源氏物語「二葉の松」(薄雲)~娘を手放すしかないかなしみ

 源氏物語「二葉の松」(薄雲) 

 ~娘を手放すしかないかなしみ 


明石の君の物語

 明石(あかし)の君(=明石の上)とは、物語中盤に登場する非常に重要な女性の登場人物の一人です。都ではなく、摂津国(せっつのくに)明石の地に慎ましく暮らしていました。父は明石の入道とよばれ、娘の明石の君を都の高貴な人と結婚させて我が家の復興を願っていました。光源氏が須磨に流され、その後明石に移った時、この明石の君と出会うことになり、まもなく女児を設けることになりました。
 この娘がのちに帝の后となり、源氏の孫が皇子として即位します。 つまり、明石の君は「次世代(女三の宮系統)の母」として、物語の血筋・運命を動かす重要な役割を担っています。

 『源氏物語』全体は光源氏の栄光と挫折、その後の宇治十帖(うじじゅうじょう⇒こちらへ)へと続く大長編ですが、「明石」巻から「少女(おとめ)」「玉鬘(たまかずら)」「藤裏葉(ふじのうらば)」巻あたりまでは明石の君(=明石の上)とその娘にまつわる内容がしっかりと軸になっていて、物語の中でもひとつの章立てのような重みを持っています。このことから「明石の君の物語」と呼ばれることになっています。


 つまり、「明石の君の物語」とされるのは、明石の君の生き方が『源氏物語』の中で一つの独立したドラマとして成立しているのです。明石の君の成長、恋愛、母としての生きざま、そして娘を通じた昇華――それらが複合的に描かれ、「一女性の人生の叙事詩」として読むことができるため、このような呼ばれ方がされているわけです。


※上の系図は、「源氏の君」と「明石の上」との間に産まれた「明石姫」が、「紫の上」の養女となって、「今上帝(きんじょうてい)」に入内(じゅだい=后として内裏に入ること)し「皇太子」を出産したことに着目してください。


 源氏物語「二葉の松」(薄雲)を現代語で

源氏、明石の上を説得する

 冬になっていくにつれて、大堰川(おおいがわ)のほとりの明石の上の住まいはいよいよ心細さが勝り、明石の上は落ち着かない心地ばかりしながら毎日を送るのだが、源氏の君も、
「やはりこのままではここに過ごすことはできまい。あの京の邸に近いところに移ろうと決心しなさい。」
とおすすめになるけれども、そちらに移っても、源氏の冷淡なところをたくさんすっかりと見極めてしまうとしたら、源氏の君に対して未練の残らない心地がするに違いないが、その時は何と言って泣こうかなどと言った風に心が乱れるのであった。源氏は、
「それではこの姫君をそこに移そう。このままでは不都合なことだ。私にも考えていることがあるからもったいない。紫の上に置かれては、姫君のことについては、以前から噂を聞いておいて いつも 姫君を見たがっていらっしゃるから、しばらく世話をさせて、袴着(はかまぎ)のことなども世間に聞こえる程度にはしようと思うのだ。」
と心を込めて お話になる。明石の上は源氏がそのようにお思いであろうと常々思っていたことであるから、いっそう 心が騒ぐのであった。明石の上は、
「あらためて(姫君が)尊い 身分として扱われなさっても、姫君の素性(すじょう)を世間が漏れ聞くならば、源氏の君はかえって取りつくろいがたくお思いになりましょう。」
と言って、姫君を手放しがたく思っているのは、無理もないのだけれども、源氏は、
「安心でないように扱われるのであろうかなどとはお疑いなさるな。あちらでは、何年にもなるが、このような子供もないのが寂しく思われるままに、前の斎宮(さいぐう)で大人らしくなっていらっしゃる方をさえ、無理にも自分の娘としてお扱い申している様子ですから、ましてこのように憎むにも憎めないような様子を、いい加減に見捨てようはずがない紫の上の気持ちなのだ。」
などと女君(紫の上の)ご様子の理想的なことも 話になる。

思い悩む明石の上

 本当に昔は、どのくらいの人ならご本妻になさるのかと、噂ながらも明石でも薄々聞かれた源氏の君の風流心が、すっかり落ち着きなされたのは、並一通りのご宿縁ではなく、紫の上のご様子も、大勢のご婦人の中で一番でいらっしゃるのだろうと想像されて、人の数でもない者がご一緒させていただける寵愛(ちょうあい)でもないのに、それでも明石からここまで出てきて、あの方も私のことをあきれたこととお思いのこともあろうか、自分はどうなっても同じこと、将来のあるこの姫君の 身の上も、いずれはあの方のみ心に従わなければならないであろう。そうであるなら、本当にこのように物心つかないうちに差し上げ申し上げようかと明石の上は思う。しかし、また、手放しては心配であろうし、手持ち無沙汰も 紛らわす方法がなかったら、どのように日を送ったら良いだろう。何によって時たまの源氏の君お立ち寄りもあるだろうなどと、明石の上はあれこれと心が騒ぐので、わが身のつらいことは限りがない 。

姫君を手放すと思いきる

 思慮深い人の判断でも、また陰陽師に占わせなどしても、
「やはり源氏のもとにお移りなさるならばここにいられるよりも良いでしょう。」
と一致して言うので、明石の上は心もくじけてしまった。源氏の殿もそうお思いになりながら、明石の上の 思っていることの気の毒さんに、無理におっしゃることができず、 源氏が、
「御袴着のことはどうなさるのか。」
とおっしゃる、そのお返事に、明石の上が、
「何もかも不甲斐ない私の身にそわせ申しては、なるほど 将来もかわいそうに思われますが、でも そちらに移って尊い人々に立ち混じっても、どんなに物笑いでしょう。」
 と申し上げるのを、 源氏の君はますます かわいそうに思いになる。源氏は吉日を選び 、日取りをお決めになって、そっと姫君を引き取るための準備のことなどをお命じになる。明石の上は姫君を手放し申すことは、やはりたいそう身にしみて辛く思われるけれども、 姫君の御ために良いはずのことをこそ願おうと我慢する。

別れの時がせまる

  「乳母(源氏の君が邸からつかわした)とまで別れてしまうのは、朝な夕なの物思いや、手持ち無沙汰をも語り合って慰め合ってきたのに、さらに一層頼りないことまで加わって、たいそう辛くきっと思われることだろう。」と、明石の上は泣く。乳母も、
「深いご縁があったのか、偶然にお会い申し始めてから長い間のお心遣いは、忘れがたく恋しく思われなさるでしょうから、ご縁がこれっきり絶えてしまいますことは、まさかございますまい。結局は、(明石の上も)二条院に移られるだろうと当てにしながら、しばらくでもおそばを離れて、思いもかけないご奉公をいたしますが、不安でございますよ 。」
と泣き泣き日を送るうちに、十二月にもなってしまった。

源氏、姫君を引き取りに来る

 この雪が少し溶けた頃、源氏が大堰川の住まいにおいでになった。いつもは明石の上は、源氏の君をお待ちかね申すのだが、あのことだろうと思われることのために胸が痛んで、人のせいでなく自分で求めたこととして後悔される。姫君をお移しするもしないも自分の心ひとつであろう、お断り申したら無理にはなさるまい、つまらないことであったと思われるけれども、今更をお断りするなどは軽率のようであると、強いて思い直す。たいそうかわいい様子で、姫君が明石の上の前に座っていらっしゃるのを、源氏はご覧になるにつけ、おろそかには思えないこの人の宿縁であることよとお思いになる。この春から伸ばし始めたお髪(ぐし)は 尼そぎ程度の長さで、ゆらゆらと見事で、顔つき目つきのつやつやとしているところなど言うまでもなく美しい。こんなにかわいい姫君を他人のものとして遠くから思いやる時の生みの親の心の惑いをご想像 なさると、源氏の君はたいそう 気の毒なので、繰り返しご説明になる。明石の上は、
「いえいえ、このようにつまらない私のような身分でないようにさえ 姫君を お扱いなさいますなら。」
と申し上げるのもものの、我慢できずに泣く様子はかわいそうである。

別れの時が来る

  姫君は無邪気で、ただお 車に乗ることばかりをお急ぎになる。車を寄せたところに、母君が自身で抱いてお出になった。片言の声はたいそうかわいくて、母君の袖を捕まえて、姫君は、

「母君もお乗りなさい。」

と引っ張るのもたいそう悲しく思われて、明石の上は

 「末遠き 二葉の松に ひきわかれ いつか木高き かげを見るべき(…生い先遠い小さい娘と今お別れして、いつになったら成人した姫君の姿を見ることができるのでしょう。)」

  最後まで言うことができず激しく泣くと、もっともであるよ、ああ気の毒だと源氏は、


 「生ひそめし 根もふかければ 武隈の 松に小松の 千代をならべん

…生まれてきた因縁も深いのだから、私たち二人のそばに、この姫君の将来を並べよう

気を長くね。」

と慰めになる。明石の上はその通りだと気持ちを落ち着けるけれども、こらえきれないのだった。乳母や少将といって品 良い女房だけが、お守りの刀や天児(あまがつ)という風なものを持って、一緒に車に乗る。お供の人たちの乗る車に、相当な若い女房や女の童(めのわらわ)などをのせてお見送りにつかわす。

 

二条院に到着する

 道々、あとに残った人明石の)の辛さを、源氏の君は「どんなに罪を自分は作ることか。」とお思いになる。暗くなった頃二条院にお着きになって、お車を寄せたとたん、二条院は華やかで大堰川(おおいがわ)の邸とは様子が異なるので、田舎びている女房たちの心地は、きまりの悪い思いをして奉公するのであろうかと思ったが、紫の上は西の渡殿(わたどの)を特にご用意なさって、小さいお道具類をかわいらしくおそろえになっている。乳母の部屋には西の渡殿の北に当たるところをお決めになった。若君は途中でお眠りになった。抱き降ろされても泣いたりなどはなさらない。紫の上の部屋でお菓子を召し上がったりなどなさるが、だんだんあたりを見回して母君が見当たらないのをさがして、かわいらしくべそをおかきになるので、源氏の君は、局(つぼね)にいる乳母をお呼びになってなだめすかしなさる 。(「薄雲の巻」より)


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