中華最強の王、始皇帝の最期~(『史記』始皇本紀第六)

中華最強の王、始皇帝の最期  

 『史記』始皇本紀第六 


  不老不死の薬を求めた、最強の王=始皇帝

 秦の始皇帝(しんのしこうてい)は、チャイナの歴史上で非常に重要な人物です。彼は、チャイナを初めて統一した皇帝であり、多くの改革を行ったことで知られています。始皇帝の本名は嬴政(えいせい)で、紀元前259年に生まれました。彼が始皇帝と呼ばれるのは、彼が自らを「始めての皇帝」と名乗ったからです。


 秦の始皇帝が登場するまでの中国は、多くの小国が争う「戦国時代」と呼ばれる時代でした。この時代には、秦、楚(そ)、斉(せい)、燕(えん)、韓(かん)、魏(ぎ)、趙(ちょう)などの国々がありました。始皇帝は、秦国の王として即位し、これらの国々を征服していきました。彼が即位したのは若干13歳のときで、最初は大臣たちが国を支えていましたが、彼が成長するにつれて、彼自身が直接国を統治するようになりました。


 紀元前221年には、ついに全ての国を征服して中国を統一しました。これにより、彼はチャイナ初の皇帝となり、国の名前を「秦」としました。また、彼は、単に武力によって支配するだけではなく、統治の中央集権化を進め、法律や度量衡(どりょうこう=長さや重さの基準)、文字を統一して、国全体が同じ方法で物事を進めるようにしました。これにより、国内の混乱が減り、経済は発展しました。


 さらに、始皇帝は自分の権力を強化するため、多くの改革を行いました。彼は地方勢力を抑え込み、代わりに官僚制度を導入しました。官僚たちは始皇帝からの命令を忠実に遂行し、地方の支配を強める役割を果たしました。また、軍事力の強化にも力を入れ、高い防御力を誇る万里の長城の建設も始めさせました。この壁は、北方の遊牧民からの侵入を防ぐためのものでした。


 しかし、始皇帝の政策は非常に厳格で、多くの人々にとっては厳しいものでした。特に、彼の法による統治は厳しく、法を破った者には厳しい罰が課せられました。また、思想を統一するために多くの書物が焼かれたり、儒学者(じゅがくしゃ)と呼ばれる学者たちが迫害されたりしました。


 始皇帝は紀元前210年に亡くなりましたが、彼の業績は後の中国の歴史に大きな影響を与えました。彼の統一政策は、チャイナが一つの国としてまとまる基礎を作り、チャイナの国としての形が成立する一歩となりました。また、始皇帝のおかげで、現在の中国語の基本となる漢字も広く使われるようになりました。


 彼の死後も秦の支配は続きましたが、始皇帝の厳しい政策に不満を持っていた人々が反乱を起こし、秦王朝は短命に終わりました。それでも、始皇帝が作り上げた制度は、その後のチャイナに大きな影響を与え続けました。


  始皇帝の死(『史記』始皇本紀第六)を現代語で

 方士(ほうし=神仙の術を身につけた者)徐市(じょいち)たちは海上に船を漕ぎ出し、(不老不死の)神薬を捜し求め、数年たったが、入手できない。(それにかかる)費用が莫大で、始皇帝にとがめを受けるのを恐れ、嘘をついて申し上げるには、
「蓬來の藥は手に入れられます。しかし、途中で常に大きな鮫(さめ)のために苦しめられております。ですのでどうしても蓬來の島に行き着くことができません。恐れながら、弓の名手をお願いして一緒について行っていただき、かの大鮫が出てきたならたちどころに連発弓でこれを射止めていただきたいのです。」
と。始皇帝は海神と戦う夢を見たが、その海神はまるで人のような姿をしていた。このことを夢占いの博士に聞くと、
「水神というのは人間の目では見ることはできません。大魚や蛟龍(こうりゅう)の出現が水神の現れる兆候でございます。ただいま陛下は神を祈り祭り、手落ちなく謹みをあらわしておられるのに、このような悪神が出現しました。この悪神は当然除き去らねばならないものでして、そうすれば善神が招き寄せられましょう。」
と言った。そこで航海する者に命じて、大魚を捕獲する道具を持って行かせ、なんと始皇帝自身が連発弓を持ち、これを射止めようとした。瑯邪(ろうや)から北上し、榮成山まで来ても大魚の姿は見られなかった。之罘(しい)にやってきたときに、かの大魚が現れた。その中の一匹を射殺し、さらに海岸沿いに西に進んだ。


 平原津(へいげんしん)に到着した時、始皇帝は発病してしまった。始皇帝は死ということを口にするのをいやがった。だから側近たちは死ということを口にする者はいなかった。始皇帝の病状は目に見えて重くなっていった。始皇帝は勅書(ちょくしょ)をつくり、公子の扶蘇(ふそ=嫡男)に書きのこした。それによると、
「わが喪と咸陽で落ち合い、そこで初めて葬儀を行え。」
と。勅書は封印され、中書府の長官、趙高(ちょうこう)の事務の手元に残されていた。まだ扶蘇への使者には手渡されてはいなかった。七月丙寅(ひのえとら)の日、始皇帝は沙丘(さきゅう)の平臺(へいだい)というところで亡くなった。丞相(じょうしょう=宰相に相当する官)李斯(りし)は、始皇帝が崩御したために、諸国の公子や天下に騒乱が起こることを懸念したので、この事実を押し隠し、崩御の事実を公表しなかった。棺を温涼車(始皇帝用の車)の中に安置し、始皇帝から日ごろ寵愛された宦官(かんがん)を同乗させて側につけてやり、行く先々で食事を奉った。文官百官の奏する一切の事務も生前の通りにさせ、宦官もそのつど温涼車の中から役人たちの奏事を聞き、決済させたのである。ただ、始皇帝の子供の胡亥(こがい=始皇帝の18番目の男子)や趙高、さらに寵愛された宦官五、六人だけが始皇帝の死を知っていたにすぎなかった。


 中書府の長官趙高は以前、胡亥に学問や刑罰・法令について教えたことがある。胡亥は心ひそかにその趙高を寵愛していた。趙高は、そこで公子の胡亥、丞相の李斯と共謀して、始皇帝が封印した遺書を沙丘で賜(たまわ)ったと偽って、胡亥を立てて皇太子とした。さらに勅書を偽造して、公子扶蘇や・蒙恬(もうてん)に下し、罪状を一つ一つあげ、死を申し渡した。そして旅を続け、とうとう井径(せいけい)から九原に到着した。おりしも暑い気候にあい、始皇帝の棺の置かれている温涼車に死臭がし始めた。そこで、おつきの者に詔を下し車に一石の鮑魚(臭い魚のひもの)を積み、その悪臭で死臭をごまかした。

 さらに旅を続け、直道から咸陽(かんよう=都)に到着し、はじめて始皇帝の崩御を公表した。皇太子の胡亥は位をつぎ、二世皇帝となった。


 天下を統一し、すべての権力を一身に集めた始皇帝にとって、最後に残された問題は、自分の死だったのです。人間の力ではどうにもできないこの問題に対しても、始皇帝は挑戦しようとしました。そのために、始皇帝は莫大な国費を投入して不老不死の薬を求めさせましたが、結局は人間の辿るべき最期の運命から逃れることはできなかったのです。

 

「始皇帝の死」(『史記』始皇本紀第六)原文/書き下し文/口語訳こちら


【参考動画】『始皇帝暗殺』日本版劇場予告編

幼い頃より秦の人質だった、燕の太子は、秦王政に恨みをいだく。 太子始皇帝の暗殺を決意。刺客荊軻(けいか)を太子は国賓の礼をもって迎えた。やがて、荊軻始皇帝暗殺実行の時がくる。荊軻~始皇帝暗殺」はこちらへ。


  『史記』とは

 前漢の司馬遷(しばせん)によって書かれた史伝。今から2100年ほど前の紀元前90ころ成立。

 宮廷に保存されていた資料や古くから伝わる文献や司馬遷(しばせん)自身が各地の古老から聞き取った話などをもとにして書かれたとされています。

 帝王の記録である本紀(ほんぎ)、著名な個人の記録である列伝などから構成される紀伝体(きでんたい)と呼ばれるもので、司馬遷(しばせん)が創始した形式です。以降各王朝の正史の形式となりました。

 『史記』の最大の特色は、単なる事実の集積ではなく、個人の生き方を凝視した人間中心の歴史書であるという点にあります。歴代の治乱興亡(ちらんこうぼう)の厳しい現実の中を生きた多くの個性的な人々の躍動感あふれる描写と場面転換のおもしろさなどから、文学作品としても人気を保ってきた史書でもあります。

 今から2000年以上前、これほどの史書が書かれていたことに驚かされます。その頃はわが国は弥生時代であり、また、万葉仮名で書かれた我が国初めての歌集『万葉集』が編纂(へんさん)される約850年も前に書かれたことになります。

  司馬遷とは


 『史記』を著述、もしくは編者したとされる歴史家。
 中国前漢時代の人物。後世に残した影響は大きく、彼の残した史記は、歴史的だけでなく文学的にも重要視されている。
 20代のころには中国各地を旅行している。その後漢王朝に仕え、同じく仕官していた父の跡を継ぎこの書物の編纂を始めるものの、単独行動の末捕虜となった将軍李陵(りりょう)に対し弁護したため牢獄に繋がれ宮刑に処せられる。その後大赦(たいしゃ)により牢獄から出て6年、本書は完成する。
 また、歴史の考察や人物の評価においてはかなり合理的かつ辛辣(しんらつ)であり、三皇五帝の伝説に対して、現実的にはあり得ないだろうと前置きしつつも、伝説の分布している地域に共通点があると言う理由で「歴史」としてまとめたり、天の意思や超常的な存在による運命の変化などは否定し、本人の運命はあくまでもこれまでの積み重ねの帰結であると言う立場を貫いている。(この項、『ピクシブ百科事典』より)


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