「(先づ)隗より始めよ」は、現在では「言い出した者から実行せよ」の意味で使われていますが、典拠となった話では「賢者を呼び寄せたいなら、まず隗(私)のように劣った者を厚遇せよ」という意味で使われています。この問題本文は、『十八史略』から採られています。
『十八史略』とは
元の初頭(今から740年ほど前)、曾先之(そうせんし)の著。『史記』以下の十八の史書のダイジェストで、初学者向けに編まれた編年体(事件の起こった年月に従って記す形式)による通史。わが国には室町時代に伝わり、江戸自体を通じて幼年就学者のための読本として扱われ、戦前は小学校の教科書教材としても人気のあった史伝です。
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中華のレトリック
紀元前四世紀末、燕(えん)では、王の會(カイ、本来は「口偏」です。 昭王の父)が宰相の子之(しし)に王位を譲り、国の秩序が大いに乱れました。この内乱状態につけ込み、斉(せい)が燕に侵入し、子之(しし)を塩漬けの刑(こちらを)にして、會(昭王の父)を殺害しました。燕は滅亡同然の状態となったのです。燕の人々は太子の平(へい)を王に立てました。これが昭王です。本文で「斉因孤之国乱、而襲破燕(= 斉は私の国が混乱しているのに付け込んで、侵攻して燕を破ろうとしている)。」と書かれています。
父を殺し、自国の大半を支配している斉への恨みは、昭王にとって計り知れないものでした。昭王は斉に復讐し恥を雪(そそ)ぐには、燕の国力を強くしなければなりませんでした。そのために賢者の力を借りようとしたのでした。そこで昭王は臣下の郭隗(かくかい)に、ふさわしい賢者を推薦してほしいと言ったのでした。
先づ、間近にいる自分を厚遇せよ
郭隗(かくかい)は、王がそうお考えなら、まず、間近にいる自分を優遇せよと言いました。そうすれば郭隗(かくかい)程度の者があれほど優遇されているのなら、自分だったら高く評価され厚遇されるはずだと思い、優秀な者たちが次々と昭王の元へ赴(おもむ)いてくるはずだと言うのです。それをたとえ話を使って弁舌巧みに説いたのです。
「死馬骨」=「郭隗」と「千里馬」=「賢士」という、奇抜かつ分かりやすいたとえ話で昭王の心を惹きつけているのです。また、たとえ話(下の問6を参照)と主張がぴったりと合うものでありました。そしてさらに、自分の才智を認めて使ってくれる君主がいるのを願っている者たちが大勢いることを、よく知ったうえでの主張でもあったわけです。
はたして、優秀な人士たちが遠くから争うように燕に集まってきました。
しかるに、現代の大陸では「頭が割れ、血を流すだろうと」と、元首が口汚くかつ下品に対象国を罵ったり脅しつけたりして、中華の伝統から外れているのではないでしょうか…
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先づ隗より始めよ(十八史略) 問題解答(解説)
問1 a[ ともに ]b[ すすぐは ]c[ しめせ ] d[ つかふるを ]e[ いにしへ ]g[ より ]f[ エ ]
(文脈によって、用法・意味をとらえ、それに基づいて読めるようにしてください。)
問2 「不(一✓点)」「足(二)」(返り点、縦書き答案では正しく書いてください。)
問3 ②[ ウ ]④[ イ ]
問4 涓人をして千里の馬を求めしむる者
(使AB=使役の句形、「AをしてBしむ」と訓読、「AにBさせる」の意。「使」は使役の助動詞で「しむ」とかな書き。)
問5(1) 死 馬スラ 且ツ 買レ点・フ 之ヲ 。況ンヤ 生クル 者ヲ 乎。
( A 且 B。況 C。=抑揚の句形、Aすら 且 つB 。況んや Cをや、A でさえ Bである。まして Cにおいてはいうまてもない。)
(2)死んだ馬(の骨)でさえ、(五百金もの大金で)買ったのです。生きている馬なら、なおさら高く買うに違いない
問6 「隗」… 死馬 「賢於隗者」…千里馬
問7 あにせんりをとほしとせんや
(豈に~せんや=反語。)
問8 (1)…ア (2)…ウ
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