木曽の最期(平家物語) もっと、深くへ !


                巴御前(ともえごぜん)の雄姿

              
funnypig run作 木曽の最後:映画にしてみた 
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『平家物語』とは

鎌倉時代中頃までに成立した軍記物語。作者は未詳(みしょう)。

 平家の覇権(はけん)が確立したころから、壇ノ浦における平家の滅亡を経(へ)て、建礼門院(けんれいもんいん)の往生(おうじょう)に至る平家一門の興亡に焦点を合わせて描かれています。合戦譚(たん)や恋愛譚(たん)、説話や主要人物のエピソードが織り込まれ、これにこの時代特有の因果応報仏教思想儒教思想がからみあって、一大人間絵巻をくりひろげています。 

 盲目の僧形(そうぎょう)をした琵琶法師と呼ばれた芸人によって語られた語物(かたりもの)。琵琶によって『平家物語』を語ることを平曲といいます。

 合戦(がっせん)の場面は簡潔で力強い調子の和漢混交文で、情緒的な場面では流麗な七五調の文体でというように、場面に応じて巧みにかき分けられている。対句表現擬態語・擬声語の多用など、平安時代とは異なる語法が随所にみられる。

平曲とはどういうもの

【動画】琵琶演奏「祇園精舎
〜伝統音楽デジタルライブラリー 


 ずいぶんスロー・テンポだなと思いますよね。むしろ、現代が映像も、人々の話し方や動作も、そもそも、時間の流れ方が早すぎるのではないでしょうか。「コスト・パフォーマンス」とか「◯◯の最適化」とか、結果を効率的かつ短時間に求める産業社会、そのことを可能にする科学技術の進歩と社会システムが背景としてあるのでしょうか?

 現代の饒舌(じょうぜつ)すぎることば、鮮明で高速度で切り替わる映像に、中身が伴っているのかと疑問に思うこともあります。

 動画どころか画像などもちろんなく、文字を理解し高価な紙に書写された書物を読めるのはごくごく例外的な人であった時代、琵琶法師が琵琶を奏でながら語ることば(平曲)を聴きながら、ことば一つ一つに集中し、想像力をはたらかせ、風景や人物や出来事をありありと思い浮かべ、自分もその場面に生きているかのように聴き入っていた、名もなき人々。そんな人々にできるだけ近づいて、その人々自身を体験するように読むと、「平家物語」をより深く味わうことができるのではないでしょうか。


☆木曽の最期(平家物語)の原文と現代語訳はこちらへ。

木曽の最期(尾崎士郎訳「平家物語」巻九 29:23から開始) はこちら


登場人物について 

● 源義仲(みなもとのよしなか)… 平安時代末期の武将。2歳のとき父が源義平に殺されたのち,乳母(めのと)の夫中原兼遠(なかはらのかねとう)に木曾で育てられ,木曾次郎(きそのじろう)と称した。勇猛で射に長じた。1180 年以仁王 (もちひとおう) の令旨(りょうじ。皇太子・皇后の命令)に応じて挙兵し,その後平家軍を打ち破り、追撃して京都を占領するが、軍隊に統制がなく京都の人心を失い,また、後白河法皇の策謀に翻弄され、源義経範頼の率いる追討軍のため近江粟津(おおみあわず)で敗死。
 三百余騎をもって最後の戦をいどむ。武将として比類ない勇猛さの持ち主。反面、情深い人。(ともえ)を愛するゆえに、自らの面目を保つためにとを説得して逃がしてやる。
 そして、乳兄弟(ちきょうだい)の今井兼平(いまいのかねひら)に対しては、弱気・弱点をさらけ出すほど親しく、だだをこねるように一所に死にたいと言う弱みももつ人間として描かれている。

● 今井兼平(いまいのかねひら)… 父は木曾義仲 の養父で,兼平義仲とは乳兄弟(ちきょうだい)。1180 年9月,義仲の挙兵時から側近として活躍,木曾四天王の一人に数えられた。義仲に従って入京,1184 年1月,範頼義経の軍が京都に迫ると,義仲の命で瀬田を守ったが敗れ,帰京の途中,粟津で義仲に自害をすすめたのち,戦死。

 もはやこれまでと悟った兼平は、弱音をはく義仲を励まし、乳兄弟の主君として、深い思いやりと礼節を尽くし厳しくしかも冷静に、自害をして立派な最期を遂げさせようとする。

 この義仲兼平武士像と君臣の典型あるいは理想として語られ、平曲を聴いた聴衆もそう受け取って感動したのでしょう。武人と君臣のあるべき在り方として影響を与えていったといえます。
 これと同趣のストーリーが、浄瑠璃・歌舞伎などの演劇や、講談などの語りものや、小説などの読みもので繰り返し語られ、武士道の源(みなもと)となり、また、潔(いさぎよ)さを尊び世間(せけん)に恥じることはできないとかさらにその発展形として、自己主張より協調を重んじる(同調圧力が強いとか公衆道徳がかなり遵守されているとか)などの、日本人全体の行動規範の源ともなっていると考えられます。


● 巴御前(ともえごぜん)… 武勇をもって知られる平安時代末期の女性。源義仲の妾(めかけ)。中原兼遠(なかはらのかねとう)の娘。義仲に従って各地に転戦し功を立てた。1184 年源頼朝の命を受けた源範頼義経軍に宇治,勢多で敗れ,近江粟津に逃れた義仲に説得されて逃げ延び,のち尼となり,越後に移り住んだと伝えられる。

 美しい女性であり、かつ、武勇にも卓越し戦に帯同するキャラクター、日本文学にもまれな登場人物、興味惹かれます。

木曽の最期(平家物語)の原文と現代語訳はこちら


木曽の最期 現代語訳朗読
(尾崎士郎訳「平家物語」巻九 木曽の最期は29:23から開始) 
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名のりについて


 昔は聞きけむものを、木曾の冠者、今は見るらむ、左馬頭兼伊予守、朝日の将軍源義仲ぞや。甲斐の一条次郎とこそ聞け。互ひによい敵ぞ。義仲討つて 兵衛佐に見せよや。


 敵と近距離になり戦闘が始まる直前に、おのおの名のりをするのが作法であった。それは、敵に対しては自己を誇示するものであり、味方に対しては自らの武功を示すためのものでもあった。


甲冑(かっちゅう)について


 木曾左馬頭、その日の装束には、赤地の錦の 直垂に、唐綾威の鎧着て、鍬形打つたる >甲の緒締め、厳物作りの大太刀はき、石打ちの矢の、その日のいくさに射て少々残つたるを、頭高に負ひなし、滋籐の弓持つて、聞こゆる木曾の鬼葦毛といふ馬の、きはめて太うたくましいに、金覆輪の鞍置いてぞ乗つたりける。

 義仲名のり。勇壮で華麗な姿が、鮮明に思い浮かぶよう、無駄な言葉を排し簡潔鮮明に語られている。

 日本の甲冑は源平時代に最高度に発達したという。荘重優美をきわめた。死を恐れず武功をあげるー戦場は武人の晴れ舞台。


木曽の最期(平家物語)の原文と現代語訳はこちら

木曽の最期の朗読(尾崎士郎訳「平家物語」巻九 29:23から開始) はこちら


中華との違い 

 中華には、《木曾の最期》と同じようなシチュエーションに《項王の最期》があります。東アジア大陸で秦滅亡(紀元前206年)後覇(は)を争った項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)の抗争については、高校漢文で必ずと言っていいほど原文でふれます。また、歴史好きは、各種の小説や歴史書で詳しく知っています。しかし、項羽の最期の次の個所はなぜだかカットされています。『史記』、項羽が「自刎而死」したあとの記述です。漢字が得意な人は訓読できます。高校上級漢文です。

王翳取其頭,餘騎相蹂踐爭項王,相殺者數十人。最其後,郎中騎楊喜,騎司馬呂馬童,郎中呂勝、楊武各得其一體。五人共會其體,皆是。故分其地為五:封呂馬童為中水侯,封王翳為杜衍侯,封楊喜為赤泉侯,封楊武為吳防侯,封呂勝為涅陽侯。



口語訳⇒〔王翳がその首を取ると、その他の騎兵が揉み合いになりながら項籍の死体に群がり、数十人が互いに殺し合った。最終的に、郎中騎の楊喜ようき)、騎司馬の呂馬童、郎中の呂勝りょしょう)楊武ようぶ)がそれぞれ一体を手に入れ五人がともにその体を合わせてみればすべて是(まさしく項羽の死体)であった。故にその地を五つに分割して呂馬童中水ちゅうすいこう)王翳杜衍侯(とえんこう)、楊喜は赤泉侯、楊武呉防侯(ごぼうこう)、呂勝涅陽侯(でつようこう)に封じられた。]



 自害した項羽の遺体を、なんと、仲間同士で殺し合いをして奪い合い、結局、五分割して持ち帰り、その手柄で領地を与えられそこの大名(領主)になったのだと書かれています。漢王朝の正式の歴史書「史記」に語られているのです。

 動乱が常であり(現代でも年間10~30万件の暴動が発生しています→こちら)、かつ、敵の手に落ちたら、数万数十万人が住む城郭都市の中では、虐殺、略奪、レイプ、拉致(農耕奴隷や歩兵にするため)などが常であった大陸の常識と、穏やかな気候と食糧事情に比較的恵まれていた島国のそれとは異質だなと思わされます。

プロパガンダ

 脱線しますが、背景となる文化が異質なのに、「倭奴(わぬ)・小日本人たちも同じことをやっていたはずだ」と思い込んで、残虐な日本軍・日本人という誇張歪曲したフェイク・ヒストリーを国民・人民に刷り込み、記念館(こちらを)などの施設をつくり、プロパガンダを繰り返している隣国があります。統治する人民に隣国への敵愾心(てきがいしん)や憎悪を煽り立て、一党独裁を正当化したり、政権維持・浮揚、強力な外交カードに利用していることは、結局、両国の人々を不幸に導いていると言わならないないでしょう。

 私たちは、正確に深く知り、論理的に考える力を養いましょう。



平家物語「木曾の最期」 問題解答(解説)

問1 a…ひたたれ  b…かぶと  c…くら  g…あぶみ  h…めのとご

問2 弓矢取り  聞こゆる  いかにもなる

問3 d…尊敬・らる・連用形  e…受身・る・未然形(←「む」の接続は未然形)

問4  (← 1字の意志の助動詞は「む」のみ、「こそ」の結びとなっていることを見落とさないで。)

問5 ロ  ホ  へ

問6 自分の最期を覚悟し、巴だけは生き延びて欲しいと切望する気持ち。(←最後まで女を共にしていたと言われては聞こえが悪いという武士の体面を口にしているのは建前で、巴はとにかく死なせたくない、生き延びよと願う義仲の巴への愛情を語るセリフ、というコンテクスト。)

問7 自害(←直後に「太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける」とあることから明らか。)

問8 軍記物語  鎌倉時代  琵琶法師

a.Q

 1 解答例…鎌倉殿。自分を「将軍」と誇らしげに言い、その自分を身の程も弁えずに刃向かい滅ぼそうとしているのだ、と自分の気を引き立てようとする心理。(← 名乗りの場面であるが、自分を将軍と言い、相手を兵衛佐と見下す言い方をして自分自身を奮い立たせようとしている。)

 2 解答例…③は弱音をはく義仲を励まそうとするもので、④は自分と一緒に討ち死にしようとする義仲を諌め、自害して大将軍としての名誉を守らせうとするもの。ともに、主君に立派な最期を遂げてもらいたいという思いで共通している。


【動画】義仲の里 2011/11/23
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「木曽で養育され成人となり、当地で平家打倒の旗挙げをし、倶利伽羅の戦いで平家軍に圧勝、上洛した木曽義仲ゆかりの地、長野県木曽町(日義村)に行ってきました。」(投稿者)


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