「枕草子」とは
日本語は文字を持たないことばでしたが、平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情や情景の文字表現が自在にできるようになっていったのです。
このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、当時語られていた歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(伊勢物語)の二つが成立したとされています。
さらに、見聞きしたことや、自然・人事についての感想・考え・評価などを自在に記す〈随筆〉として、千余年ほど前清少納言によって『枕草子』が書かれました。中宮定子に仕えた宮中生活の体験や、感性光る「ものづくし」を自在に著わした「をかし」の文学と言われています。『枕草子』も、日本人独自の感受性、ものの見方、思考の組み立て方の原型の一つとなっているといえます。
三種の章段
兵衛(ひょうえ)の蔵人(くろうど)の才
登場人物は、二人。村上帝と兵衛の蔵人(ひょうえのくろうど。ここでは女官)。
話題は二つ。
初めは、村上帝は雪がとても降る夜に器に梅の花を挿させなさって、兵衛の蔵人(ひょうえのくろうど)に歌を詠めとご命じになった。いかにも風流な場面で、兵衛の蔵人がどんな歌を詠むか期待したのである。すると、兵衛の蔵人は「雪・月・花の時」と予想外の一句を口にした。白楽天(はくらくてん)の詩の一節である。この一節は「最懐君」と続くもの〈下注〉。「この上もなく上さま(帝)を敬慕申しています。」と婉曲にいうことになる。村上帝はとてもお褒めになったという。
〈注〉白居易の詩文集『白氏文集(はくしもんじゅう)』の「琴詩酒友皆抛我。雪月花時最憶君= 琴詩酒の友は皆我を抛(なげう)つ。雪月花の時最も君を憶(おも)ふ。=共に琴を奏(かな)で、詩を吟じ、酒を飲んだ友は、皆私を離れてしまったが、雪や月や花が美しい時は、いちばんに君のことを思う。 」(巻二十五)をもとにしたやり取り。
第二は、ある日の殿上の間での出来事。角火鉢(かくひばち)から立ち上る煙は何が燃えているのか見て来いと言われ、兵衛の蔵人は見届け戻って、蛙が燃える煙でしたと藤原輔相(すけみ)の技巧に富んだ歌(=わたつ海のおきにこがるる物見ればあまの釣りしてかへるなりけり)で報告した。とてもしゃれた言い方だ(〈下注〉。現代の私たちには残酷な話に思えるけど…?)。
〈注〉「帰る」と「蛙」、「漕がるる」と「焦がるる」の二つの掛詞と、「沖」「漕ぐ」「海人」「釣り」を「わたつ海」の縁語として使っていること。
この二つの話題に共通するのは、その場にふさわしい当意即妙の引用がなされていることだ。兵衛の蔵人にはその才能が抜きんでていたのでしょう。清少納言はそんな兵衛の蔵人に大いに共感してこの話題を書き残したと考えられます。
村上の先帝の御時に 問題解答/解説
問1 焼くる
(「焼く」は他動詞は四段に、自動詞は下二段に活用。ここでは後者の自動詞で「焼ケル」の意。よって、《け・け・く・くる・くれ・けよ》と活用。断定の助動詞「なり」に接続するので連体形の「焼くる」。)
問2 解答例…この上もない方だと思い申し上げています
(『白氏文集』の「最憶君」=「最も君を憶ふ」が省略されている。)
問3解答例
① 他に取り除く人がいなくて、煙が立ち上り続けることとなるのに必要だったから。
② 煙が立っている原因を確認する人が、兵衛の蔵人以外にいないこととなるのに必要だったから。
(「殿上の間に兵衛の蔵人以外誰もお控え申し上げていなかった」ので、炭櫃からけぶりの立ち上るままになっていて、何が燃えているのか確かめるのは兵衛の蔵人しかいなかったことになる。)
問4 解答例…あれは何(の煙)か見てまいれ
(かれ〈名 アレの意〉/は〈係助詞〉/何〈名〉/ぞ〈終助 念押し〉/と〈格助〉/見よ〈動 マ上一 見る 命〉。あれは何の煙か確かめよ。 )
問5 「帰る」と「蛙」、「漕がるる」と「焦がるる」
問6 清少納言・随筆・平安時代中期・定子
a.Q
解答例…「雪月花ノ時ニ」の直後の詩句「最モ君ヲ憶フ」を暗に伝えようとしている。帝への尊崇を婉曲に言うため。(問2と関連。)
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