「中納言まゐり給ひて」
『枕草子』
~清少納言の極上のしゃれ💕
「中納言まゐり給ひて」(枕草子)を現代語で
登場人物 中宮定子=一条天皇の后。中納言=藤原隆家、中宮定子の弟、中納言は大納言に次ぐ太政官の次官の高官。作者=清少納言。
中納言様が、中宮様のもとに参上なさって、扇を差し上げなさる時に、
こんなことは、にがにがしいことの中に入れてしまうべき事であるが、人々が「一つでも書き漏らすな」というので、どうしようもないと書いたしだいだ。
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「中納言まゐり給ひて」要旨
中納言(隆家)がやってきて、中宮のもとに扇を献上しようとするときに、今まで見たこともないほどのすばらしい骨だと自慢したので、わたくしが「では、くらげの骨でしょう」と言うと、中納言は笑って「このしゃれはわたくしのものとしよう」と言う。
清少納言のしゃれ
中納言が中宮に扇を献上するのに、その扇の骨を自慢して「まだ見ぬ骨のさまなり」と言ったのをとらえて、「人が見たことがない骨なら、あの(骨を持たない)くらげの骨なんでしょう」と奇想天外なしゃれを言った。中納言は一本取られたと清少納言の頭の回転のよさに感心した。
清少納言の言いわけ
中納言を感心させたことを、一女房ごときが中納言(上流貴族)をやり込めるようなこと言うなんて、自身では出過ぎたことをして「苦々しいこと」と思われると思うが、あったことは一つも漏らすことなく書き記(しる)せと人々から言われているので書いたのですと謙遜めいた弁明をしています。
しかしこの弁明の裏にある、中納言が舌を巻くような極上のしゃれを思いついて感心されたことを自慢し、その晴れがましさを書き残したい気持ちからこの記事を書いたことは隠しようがないのではないでしょうか。
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「枕草子」への道
平安時代の初期(今から1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情や情景の文字表現ができるようになっていったのです(万葉仮名時代は除きます)。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(伊勢物語)の二つが成立したとされています。
さらに、見聞きしたことや、自然・人事についての感想・考え・評価などを自在に記す〈随筆〉として、千余年ほど前清少納言によって『枕草子』が書かれました。中宮定子(ちゅうぐうていし)に仕えた宮中生活の体験や、感性光る「ものづくし」を自在に著わした「をかし」の文学と言われている。『枕草子』も、日本人独自の感受性、ものの見方、ふるまい方の原型の一つとなっているといえます。
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