほぼ一致)の摂関政治の裏面史を批判的に描きだしていて、「枕草子」が正の世界を描いたのに対し、「大鏡」は負の世界を描いたともいえます。
花山天皇とは
冷泉帝と懐子の間に生まれた皇子。外祖父藤原伊尹(これただ) 。摂政であった伊尹の威光を背景に、誕生10カ月足らずで皇太子となり、984年17歳の時即位。ただし、即位時には伊尹 は死去しており、有力な外戚をもたなかったことは、2年足らずの在位という後果を招いた。好色や奇行に関するスキャンダルが伝えられています(こちらを)。その一方、『拾遺和歌集』を親撰したり、絵画・建築 などの芸術的才能に恵まれた方であったようです(こちらを)。41歳の時悪性の腫瘍を患って逝去されたとされています。残されたスキャンダラスな話題、反対勢力の悪意によって誇張された面があるともとらえるべきでしょう。
在位中実権を握っていたのは帝の外舅(がいきゅう)藤原義懐(よしちか)と乳母子(めのとご こちらを)藤原惟成(ふじわらのこれしげ)でした。その政策は、荘園整理令(こちらを)や武装禁止令・貨幣流通の活性化・地方行政の改革など革新的なものでした。特に、荘園の規制など利権を侵される関白藤原頼忠や兼家が反目し、花山天皇の退位によって事態を有利にしようとしていました。そのような背景があって、頼忠・兼家は花山天皇を退位に導いていったようです。
陰謀・暗躍・奸計による退位
即位してわずか2年で退位、そののち22年存命であった…健康面には問題はなかったと印象付けようとしているようです。また、「みそかに(こっそりと)」出家したとも書かれていて謎めいています。つまり、読者に、花山天皇の退位に唐突感や不自然な印象を与え、退位の真の事情に関心を持たせようとしているわけです。巧みな語り口です。
出家を決意したとはいうものの月が明るすぎると言ってためらったり、故弘徽殿の女御(忯子)の手紙を取りに帰ろうとしたりして、心は常に動揺しています。その天皇をともかくはやく花山寺(こちらを)へ送り届けてしまう役目を遂行している藤原道兼(粟田殿)は、気が気ではない。「(ご出家を)中止あそばすわけにはいきません。」と断定的に言ったり、「そら泣き」をしたり、演技力を発揮しています。そして、花山天皇の出家を見届けると、見え透いた嘘をついて、その場からずらかってしまう。十九歳の花山天皇は、そこでようやくペテンにひっかかったことにお気づきになって「我をばはかるなりけり(私をだましたのだな)」と言ってお泣きになるのでした。藤原兼家(大臣)が外戚(天皇の母方の親族)となり、摂政・関白として権力を手中に収めるための巧妙な罠(わな)と、その犠牲者の悲劇的な結末がリアルに描かれていることになります。
おそらく、公家たちの間でひそかに広まっていた数々のうわさや、作者が権力中枢にある人や関係者から直接聞いた話などを材料に組み立てられていると思われますが、私たちはまるで映画や動画を見ているかのように読み進めています。作者の並々ならぬ技量によると思わずにはいられません。
「弓争ひ(大鏡)~道長と伊周、ライバル意識の火花」もどうぞ。こちらです。
「きも試し/道長の豪胆(大鏡)~新しい理想の男性像」もどうぞ。こちらです。
「花山天皇の退位(大鏡)~陰謀・暗躍・奸計による退位」もどうぞ。こちらです。
「関白の宣旨/女院と道長(大鏡)~道長への関白宣旨、姉女院の暗躍」もどうぞ。こちらです。
「若宮誕生『紫式部日記』~道長絶頂のひとこま、紫式部の本音」もどうぞ。こちらです。
花山天皇の退位 解答(解説)
問1 髪下ろす(サ四の動詞です。)
問2 とうぐう 皇太子 (現代でも皇太子のお住まいを「東(春)宮御所」呼んでいます。)
問3 解答例…粟田殿がだまして出家させて退位させた。(19字 )
問4 解答例…もしかして無理やりに誰かが花山天皇と一緒に出家させもうしあげるのではなかろうか(← 前前文「もしさることやしたまふ」、その前文「御弟子にて候はむ」に着目してまとめます。)
花山天皇の退位 advanced Q.
1 解答例… わずか二年で退位したのは健康に問題があったからと考えるのが普通だが、退位後二十二年もご存命であったことは不自然な印象を与え、退位の真実に読者の興味をひこうとする意図。
2 解答例…「わたり」は自動詞「わたる」の連用形で、「神璽・宝剣」が既に「春宮の御方」のものになっている事情を曖昧にする「粟田殿」の意図が読み取れる。また、「わたし」は他動詞の「わたす」の連用形で、「神璽・宝剣」は実は「粟田殿」自身が渡したことを読者(聞き手)に暴露する、作者(語り手)の意図が読み取れる。
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