町小路の女/うつろひたる菊(蜻蛉日記)もっと深くへ !

町小路の女
/うつろひたる菊
『蜻蛉日記』
もっと深くへ ! 


要約すると

 夫がよその女にあてた手紙を見つけて疑ったが、やはり女の元へ通っていることがわかった。その後、私を訪ねてきた時に門を開けないでいると、その女のところへ行ってしまった。歌を詠んで送ったところ、無神経な手紙と歌が贈られてきて、本当に不愉快きわまりない。


 超訳マンガ百人一首物語第五十三首(右大将道綱母)2020/12/04

  『蜻蛉日記』とは

 平安中期、藤原道綱母(みちつなのはは)の書いた回想録的な日記。時の右大臣藤原師輔(もろすけ)の三男兼家(かねいえ)の妾(しょう)となり、974年(天延2)に兼家の通うのが絶えるまでの、20年間の記事からなる。『蜻蛉日記』という書名は、日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし(⇒相変わらずのものはかなさを思うと、あるかないかもわからない、まるでかげろうのような身の上話を集めた日記と言えばよいのかしら)」より。

  作者はどんな人か

 平安時代の女性の本名は、その多くは伝わっていない。清少納言紫式部も姓名ではなく、通称です。『蜻蛉日記(かげろうにっき)』の作者は、藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母親だったので藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)とよばれている。

 父親は地方官を歴任するような、中流階級の娘。少女時代、和歌の素養、漢詩文の知識、琴・絵画・裁縫の技芸を培(つちか)ったという。


  夫の藤原兼家はどんな人か

 時の右大臣藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の三男。藤原北流の嫡流、トップ階級の貴族。作者と結婚する前に藤原中正(ふじわらのなかまさ)の娘時姫(ときひめ)という正妻がいて、道隆(みちたか)・道兼(みちかね)・道長(みちなが)・超子(ちょうし)・詮子(せんし)らを産み、将来男子は摂関家の後継に、女子は入内(じゅだい)して女御(にょうご)となるなどして藤原摂関政治の隆盛期を支えることとなった。




  どういう夫婦関係か

 平安貴族の結婚の形は現代の私たちとはとはまったく異なる招婿婚(しょうせいこん こちらを)。一夫多妻制で正妻は一人。

 兼家(みちかね)には妾妻(しょうさい=つまとめかけ)が十人ほどいたらしい。娘を入内(天皇の后となる)させるようなトップ階級の権勢家として普通のこと。作者は道綱を産むが、兼家との不和がもとでこころ安まる日々はないようであった。当時の一夫多妻のあり方や身分差を考えれば、二人の夫婦関係はむしろよいものであったといえる。しかし、作者は兼家の愛情を一途(いちず)に求めようとしたところに作者の苦悩が続いたといえよう。


  どんな贈答歌となるのか

 嘘を言って新しくできた妻(町小路の女)のところに行った兼家が、二・三日後の夜明け前頃に門をたたくが開けさせないでいると、またその妻のところへ戻っていた。翌朝、このままではおけないと、色あせた菊に添えてつけた歌。

嘆きつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る

 その歌への兼家の返歌。

げにやげに冬の夜ならぬまきの戸も遅くあくるはわびしかりけり (現代語訳はこちらへ)                  

 作者は歌で、「あくる」という掛詞を使い、〈嘆きながらひとり寝をする夜が明けるまでの間は、どんなにつらいものか、あなたはお分かりにならないでしょうね。〉と、兼家がさっさと新しい妻の元へ行ってしまったことを非難する。
 それに対して、兼家の歌は、作者の嘆きを慰めるようなものではなく、戸を開けてもらえなかった冷淡さを嘆く、作者にとって無神経なものだった。

 正妻もいる権勢家の男性との夫婦なのだから、複数の女性との関係は予想すべきであった。しかし、作者は兼家を独占することを望んだのでした。

  表現史上の位置

 「蜻蛉日記」は、女性が書いた最初の本格的な日記文学。内面に生起し起伏する名付けようのないものを言葉によって形象化して、理解可能化なものとして文字表現として構築していこうとしたともいえよう。
 女性の内面の懊悩、その屈折してアンビバレント(こちらを)な心理のひだを、これほど緻密に描いた作品は現存するものでは、「蜻蛉日記」を嚆矢(こうし。物事の初めの意)とします。この作品の成立なしには「源氏物語」は書かれることはなかったともいわれています。表現史・文学史上も重要な作品です。


                  

町小路の女/うつろひたる菊 問題解答(解説)

問1 a…ラ行四段動詞「やる」の未然形活用語尾「ら」に、意志の助動詞「む」の終止形「む」が続いたもの。 b…現在推量の助動詞「らむ」の連体形(「や」の結びとなっている。)

問2 cかんなづき(「かみなしづき」も可。)、d翌朝(朝の早い時分をいう。文脈によって、早朝または翌朝の意。)

問3 解答例…(兼家が)ほかの女のもとに送ろうとした手紙を、せめて確かに見ましたよとだけでも悟らせようと思って

問4 
(1)さ=副詞 / な=断定の助動詞「なり」の連体形「なる」の撥音便「なん」で、撥音の無表記 / めり=推定の助動詞「めり」の終止形
(2)兼家

問5 「あくる」が、夜が明けるの意と、戸を開けるの意の掛詞。

問6 それにしても、まったく不審に思うくらいしらばっくれているとは

(「さても」はソレニシテモの意の接続詞。「あやしかり」は形容詞「あやし」の用、不思議ダ・奇妙ダの意。「ことなしび」はバ行下二の動詞「ことなしぶ」の用、なにげないふりをする・そ知らぬふりをするの意。「たり」は存続の助動詞「たり」の連体形、ここでは、連体形止め=詠嘆表現。)

問7 平安時代・藤原道綱母・更級日記

a.Q

advanced Q.1  解答例…兼家の浮気を今までは面と向かって責めたりしなかったが、今回は歌で強く責めようと、書き方もいつもより改まって書くことで効果を強めようとする気持ち。

advanced Q.2  解答例…自分のわびしさを主張して、作者の嘆きには素知らぬふりをしていること。兼家の心変わりを嘆く作者の歌に対して、兼家が軽くあしらうような返歌をしてきたこと。




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