ゆする杯の水(蜻蛉日記)もっと深くへ !


ゆする杯の水(蜻蛉日記)原文/現代語訳はこちら


あらすじ

 ささいなことから夫の兼家と口論になってしまった。互いに悪口を言いあった末に、兼家は腹を立てて出てゆく仕儀となった。出ていく際に、兼家は息子の道綱に、「もう来ないよ。」と言い捨てて出て行った。大声をあげて泣く道綱をなだめたが、その後、五・六日も兼家からは音沙汰がなかった。心細くてぼんやりしていると、ふと兼家が出て行った日に使ったゆする杯(ゆするつき。頭髪を洗いくしけずる水を入れる器。)の水がそのままになっていて、水面にチリが浮いているのに気が付いた。「絶えぬるか影だにあらば問ふべきをかたみの水は水草ゐにけり」と詠んだ。その日に兼家はやってきた。すると、いつもの調子で日頃の恨みつらみもうやむやになってしまうのだった。


作者はどんな人か

 平安時代の女性の本名は、その多くは伝わっていない。『蜻蛉日記(かげろうにっき)』の作者は、藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母親だったので藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは。「右大将道綱の母」とも。)とよばれています。

 父親は地方官を歴任する中流階級の娘。少女時代、和歌の素養、漢詩文の知識、琴・絵画・裁縫(さいほう)の技芸を培(つちか)ったといいます。紫式部清少納言も同じような階級の出自(しゅつじ)です。


超訳マンガ百人一首物語第五十三首(右大将道綱母) 2020/12/04


夫の藤原兼家はどんな人か

 道長の父親と言ったら解りやすいでしょうか。時の右大臣師輔(もろすけ)の三男。藤原北流の嫡流(チャクリュウ 本家の家筋の意)、トップ階級の貴族。作者と結婚する前から藤原中正の娘時姫という正妻がいて、道隆・道兼・道長・超子(ちょうし)・詮子(せんし)らを産み、将来男子は摂関家の後継に、女子は入内(じゅだい。中宮・皇后・女御として内裏に入ること)して女御となるなどして藤原摂関政治の隆盛期を支えることとなりました



 どういう夫婦関係? 

 平安貴族の結婚の形は現代の私たちとはとはまったく異なる通い婚・招婿婚(しょうせいこん。こちらを)一夫多妻制で正妻は一人でした。

 兼家には妻妾(さいしょう)が十人ほどいたようです。作者は道綱を産みますが、兼家との不和がもとでこころ安まる日々はないようでした。中流貴族の娘が、正妻もいる権勢家(けんせいか)と結婚したのですから、複数の女性との関係は予想すべきでした。しかし、作者は兼家の愛情を一途(いちず)に求めたのです。

 当時の一夫多妻のあり方や身分差を考えれば、二人の夫婦関係はむしろよいものであったといえます。しかし、兼家の愛情を独占しようと、望むべくもないこと望んだところに作者の苦悩が続いたともいえます。
 

夫婦関係のリアル

 久しぶりに夫が訪れて昼間を過ごした。穏やかな気持ちで会話を交わしていたはずが、ふとしたことから口論になってしまった。兼家(かねいえ)の訪問が間遠(まど)うなことへの愚痴めいた事を口にしたのでしょうか。兼家は腹を立てて、道綱(みちつな)を呼び出して、「もう、ここには来ないよ。」と言い捨てて出て行ってしまったのです。道綱は大声をあげて泣きました。父親の捨てぜりふがよほどつらかったのでしょう。

 道綱は数えで12歳、当時は元服も近い年齢なので、大声をあげて泣くとはちょっと幼稚なのではないのか。作者から甘やかされて、年のわりには幼かったのかもしれません。あるいは、作者がこの場面を印象強くするために、そうであったかのように書いたのかもしれません。

 兼家(かねいえ)は、作者の家から帰る際、幼い道綱に「また来るよ。」と言い残していたらしく、道綱が片言を話すようになった時、その言葉を聞きおぼえて口真似をしていたという記述があります。だから、今回は、「もう、ここには来ないよ。」という父親の言葉に過剰に反応したのかもしれません。道綱の悲しみはそのまま作者の悲しみであったのです。

ゆする杯の水(蜻蛉日記)原文/現代語訳はこちら

『蜻蛉日記』とは 

 平安中期、藤原道綱母(みちつなのはは)の書いた回想録的な日記。時の右大臣藤原師輔(もろすけ)の三男兼家(かねいえ)の妾(しょう)となり、974年(天延2)に兼家の通うのが絶えるまでの、20年間の記事からなる。『蜻蛉日記』という書名は、日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし(⇒相変わらずのものはかなさを思うと、あるかないかもわからない、まるでかげろうのような身の上話を集めた日記と言えばよいのかしら)」より。

表現史上の位置

 「蜻蛉日記」は、今から1050年ほど前、女性が書いた最初の本格的な日記文学。内面に生起し起伏する名付けようのないものを言葉によって形象化して、理解可能化なものとして内面世界を構築していこうとしたともいえよう。表現史的には、「源氏物語」が書かれるのに不可欠であった作品と言われている。


ゆする杯の水 問題解答(解説)

問1①  ②  ④

問21.

  2.すぐさま (ただちに

問3 はかなき
(冒頭の一文にある。「はかなし」は、ちょっとした・頼りない・とるに足らないの意。ここでは、口論した後、夫が通ってこなくなり、心細い思いでいるという文脈で考える。夫婦の仲を頼りにならないものと考えている。当時の結婚制=通い婚招婿婚について知っていると読み取りやすくなります。)

問41.絶ゆ(歌の初めにある。ここでは、夫婦仲が終わるの意。)

  2.強意の助動詞「ぬ」未然形「な」+推量の助動詞「む」終止形「む」+念を押す終助詞「かし」

問5 胸つぶらはし・連体形・ひやひやする  心ゆるびなし・連体形・気の休まることがない  わびし・連用形・つらい

問6 平安時代・藤原道綱母・更級日記


advanced Q.

解答例…「ける」と人から伝え聞いた過去の出来事や、その時その場にいなかった過去の出来事を述べる時使われた助動詞が使われているから。
(過去の助動詞には「」と「けり」があるが、同じ過去でも、「」は体験過去、「けり」は伝聞過去とも呼ばれます。「けり」は、人から伝え聞いた過去の出来事や、その時その場にいなかった過去の出来事を述べる時使われた。)



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