竹取物語 3 (中)2022/03/04
火鼠の皮衣 竜の頸の珠 燕の子安貝
無文字言語から有文字言語へ
「竹取物語」は今から1100年以上前に書かれました。この物語、「源氏物語」の中で「物語のいできはじめの祖(おや)」と書かれていますが、私たちが読むことのできる、かな文で書かれた我が国最古の物語です。文学史上エポックメーキングとなるものです。
そのころは、現在みたいに評論や小説などが自在に書かれていたわけでないことは言うまでもないでしょう。
そもそも日本語は文字を持たない無文字言語(unwritten language こちらへ)でした。もっとも、文字はなくても、神話や伝説や歌は口承(こうしょう)されていました。そういうものを語り伝える語り部(こちらへ)という専門職もありました。
さまざまな経緯を経て、日本語をひらがな・カタカナ・漢字(=文字)で表記できるようになっていったのです(より詳しくは、コチラへ)。
平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、リアルな心情や情景の文章表現ができるようになっていきました。
このようにして、かな文字で書かれる物語が書かれるようになり、新しい文学に発展していきました。文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、歌の詠まれた背景についての事情を文字化した〈歌物語〉(伊勢物語)の二つが成立したとされています。
かぐや姫の嘆き(竹取物語) 原文/現代語訳はこちらから。
「竹取物語」~古代物語の世界
当時伝承されていたいくつものお話(説話)を素材にして、かぐや姫の出生から始まり、五人の貴公子のプロポーズ、帝の召しに応じず月の都に帰っていく物語として書かれています。複数の伝承を咀嚼(そしゃく)解釈し独自の表現で構成していくという、才能あるストリー・テラーの存在なくしては書かれなかった作品といえます。
多弁に語るかぐや姫
この年の春の初めころから物思いにふけるようになった姫は、まもなく月の都に帰らなければならないことを打ち明けなければならないのを、一日一日と先延ばしにしてきたのです。翁(おきな)たちを悲しませたくないからです。しかし、どうしても帰らなければならないのですから、いつまでも隠しているわけにはいきません。いったん打ち明ける決心がついた姫は、心のうちに秘めていた思いを語り始めます。
これまでの翁との対話は、翁が多弁に語ることが多かったのですが、ここでは、姫が主役となって自分の心情を語っています。数多くの出来事や体験をしてきた物語の現実が、自分の宿命を意を決して打ち明けるこの場面で、作者が姫にあふれるような言葉を語らせることになっているようです。伝奇という空想的・幻想的な物語ですが、後に成立した、自己表出性の強い傾向を持つ歌物語や日記文学に通じる表現性を感じます。
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