『徒然草』とは
仏教的無常観・老荘的虚無思想・儒教的倫理観が基盤にあるとされ、また、作者兼好法師は和歌四天王の一人に数えらたように、美的感受性にも優れている。
中心から周縁へ
秋の終わりのころ、しのび妻を訪問する高貴な人を描き、兼好は、この男女に心からの共感を感じている。
しのび妻との逢瀬もシチュエーションに応じ「よき程」を心得、相手の、「わざとならぬ」薫物(たきもの)や名残を惜しむ姿に、兼好は感心する。優なる人とは、すべてこの日常朝夕の心遣いが教養となっている人。
晩秋の月見をはじめ、ここで語られているすべてが、典型や殊更な作為〈=中心〉から距離をおいて、作為的な無作為ともいえるもの〈=周縁〉に価値を見出そうとする、中世的な美意識とも言えるでしょう。そして、これは現代の我々の意識や挙止動作に深いところで影響を与えていると考えてもいいと思います。
簡潔な表現が強いイメージ喚起力を持っていて、「★佳人薄命」譚にもなっており、武者小路実篤は、この段を「一遍の詩であり、美しい短編小説とも言える」と評しています。
中世の晩秋の夜更けを、もう一度兼好と共に散策してみませんか…。
★ 「佳人」とは、容姿の美しい女性のこと、または、品格や知性のある女性のこと。「薄命」とは、短命なこと、または、運命に恵まれないこと。
問1 (1)ながつき
(2)エ
(3)イ(「上弦の月」は7・8日ころ、「下弦の月」は22・23日ころの月。)
問2 「ある人」が従者に(自分が訪問したことの)取次ぎを申し入れさせた。(ほかにもいろいろ解釈の可能性がある。これが自然か。)
問3 (1)(客を送り出してそのまま)すぐに掛け金を掛けて中へ引きこもってしまたならば、残念であっただろう(に)。
(2)(客を送り出してそのまま)すぐに掛け金を掛けて中へ引きこもってしまわず、月を眺めつつ名残を惜しんでいた姿に感心してしまった。(「ましかば…まし」の反実仮想の用法です。この用法名も出題されます。(1)の仮定に基づく推定と(2)の事実を理解しておきましょう。)
問4 過去の助動詞「き」の連体形。体言止めに準ずる感動表現となる。(上に係助詞を受けない終止法になってる。この用法、連体形止めという。)
① 1.特に手入れをしていない雑草の茂っている庭に、ことさらにたいたわけではない香の匂いがしっとりと薫っていたこと。
2.客を送った女主人が、すぐに部屋に入って妻戸をしめてしまわないで、しばらく月を眺めていたこと。
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