須磨での天変(『源氏物語』明石の巻①)

 

 『源氏物語』については、「光源氏の誕生(源氏物語①)~四代の帝、七十四年間、登場人物五百人の物語のはじまり」をご覧ください。こちらです。


 光源氏27歳。光源氏は、政情が変化して不都合なことばかりが起こるので、須磨に退くことを決意する。その須磨で禊(みそぎ)のため海辺に出て祓(はらえ)をするうちに、にわかにかき曇り、防風・雷雨・津波などの危難にあう。風雨は数日続き、荒天の中を京から紫の上の使者がやってくる場面となる。


朗読『源氏物語』巻⒀「明石」与謝野晶子訳
2020/01/12
該当箇所 = 0:00~7:26


須磨での天変 1/3(源氏物語 明石の巻)

【あらまし】 幾日も激しい風雨と雷鳴が続く。源氏は不安で辛い気持ちでいるが、京へ帰ることはできないし、かといって、どこかに姿をくらますわけにはいかない。そんな中、びしょぬれの者が、京から紫の上の手紙を持ってきた。源氏の身を案じる手紙に源氏は涙があふれる。京でも異常な風雨がつづき、政(まつりごと)が途絶えてしまうほどだと、使者が恐れ戦きながら言う。


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1/3【與謝野晶子訳】(青空文庫より)

 まだ雨風はやまないし、雷鳴が始終することも同じで幾日かたった。今は極度に侘わびしい須磨の人たちであった。今日までのことも明日からのことも心細いことばかりで、源氏も冷静にはしていられなかった。どうすればいいであろう、京へ帰ることもまだ免職になったままで本官に復したわけでもなんでもないのであるから見苦しい結果を生むことになるであろうし、まだもっと深い山のほうへはいってしまうことも波風に威嚇いかくされて恐怖した行為だと人に見られ、後世に誤られることも堪えられないことであるからと源氏は煩悶はんもんしていた。このごろの夢は怪しい者が来て誘おうとする初めの夜に見たのと同じ夢ばかりであった。幾日も雲の切れ目がないような空ばかりをながめて暮らしていると京のことも気がかりになって、自分という者はこうした心細い中で死んで行くのかと源氏は思われるのであるが、首だけでも外へ出すことのできない天気であったから京へ使いの出しようもない。二条の院のほうからその中を人が来た。濡ぬれ鼠ねずみになった使いである。雨具で何重にも身を固めているから、途中で行き逢っても人間か何かわからぬ形をした、まず奇怪な者として追い払わなければならない下侍に親しみを感じる点だけでも、自分はみじめな者になったと源氏はみずから思われた。夫人の手紙は、

「申しようのない長雨は空までもなくしてしまうのではないかという気がしまして須磨の方角をながめることもできません。

 

浦風やいかに吹くらん思ひやる袖そでうち濡らし波間なき頃ころ」

 

 というような身にしむことが数々書かれてある。開封した時からもう源氏の涙は潮時しおどきが来たような勢いで、内から湧わき上がってくる気がしたものであった。

「京でもこの雨風は天変だと申して、なんらかを暗示するものだと解釈しておられるようでございます。仁王会(にんのうえ)を宮中であそばすようなことも承っております。大官方が参内(さんだい)もできないのでございますから、政治も雨風のために中止の形でございます」

 こんな話を、はかばかしくもなく下士級の頭で理解しているだけのことを言うのであるが、京のことに無関心でありえない源氏は、居間の近くへその男を呼び出していろいろな質問をしてみた。

「ただ例のような雨が少しの絶え間もなく降っておりまして、その中に風も時々吹き出すというような日が幾日も続くのでございますから、それで皆様の御心配が始まったものだと存じます。今度のように地の底までも通るような荒いひょうが降ったり、雷鳴の静まらないことはこれまでにないことでございます」

 などと言う男の表情にも深刻な恐怖の色の見えるのも源氏をより心細くさせた。

須磨での天変 1/3(源氏物語 明石の巻)原文/現代語訳はこちら

 

森村宜永「明石」


須磨での天変 2/3(源氏物語 明石の巻)

【あらまし】その翌日からまた大風が吹き、海潮が満ち、雷鳴がひどい。源氏に仕える者たちは不安で理性を失ってしまった。源氏は心を落ち着けて、住吉の神にこの天変を静めてほしいと祈る。周りの者たちも、神仏に、源氏をこの困難から救ってほしいと声を合わせて祈る。しかし、雷が居間に続く廊に落ちて火がついて燃える。厨などとして使っている所に源氏をお移しする。人々は声をあげて泣いた。

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2/3【與謝野晶子訳】(青空文庫より)

 こんなことでこの世は滅んでいくのでないかと源氏は思っていたが、その翌日からまた大風が吹いて、海潮が満ち、高く立つ波の音は岩も山も崩してしまうように響いた。雷鳴と電光のさすことの烈しくなったことは想像もできないほどである。この家へ雷が落ちそうにも近く鳴った。もう理智で物を見る人もなくなっていた。

「私はどんな罪を前生で犯してこうした悲しい目に逢あうのだろう。親たちにも逢えずかわいい妻子の顔も見ずに死なねばならぬとは」

 こんなふうに言って歎く者がある。源氏は心を静めて、自分にはこの寂しい海辺で命を落とさねばならぬ罪業はないわけであると自信するのであるが、ともかくも異常である天候のためにはいろいろの幣帛(へいはく)を神にささげて祈るほかがなかった。

「住吉の神、この付近の悪天候をお鎮めください。真実垂跡(すいじゃく)の神でおいでになるのでしたら慈悲そのものであなたはいらっしゃるはずですから」

 と源氏は言って多くの大願を立てた。惟光(これみつ)や良清(よしきよ)らは、自身たちの命はともかくも源氏のような人が未曾有(みぞう)な不幸に終わってしまうことが大きな悲しみであることから、気を引き立てて、少し人心地(ひとごこち)のする者は皆命に代えて源氏を救おうと一所懸命になった。彼らは声を合わせて仏神に祈るのであった。

「帝王の深宮に育ちたまい、もろもろの歓楽に驕(おご)りたまいしが、絶大の愛を心に持ちたまい、慈悲をあまねく日本国じゅうに垂れたまい、不幸なる者を救いたまえること数を知らず、今何の報いにて風波の牲(にえ)となりたまわん。この理を明らかにさせたまえ。罪なくして罪に当たり、官位を剥奪され、家を離れ、故郷を捨て、朝暮歎きに沈淪したもう。今またかかる悲しみを見て命の尽きなんとするは何事によるか、前生の報いか、この世の犯しか、神、仏、明らかにましまさばこの憂いを息(やす)めたまえ」

 住吉の御社(みやしろ)のほうへ向いてこう叫ぶ人々はさまざまの願を立てた。また竜王をはじめ大海の諸神にも源氏は願を立てた。いよいよ雷鳴ははげしくとどろいて源氏の居間に続いた廊へ落雷した。火が燃え上がって廊は焼けていく。人々は心も肝(きも)も皆失ったようになっていた。後ろのほうの廚(くりや)その他に使っている建物のほうへ源氏を移転させ、上下の者が皆いっしょにいて泣く声は一つの大きな音響を作って雷鳴にも劣らないのである。空は墨を磨すったように黒くなって日も暮れた。

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須磨での天変 3/3(源氏物語 明石の巻)

【あらまし】源氏はひどく疲れてうとうとしていると、夢に故桐壺院が現れて、源氏にここ須磨から立ち去れと告げる。また、上京して冷泉帝に源氏の件で言わなければならないことがあると言って立ち去った。源氏は目を覚ますが、故桐壺院の姿をぼんやりとはしていたが、はっきりと見たことを心づよくうれしく思う。また故桐壺院の夢を見ようとして眠ろうとするが眠入ることはできない。


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3/3 【與謝野晶子訳】(青空文庫より)

そのうち風が穏やかになり、雨が小降りになって星の光も見えてきた。そうなるとこの人々は源氏の居場所があまりにもったいなく思われて、寝殿のほうへ席を移そうとしたが、そこも焼け残った建物がすさまじく見え、座敷は多数の人間が逃げまわった時に踏みしだかれてあるし、御簾(みす)なども皆風に吹き落とされていた。今夜夜通しに後始末をしてからのことに決めて、皆がそんなことに奔走している時、源氏は心経(しんぎょう)を唱えながら、静かに考えてみるとあわただしい一日であった。月が出てきて海潮の寄せた跡が顕あらわにながめられる。遠く退(の)いてもまだ寄せ返しする浪の荒い海べのほうを戸をあけて源氏はながめていた。今日までのこと明日からのことを意識していて、対策を講じ合うに足るような人は近い世界に絶無であると源氏は感じた。漁村の住民たちが貴人の居所を気にかけて、集まって来て訳のわからぬ言葉でしゃべり合っているのも礼儀のないことであるが、それを追い払う者すらない。

「あの大風がもうしばらくやまなかったら、潮はもっと遠くへまで上って、この辺なども形を残していまい。やはり神様のお助けじゃ」

 こんなことの言われているのも聞く身にとっては非常に心細いことであった。

 

海にます神のたすけにかからずば潮の八百会(やほあひ)にさすらへなまし

 

 と源氏は口にした。終日風の揉もみ抜いた家にいたのであるから、源氏も疲労して思わず眠った。ひどい場所であったから、横になったのではなく、ただ物によりかかって見る夢に、お亡なくなりになった院がはいっておいでになったかと思うと、すぐそこへお立ちになって、

「どうしてこんなひどい所にいるか」

 こうお言いになりながら、源氏の手を取って引き立てようとあそばされる。

「住吉の神が導いてくださるのについて、早くこの浦を去ってしまうがよい」

 と仰せられる。源氏はうれしくて、

「陛下とお別れいたしましてからは、いろいろと悲しいことばかりがございますから私はもうこの海岸で死のうかと思います」

「とんでもない。これはね、ただおまえが受けるちょっとしたことの報いにすぎないのだ。私は位にいる間に過失もなかったつもりであったが、犯した罪があって、その罪の贖(つぐない)をする間は忙(せわ)しくてこの世を顧みる暇がなかったのだが、おまえが非常に不幸で、悲しんでいるのを見ると堪えられなくて、海の中を来たり、海べを通ったりまったく困ったがやっとここまで来ることができた。このついでに陛下へ申し上げることがあるから、すぐに京へ行く」

 と仰せになってそのまま行っておしまいになろうとした。源氏は悲しくて、

「私もお供してまいります」

 と泣き入って、父帝のお顔を見上げようとした時に、人は見えないで、月の顔だけがきらきらとして前にあった。源氏は夢とは思われないで、まだ名残(なご)りがそこらに漂っているように思われた。空の雲が身にしむように動いてもいるのである。長い間夢の中で見ることもできなかった恋しい父帝をしばらくだけではあったが明瞭めいりょうに見ることのできた、そのお顔が面影に見えて、自分がこんなふうに不幸の底に落ちて、生命(いのちも危うくなったのを、助けるために遠い世界からおいでになったのであろうと思うと、よくあの騒ぎがあったことであると、こんなことを源氏は思うようになった。なんとなく力がついてきた。その時は胸がはっとした思いでいっぱいになって、現実の悲しいことも皆忘れていたが、夢の中でももう少しお話をすればよかったと飽き足らぬ気のする源氏は、もう一度続きの夢が見られるかとわざわざ寝入ろうとしたが、眠りえないままで夜明けになった。

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その後の展開

 源氏の流謫(るたく)の地須磨だけではなく、京の朝廷においても、物のさとしがしきりに現れ、物騒がしくなる。雷雨激しく、冷泉帝の夢に、故桐壺院が御階の下にお立ちになり、御けしきいと悪しく、睨(にら)みなさったという。冷泉帝源氏のことをおっしゃったようだ。

 源氏は、夢のお告げに従って、訪ねてきたこの地の豪族明石の入道に導かれ明石に移る。やがて、明石の入道の娘明石の君と結ばれる。そしてこの二人間に生まれた姫君が東宮に入内(じゅだい)することとなる。


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須磨での天変 1/3(源氏物語 明石の巻) 問題

解答(解説)

問1 a数日 bいっそう e気がかりだ fみすぼらしい h畏れ多い

   j悲しみにくれる k不思議だ m知りたい 聞きたい   gしず


問2 c(「え…打消し」) dこそ(すぐ後の「め」は「む」の已然形、「こそ」の結びとなっている。) iさへ  l(「き」の連体形の「し」。「なむ」の結びであることに注意。)


問3①どうしたらよいのか

  ②人間なのかそれ以外の物か見分けなさることができず

  ④(京の)ひどい様子に驚き恐れている

問4 「波間」は、涙の絶え間(時)と波の絶え間(時)の両意に掛ける掛詞。「浦」と「波」が縁語。「なみ」を「無み」と「波」に掛けている。

問5 平安 紫式部 彰子 藤原道長

須磨での天変 1/3(源氏物語 明石の巻) 問題



須磨での天変 2/3(源氏物語 明石の巻) 問題

解答(解説)

問1 a断定の助動詞「なり」の連用形(「に〈断定の助動詞「なり」の連用形〉+や〈係助〉」~「あらむ」、「あらむ」の省略のパターン。) h格助詞 場所(直前に「所」などの場所の体言が補える。) j断定の助動詞「なり」の連用形(に〈断定の助動詞「なり」の連用形〉+て〈接続助詞〉、~デ・デアッテの訳語。) k完了の助動詞「ぬ」の連用形(「にけり」「にたり」の「に」は断定の助動詞「なり」の連用形。

   こそ(文末の「しか」の係り。)


問2 bいとしい cもちろんのこと d騒ぎ立てる e日本国 g是非を判断する

   iおおいどの

問3 今さら言いようもない

問4 完了の助動詞「ぬ」未然形+推の助動詞「む」終止形

問5 平安 紫式部 彰子 藤原道長

須磨での天変 2/3(源氏物語 明石の巻) 問題


須磨での天変 3/3(源氏物語 明石の巻) 問題

問1 a気味が悪い d賤しい eいい加減だ f見苦しい

    gもの足りない h気が晴れない

   bみす

   c完了の助動詞「つ」の連用形


問2 ①多くの潮流の集まるところ(大海原)に漂っていたであろうに

   ③生前のお姿のままで

問3 【解答例】はげしい嵐の中でしっかりしておられたこと

問4 「聞こえ」は謙譲語で、作者が故院へ敬意を表す。「たまへ」尊敬語で作者が光源氏へ敬意を表す。(謙譲語は行為の受け手に、尊敬語は行為の主体に敬意を表すは敬語法の基本知識。)

問5 【解答例】光源氏の罪は、無実であるから赦免せよということ。(故桐壺院は、源氏が不幸の底にあることが気がかりである、源氏が、住吉の神の導きに従って、この浦を去るように言っているという文脈。故桐壺院が朱雀帝に言いたいこと。)

問6 【解答例】「ほのかなり」とは「夢」だから。「さだかに」といったのは、印象がはっきりしていたから。それで強烈な夢の印象を言ったのだから矛盾しない。

問7 平安 紫式部 彰子 藤原道長


須磨での天変 3/3(源氏物語 明石の巻) 問題



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