更級日記とは
作者は菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)。『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)は伯母にあたる。『源氏物語』成立後50年後位に成立。作者(菅原孝標の女=すがわらのたかすえのむすめ)が、その晩年(50代前半)に、少女時代の回想で始まり、成長して宮仕えをし、結婚し、親しい人との死別など女性としてたどってきたさまざまな経験を記しています。
をぎの葉/その十三日の夜(更級日記) 原文/現代語訳はこちらへ。
満月近くの夜の男と女
作者菅原孝標、15歳の時の記事。
満月近くの夜、二人の姉妹が眠れないままに語り合っている。夜、手持無沙汰に主従や近親者などと取り留めもない話をして過ごすのは当時の人々のあり方でした。姉はこの時は既婚でした。
すると隣家の女性の家の門をたたく音が聞こえてきます。が、女性の方は返事をしないらしく、訪れた貴人は笛を吹き澄まして去って行きました。かすかに聞こえてくる音から状況を想像しているわけです。姉妹は、その女と男の態度について和歌で唱和します。
作者は
笛のねのたゞ秋風ときこゆるになどをぎの葉のそよとこたヘぬと歌を詠(よ)んで隣家の女をつれないと非難します。満月のロマンチックな夜、「をぎの葉」と呼びかけたのに、女性はなぜその貴人を素直に受け入れないのだろうかと女性を責めているのです。
作者菅原孝標女は菅原道真(すがわらのみちざね)の子孫で学者の家柄に生まれました。兄の長能(ながとう)は著名な歌人で、母方の姪に『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)がいます。学問と和歌に縁の深い家系です。
作者は過保護な育てられ方をされたらしく、引込み思案な性格だったようで、結婚も遅れました。祐子内親王家(ゆうしないしんのうけ)に宮仕えに上がり、そのころ橘俊通(たちばなとしみち)の後妻となった。その夫も急死し孤独な生活となる。宮仕えにも失望し 、夫の死後、宗教にも没入しきれぬまま自己の半生を回顧して、この日記の筆をとるようになったようです。
今から960年ほど前に女性によって書かれた日記文学です。
をぎの葉/その十三日の夜(更級日記) 原文/現代語訳はこちらへ。
をぎの葉 問題解答(解説)
問1 な
(← 姉の会話文で「飛びうせぬれば」は、飛びうせてしまったらという文意となり、仮定条件となるところ。【完了の「ぬ」の未然形の「な」+「ば」】。)
問2 撥音便・ざる イ音便・あかし
問3 さき
問4 隣家の女性の呼び名
(夜更け、貴人がやって来て、供人に名を呼ばせるシチュエーション…もちろん、男性が女性に言い寄っているのです。)
問5 行ってしまったようだ
(← 「ぬ」は完了、「なり」は終止形に接続していて推定。)
問6 「姉」の、隣家の女性を訪れた男に対する、もっと呼んであげればよいのに、薄情だという感想。
(← 男がもっと呼びかけたら女も返事をしたろうに、男の強い愛の表現を待つ、それが女心だと、男をなじる歌。)
問7 菅原孝標女・平安時代・藤原道綱母・蜻蛉日記
a.Q
(1)作者
(2)をぎの葉と呼ばれる女性は、男の訪れを素直に受け入れるべきだったのに。
(「秋風」が吹けば「をぎの葉」はそよそよと音をたてるものである。それなのに「そよ(かすかな音)」とも返事をしないと、「そよ」を秋風と返事のかすかな声とにかけている。男を素直に受け入れない女を責める歌。)
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