1:30から現代語訳が始まります。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
『徒然草』とは
40歳になる前に死ぬのが見苦しくない?
もし、(あだし野〈墓地のある地として有名〉に置く)露が消えることがなかったり、また、(鳥辺山〈火葬場のある地として有名〉の)煙が消え去ってしまうということもなくなったりして、この世の終わりまで生き続けるのがならわしであるのなら、しみじみとした風情というものはない。この世は★無常であるからすばらしいのだ。
★無常…この世の中の一切のものは常に生滅流転〈しょうめつるてん〉 して、永遠不変のものはないということ
人間は、他の生き物に比べると長生きしすぎるのだ。長生きしたとしても、40歳になる前に死ぬのが見苦しくない。
現代のヒューマニズムからは理解しにくい主張ですね。
ところで、今から1100年ちょっと前、『古今和歌集』に国歌「君が代」の元となった次の歌が載せられています。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いはほ)となりて 苔(こけ)の むすまで
(旺文社文庫脚訳…あなた様の寿命は、千年も八千年も、小石が大きな岩になり苔が生えるようになるまで、いつまでも末長く続いてほしいものです。)
『徒然草(つれづれぐさ)』が書かれた700年前の日本人だって、この歌のように、長生きを願い長寿を祝っていました。
ここでは、兼好の仏教思想をベースにした独特な厭世(えんせい)思想と唯美思想が語られていると理解されます。
有名な「花は盛りに月は望月(もちづき)をのみ見るものかは。」(こちらからリンクできます)で主張されている、実物を目の当たりにするよりも心中で偲ぶことに価値を置いたり、完全なものより兆(きざ)し・未完のもの・終わりつつあるもの・なごりに価値を見出すと同様、長寿祈願・礼賛のような典型ではなく周辺に価値を見出す独特の美意識だととらえてもいいのかもしれません。
もし、(あだし野〈墓地のある地として有名〉に置く)露が消えることがなかったり、また、(鳥辺山〈火葬場のある地として有名〉の)煙が消え去ってしまうということもなくなったりして、この世の終わりまで生き続けるのがならわしであるのなら、しみじみとした風情というものはない。この世は★無常であるからすばらしいのだ。
★無常…この世の中の一切のものは常に生滅流転〈しょうめつるてん〉 して、永遠不変のものはないということ
人間は、他の生き物に比べると長生きしすぎるのだ。長生きしたとしても、40歳になる前に死ぬのが見苦しくない。
現代のヒューマニズムからは理解しにくい主張ですね。
ところで、今から1100年ちょっと前、『古今和歌集』に国歌「君が代」の元となった次の歌が載せられています。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いはほ)となりて 苔(こけ)の むすまで
(旺文社文庫脚訳…あなた様の寿命は、千年も八千年も、小石が大きな岩になり苔が生えるようになるまで、いつまでも末長く続いてほしいものです。)
『徒然草(つれづれぐさ)』が書かれた700年前の日本人だって、この歌のように、長生きを願い長寿を祝っていました。
ここでは、兼好の仏教思想をベースにした独特な厭世(えんせい)思想と唯美思想が語られていると理解されます。
有名な「花は盛りに月は望月(もちづき)をのみ見るものかは。」(こちらからリンクできます)で主張されている、実物を目の当たりにするよりも心中で偲ぶことに価値を置いたり、完全なものより兆(きざ)し・未完のもの・終わりつつあるもの・なごりに価値を見出すと同様、長寿祈願・礼賛のような典型ではなく周辺に価値を見出す独特の美意識だととらえてもいいのかもしれません。
兼好の目にしていた老人
兼好は、夭逝(ようせい/ようせつ)したいとか、逆に、長寿を願ったとしても、どちらも願うようにはかなえられるものではないことは分かりながら、この段のように主張しているのは、兼好が目にする公家・武士・僧侶の老人には、兼好が望む老成円熟の人、敬意を抱ける老人が見当たらなかったということなのでしょうか。老害・老醜(ろうしゅう)・老獪(ろうかい)・老残などの熟語があることからも、故(ゆえ)ないことではないのでしょうか。
ただし、この随筆が書かれた時代の平均寿命は30歳代と考えられています。よって、平均的な寿命を超えるまで生きていたくないと願望しているのでしょうか。現代では、男八十代、女九十代と、世界でトップレベルの長寿国となりました。だから、現代の感覚では80歳90歳になる前には世を去りたいとも理解されるのでしょうか。それならそんなにエキセントリックな主張とはならないとも思われます。
長寿はもちろんめでたいことですが、一方、認知症への対応や、介護従事者の慢性的不足、回復の見込みがない高齢者への胃瘻などの延命措置についての議論、医療介護費の増大化、労働人口の不足など、解決することが困難な問題が山積しているのも事実です。
兼好は、夭逝(ようせい/ようせつ)したいとか、逆に、長寿を願ったとしても、どちらも願うようにはかなえられるものではないことは分かりながら、この段のように主張しているのは、兼好が目にする公家・武士・僧侶の老人には、兼好が望む老成円熟の人、敬意を抱ける老人が見当たらなかったということなのでしょうか。老害・老醜(ろうしゅう)・老獪(ろうかい)・老残などの熟語があることからも、故(ゆえ)ないことではないのでしょうか。
ただし、この随筆が書かれた時代の平均寿命は30歳代と考えられています。よって、平均的な寿命を超えるまで生きていたくないと願望しているのでしょうか。現代では、男八十代、女九十代と、世界でトップレベルの長寿国となりました。だから、現代の感覚では80歳90歳になる前には世を去りたいとも理解されるのでしょうか。それならそんなにエキセントリックな主張とはならないとも思われます。
長寿はもちろんめでたいことですが、一方、認知症への対応や、介護従事者の慢性的不足、回復の見込みがない高齢者への胃瘻などの延命措置についての議論、医療介護費の増大化、労働人口の不足など、解決することが困難な問題が山積しているのも事実です。
異質な観点
ここでは、人は遅かれ早かれ死ぬべきもの、だからこそ大変よいのであるということが前提になっています。では、遅いのと早いのとではどちらがよいのかと論じていきます。
兼好は、永久に生き続けることができないこの世で、長生きをするとそれだけ恥をかくことも多く、むやみに名誉や利益をほしがる心ばかりが深くなるとしています。よって、長寿は望むべきでない、ますます欲深く外見だけではなく心も醜くなりがちだから……という結論。現代の生命尊重、長寿礼賛になじんだ私たちにインパクトを与え、考え込ませてしまいます。
兼好独特の厭世的かつ唯美的な思想が具現化されている段です。
齢(よわい)を重ねる者への自戒自省(じかいじせい)ともなる章段になるのかなとも思います。
今現在の価値観・美意識・思想を絶対視せずに、歴史上稀有(けう)の教養の持ち主であり、観察者であり、思索者である先人の主張に謙虚に向き合ってみると、ものの見方や理解の仕方が奥行きのあるものになるのではないでしょうか。
あだし野の露消ゆる時なく(徒然草) 原文/現代語訳はこちらへ
ここでは、人は遅かれ早かれ死ぬべきもの、だからこそ大変よいのであるということが前提になっています。では、遅いのと早いのとではどちらがよいのかと論じていきます。
兼好は、永久に生き続けることができないこの世で、長生きをするとそれだけ恥をかくことも多く、むやみに名誉や利益をほしがる心ばかりが深くなるとしています。よって、長寿は望むべきでない、ますます欲深く外見だけではなく心も醜くなりがちだから……という結論。現代の生命尊重、長寿礼賛になじんだ私たちにインパクトを与え、考え込ませてしまいます。
兼好独特の厭世的かつ唯美的な思想が具現化されている段です。
齢(よわい)を重ねる者への自戒自省(じかいじせい)ともなる章段になるのかなとも思います。
今現在の価値観・美意識・思想を絶対視せずに、歴史上稀有(けう)の教養の持ち主であり、観察者であり、思索者である先人の主張に謙虚に向き合ってみると、ものの見方や理解の仕方が奥行きのあるものになるのではないでしょうか。
あだし野の露消ゆる時なく(徒然草) 原文/現代語訳はこちらへ
あだし野の露消ゆるときなく 解答(解説)
問1 よそぢ
(四十歳のこと、二十歳・三十歳・四十歳・五十歳・六十歳=はたち・みそぢ・よそぢ・いつそぢ・むそぢ…年齢の数え方 ! )
問2 Dロ Eイ
(「あさまし」は平安時代は「あきれ果てる・思いがけない」の意、鎌倉時代では「情けない・嘆かわしい」の意で使われました。)
問3① 墓地のあった所(7字)
② 「あだし野の露」は「消ゆる」を導く序詞であり、「つゆ」は名詞の「露」と「少しも」という意の副詞の「つゆ」の掛詞である。 (「露」は「命」の比喩でもある。)
③ ホ (連用修飾と被修飾の関係。)
問4① この世はやはり、無常であるのが大変よいのである。(別解…人生というものは無常であるからこそすばらしい。)
② 解答例…長寿を願っても永遠に生き続けることはできないことであり、さらに、長生きすると現世に対する執着の種が増え、欲望にとらわれて老醜をさらすことになるから。
(「さだめなし」とは、「無常であること」。仏教の根本思想、一切のものは生じ変化して消滅していくということ。本文では「住み果つる」と対照となり、「住み果てぬ」と同意義として使われている。つまり死去することとなります。人は遅かれ早かれ死ぬべきもの。だから大変よいのである。では、遅いのと早いのとではどちらがよいのか。長寿は望むべきでない。外見だけではなく心が醜くなるから。仏教は死・老・病など苦しみに満ちている現世を否定するのが基本です。時代を貫いて存在する夭逝〈ようせい〉の美学が主張されているともいえるでしょう。ここでは、人は長生きせずに40歳を越さない程度で死去するのが見よいという主張の理由をまとめることになります。「住み果てぬ世に」「命長ければ辱多し」「世をむさぼる」を手がかりにします。)
問5 兼好 ハ
コメント
コメントを投稿