折節の移り変はるこそ
『徒然草』第19段
~中世最高の知性、兼好法師の四季論
『徒然草』とは
兼好法師によって鎌倉時代終わりころに書かれた随筆。『枕草子』(清少納言)・『方丈記』(鴨長明)とあせて日本三大随筆と言われています。
自然、社会、人間のありように対する思いを述べた随筆で、さまざまな角度から斬新(ざんしん)な感覚で切り込んだ作品。王朝文化へのあこがれ、有職故実(ユウソクコジツ。礼式・官職・制度などの由来など)に関する心構え、処世訓、自然美の新しい見方など、素材・対象は多彩を極めています。
仏教的無常観・老荘的虚無思想・儒教的倫理観が基盤にあるとされ、また、作者兼好法師は和歌四天王の一人に数えらたように、美的感受性にも優れています。
仏教的無常観・老荘的虚無思想・儒教的倫理観が基盤にあるとされ、また、作者兼好法師は和歌四天王の一人に数えらたように、美的感受性にも優れています。
「折節の移り変はるこそ」を現代語で
「ものごとの趣きの深さは秋こそ優れている」と人々は言うけれど、それもいちおうもっともなことだが、いまいっそう心を浮き立たせる季節は、春の景色であるようだ。その春のありさまは、鳥の声も格別に春らしくなって、のどかな日の光を受けて、垣根(かきね)の草も芽を吹く早春の頃から、少し春は深まり、霞(かすみ)が辺り一面にかかり、桜の花も次第に咲き出そうとする、その大事なよい時なのに、ちょうど折りも折りあいにく、雨風がうち続いて、気ぜわしく散ってしまう、その桜の木が青葉になっていくまで、人々はいろいろなことに、ただもう気をもんでばかりいる。花橘(はなたちばな)は、昔から懐旧(かいきゅう)の情を誘うものとして有名ではあるが、梅の香りによって過去のことも当時に立ち返って懐(なつ)かしく思い出されるものである。また、山吹の花が清らかに咲いている様子や、藤の花が、ぼうっとしてはっきりしないようすで咲いているのなど、すべてが捨てがたいものばかりである。
花橘
夏に入って、「灌仏会(かんぶつえ)と賀茂神社の祭りの頃の若葉が木の梢(こずえ)に涼しげに茂っているようすは、世の物悲しさや人を恋しく思う気持ちもつのるものだ。」とあるお方がおっしゃったことは本当にその通りである。五月になって、軒先(のきさき)に菖蒲(しょうぶ)をさす端午(たんご)の節句の頃、苗代(なわしろ)から苗を田に移す田植えの頃、水鶏(くいな)が戸をたたくような声で鳴くなどは、心細い感じがしないだろうか、実に心細いものである。六月の頃、粗末な家に夕顔の花が白く咲いているのが見えて、蚊遣(かや)り火をくすべているのも情趣のあるものである。六月晦日(みそか)の大祓(おおはらえ)もまた興趣(きょうしゅ)がある。
秋になって、七夕(たなばた)の星を祭るのこそ、本当に優雅なものである。だんだんと夜の寒さを感じる頃、雁(かり)が鳴いてくる頃、萩(はぎ)の下葉が黄色く色づいていく頃、早稲(わせ)を作った田を刈り取って干(ほ)すなど、何やかや趣(おもぶき)深いことが集まっているのは秋が特に多い。また、秋の台風の翌朝こそ、実に面白い。このように言いいつづけると、みな『源氏物語』『枕草子』などで使い古されているのだが、同じことを、もう、今さらこと新しく言うまいと思うのでない。心に思われて、もやもやたまったことを言わないのは、お腹がふくれていやなことであるから、筆の進むままにまかせては書き付けていくが、もちろんそれは、つまらない慰みが書きであって、書いていくそばからすぐに破り捨ててしまうはずのものであるから、人が見るに値するものでもない。
軒菖蒲(のきしょうぶ)
夕顔
稲の掛け干し
こうして明けていく元旦の空の様子は、暮れの昨日とは変わっているとは見えないが、うってかわって清新な心持がする。都の大通りの様子が、門松を立てめぐらして、陽気でうれしそうなのは、また情趣深い。
石清水八幡宮節分行事「鬼やらい」(こちらを)
本文+現代語訳はこちらへ
兼好の矜持(きょうじ)
わが国では森羅万象の中で、特に、その移り変わりのさまが著しい四季に着目されてきました。和歌集では、『万葉集』や『古今和歌集』などに四季を詠んだ歌が多数収められています。春の桜、夏の蛍、秋の紅葉、冬の雪など、自然の美しさが詠われています。
平安時代には、『枕草子』で作者の清少納言は、「春はあけぼの」で始まる第一段で、清少納言独自の観点からの四季のそれぞれの事象をとりあげて論じているのはとても有名です(こちらを)。また、『源氏物語』「少女」の巻では、春秋論争と呼ばれる場面で、紫の上が春を推し、秋好中宮が秋を推す形で、風流なやり取りが展開されているのも有名です。
このように、我が国では〈四季論〉と四季をめぐる詩歌が膨大に堆積されてきました。
ここで、読者としては、あの兼好法師が何をとりあげ、どういう観点でどういうことを言うのか興味深いが、兼好自身はそれまでの多くの韻文を含めた古典作品がプレッシャーとなっていたはずです。秋の風物を述べた後、「いい続けて、みな『源氏物語』『枕草子』などで使い古されているが、同じことを、もう、今更らしく言うまいとは思ってない。心に思い込んでいる、もやもやしたことを言わないのは、お腹(なか)がふくれていやなことであるから、筆の進むままにまかせては書き付けていくが、当然それは、相当慰み書きであって、書いていくそばからすぐに破り捨ててしまうはずのものであるから、人が見る価値があるものはない。 」という言い訳めいたことを述べた後に冬の話題に移っています。兼好ほどの思索者であり教養深い人で文筆力のあるの四季論、独特の味わいがあると思いませんか。
同じ『徒然草』の中でも、雪の日の手紙に雪を話題にしなかった手紙をとがめられたことや、秋の未明の恋人を送り出した後、すぐに戸を閉じず月を眺めている女性の優雅さについてなど、季節と密接に注目した話題が多い。
日本と古典
科学技術の進歩によって、私たちは飢えや寒さ暑さに苦しめられることも少なくなり、便利で快適な生活を手に入れたし、健康で長生きできるようになりました。離れた場所に快適に楽しく移動できるようにもなりました。でも、得るものがあれば失うものもできるのも真実。秋の訪れを実感したり、月を見て遠く離れて暮らしているいとしい人を思いやったり、風や虫の音・葉色の微妙な変化に感嘆するような感覚と感性が衰弱・退化したのは事実といえるでしょう。しかし、時々は、現代の小説や映画やアニメに日本独特の感性を感じる瞬間もあります。 やはり、文化伝統の生命力の強さを感じさせられます。
また、我が国は、これまで異質な勢力に突然支配されたり凌辱(りょうじょく)されることが少なくすみました。そして、近代はヨーロッパの文物を、第二次世界大戦後はアメリカン・カルチャーを受け入れ、さらに独特な文化として紡ぎ上げられてきました。
地球上で人々が今暮らしているそれぞれの土地は、これまでどんな勢力が暮らしていたのか、あるいは、どんな地域に移動したり侵入したりしてきたのか。移動・膨張・極限・滅びたりの興亡が、急襲・虐殺・収奪・陵辱を伴って続いてきました。しかし、この日本は、地政学上の条件が幸いして、身を守られる僥倖(ぎょうこう)に恵まれたと考えていいと思います。
現在、少子化・高齢化・労働力不足の解決法として、移民を積極的に受け入れようとする動きがあります。異なる民族を多数受け入れることは異なる価値観・思考法・宗教・歴史観・行動様式が入ってくることでもあります。労働力不足が解決できるとか、異文化との共生によってより豊かな文化になるとか両者がウイン・ウインの関係になるなどと単純素朴に考えるのはナイーブすぎます。また、狭量なナショナリズムで解決できるとも思えません。偶然と必然がないまぜになったシリアスな時代になりつつあると思わずにはいられません。この国はどういう国か、どういう方向へ向かえばよいのか、そのために必要なのは何か、何がよいのかが問われています。歴史や古典の素養、地政学的な現実の知識が必要です。
古典作品を読んだ後、こんなことを考えてしまいます。【2019.1.16記】
【古典朗読】現代語訳 徒然草(1)
(作)兼好法師 (訳)佐藤春夫
19段「折節の移り変はるこそ」は、27:16~33:31
本文+現代語訳はこちらへ
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