『源氏物語』とは
源氏物語は、今から1000年余前(平安時代中期)、藤原道長の娘である中宮彰子(しょうし)に仕える紫式部によって書かれた。先行する伝記物語(「竹取物語」など)・歌物語(「伊勢物語」など)・日記文学(「蜻蛉日記」など)の表現史的蓄積の上に、このような高度な表現を達成することができたといわれる物語文学。
四代の帝(みかど)の七十四年間にわたって、五百名にものぼる登場人物を見事に描き分けて壮麗な虚構の世界を展開。
源氏は、晩春(ばんしゅん)だが桜が満開で霞(かすみ)がかかっている、珍しい山景色(やまげしき)を興味深くながめている、と読者が風景の中に源氏を視覚的に鮮明に想像できるように書かれています。
治療能力のある僧を、始めは「行ひ人(行者)」、北山(きたやま)で実際目にした時は「聖(ヒジリ 高僧」」、間近で会話した際は「大徳(ダイトコ 高徳の僧)」とかき分け、その能力に秀(ひい)でていることを印象づけようとしています。
京の自邸を出たのは暁(あかつき)だが、治療が終わったのは午後になっていたと、読者に時間の経過も意識させ、坂の下の屋敷を垣間見をする場面(こちらを)に読者を導こうとしているのです。
北山の春/わらはやみに(源氏物語) 原文/現代語訳はこちらへ。
『源氏物語』の受容について
話題はそれるが、70年余前敗戦した日本は戦勝国から戦争を始めた罪深い国家という烙印(らくいん)を押され、特に大陸・半島国家では反日を煽(あお)ることによって統治を強化したり、外交カードとして利用してきているという経緯がある。
さらに、国内でも反日のスタンスで論じ、大陸・半島国家の利益を代弁擁護することが進歩的かつ良心的であるかのような言論やジャーナリズムがいまだに大手を振っている。同じく、日本の伝統や文化の優れた点を述べることを反動として非難する風潮も続いてきました。
私たちは先人が残してくれた優れた文化伝統を、先入見なしに理解しなければならないのではないでしょうか。私たちはどこから来たのかを正しく知り、どこへ向かっていけばよいのかを知るために。
いずれにせよ、「源氏物語」は、さまざまな意味で世界に類がない文学作品(こちらを)であるといえるでしょう。
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北山の春/わらはやみに 問題解答(解説)
問1 あかつき 夜明け前(「未明」でも。「あけぼの」より早い時刻。)
問2b…(ハ行下二段活用をする)謙譲の補助動詞「給ふ」で、「行ひ人」が「光源氏」に敬意を表すもの。
(「見る/聞く」などの知覚動詞に続き、下ニ活用する「給ふ」は謙譲。)
d…丁寧の補助動詞「侍り」の連体形で、「御供なる人」が「光源氏」に敬意を表す。
問3 c…見下ろさ e…据ゑ f…見ゆる(前後の文意から。「据う」はワ行下ニ。)
問4 その行者がご病気(わらはやみ)を治せるか、急いでお試しになったらいかがでしょうか
(「め」は勧誘の助動詞「む」の已然、「こそ」の結びになっている。)
問5③…(こちらが気後れするような)立派な人が住んでいるというところであるようだね
④…(私が来ていることを)聞きでもしたら困る
(「もぞ/もこそ」は危惧・懸念の気持ちを表す時に使われた。~たら困る・いけないの意。)
問6 目の前の光源氏が高貴なお方であると一目瞭然で分かるようなようす。
(「しるし」は、はっきりしているさまの意の形容詞の語。「氏素性 うじすじょう」という言葉があるように、先天的にそなえもっている雰囲気 ?)
問7 平安 紫式部 彰子 藤原道長
2 夜明け前のまだ暗い時間帯に出発した。
3 目立たないいでたち出てかけた。
(光源氏ほどの高貴な方が出かけるには、供回りの者などの準備も大掛かりなものになるので、それを避けようとする光源氏の気遣い。「御供にむつまじき四、五人ばかりして(1)」、「まだ暁におはす(2)」、「いといたうやつれたまへれど(3)」・「あやしうも、あまりやつしけるかな(3)」と、人目を忍んだようすがさりげなく書かれている。)
Q2 初めは「行者」とごく一般的な言い方をして、次に「聖」と言って直接目にするといかにも修行を積んだ高僧という印象を持たせ、さらに「大徳」と徳を積んだ僧という言い方をして、この行者なら光源氏の病を治すの力を持っているのではないかという印象を持たせる意図。
(「行ひ人」とは行者、「聖」とは高僧、「大徳」とは徳を積んだ僧の意。初めはごく一般的に行者と言い、接触してみると、いかにも光源氏の病を治す能力を持っていそうな僧であることを読者に印象付けようとしている。)
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