「伊勢物語」への道
日本語は文字を持たない言葉でしたが、平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情や情景の文字表現ができるようになっていったのです。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。
文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした〈作り物語〉(「竹取物語」など)と、歌の詠まれた背景についての話を文字化した〈歌物語〉(伊勢物語)の二つが成立したとされています。
「伊勢物語」の主人公は業平
「伊勢物語」は現在残っている最古の歌物語です。初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。
初め在原業平の家集を母体として原型ができ、その後増補を重ねて、今日の形になったようです。
在原業平になぞえられる主人公「昔男(むかしおとこ)」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集です。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の段もあります。
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『伊勢物語』は在原業平(ありわらのなりひら)の一代記とされます。惟喬親王(これたかのみこ)は天皇の第一子でありながら、母が藤原氏でなかったため帝位につけませんでした。業平とは親しい関係。★高子(たかいこ)は藤原長良の娘、のちに清和天皇の女御となりました。一時、業平と恋愛関係にあったが、身分の違いからその恋は許されないものでした。
「男」そして「女」は誰か?
女は、「ひんがしの五条」の「おほきさいの宮」の屋敷の西の対の屋に住む人、すなわち、藤原高子(たかいこ、こうし)であるとされ、清和天皇の女御となった「二条后(にじょうのきさい)」とわかるように書かれています。
高子が入内(じゅだい=后として宮中に入ること)する以前に業平と恋愛関係にあったと思われていたようです。この『月やあらぬ』で高子が姿を消したのは、后がね(后候補)の高子を業平から引き離すためとも、入内したからとも解釈できます。悲劇の結末となったのです。
変化したものしないもの(修辞・解釈について)
①〈月や(昔の月)あらぬ〉と〈春や昔のはるならぬ〉が対句ととらえられます。
②「や(係助)」は、疑問とも反語とも解釈できます。
「や」が疑問
⇒変わらないもの = 自分
変わったもの = 月・春・女
今、目にしている月が、いや、それだけではなく、この春そのものが去年とはまったく別のものに見え、あの人を失った「我が身」だけが元のまま取り残されたようにと感じられている。
「や」が反語
⇒変わらないもの = 月・春・自分
変わったもの = 女
この春もこの月も、そしてあのひとを想うこの私も去年とまったく同じなのに、あのひとは姿を消してしまいもう逢うことはできなくなってしまった。
「疑問なのか、反語なのか?」、問題になってきました。上の二つを参考に考えてみて、その違いを味わってみてください。
月やあらぬ 問題解答(解説)
問1 在原業平
(六歌仙の一人です。六歌仙はほかに、僧○○○・文○○○・喜○○○・小○○○・大○○○ですよね。)
問2 明くる(カ行下二段活用の「明く」の連体形。上ニと下ニは間違いやすいので、曖昧な人はもう一度インプット。)
問3aむつき cこぞ
問4b 打消・ず・連用形 d 完了・り・連体形 e完 了・ぬ・連用形(それぞれ全正解で得点。)
問5① 本心からではなくて
② 去年のようすとは似るはずもなく
a.Q
1)初句および三句切れ。
2)今、目にしている月が、いや、それだけではなく、この春そのものが去年とはまったく別のものに見え、あの人を失った「我が身」だけが元のまま取り残されたようにと感じられている。
3) 2 5
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