鷲田清一
身体、この遠きもの
exercise
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身体、この遠きもの(鷲田清一)exercise 解答/解説
解答
問1 a 染 b 壁 c 襲 d 任意 e 自明
f 終生 g 逐一 h 繕 i 戻 j 悩
問2 A 物体 B ロ C 自由にすることができない (12字)
D イ E 一方が他方に密着したり埋没したりするとき (20字)
F ロ G 皮膚に包 ~ の肉の塊 H わたしが ~ ジや観念
問3 ト へ ホ ← すべて一致したものだけ得点
問4(1)身体は(変化したり記憶したりする)時間的な現象であるから。
(2)わたしたちの身体は、
問5 じぶんの顔はじぶんで見ることはできず、他人の反応を介して想像ないしは解釈するしかなく、その見ながら制御できない顔をむきだしにしにしているのはきわめて無防備だから。
問6 身体は、自分自身でもきわめて不完全にしか知覚できず、イメージとしてしか把握するしかないものだということ。(50字)
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解説
問1 漢字をないがしろにしないでね。確実に得点できるジャンルだよ。だから漢字の平常テストは地道にやってね。そして、定期考査の勉強はまず漢字から始めよう。それもただ漢字を覚えるのではなく、前後のコンテクスト(文脈)・内容を把握しなが進めてね。高校を卒業したら書き取りテストなど誰もやってくれません。高校までの蓄積が一生の漢字筋力となります。問2A 「身体」の対義語は「精神」が常識的。ここでは、「身に沁む(深く感じること)」など、身体が「精神」と同意義で使われたり、「白身の魚」のように「肉」の意味で使われたりする例を挙げ、「身体」が「物体」という意味で使われることがないことから、「身体」と対照になるのは「物 体」であるというという論理になっている。
B 「バイヤス」とは、偏った見方や考え・先入観や、調査をする際に起こるさまざまな偏りのことなどの意味でよく使用される語。ここでは直後の「わたしの経験をこれまでとは別の色で染め上げる…わたしと世界とのあいだにまるで壁のように立ちはだかる…よそよそしい異物として迫ってきさえする」と共通すること。
C 「意のままにする」とは、思い通りにすること。
D 「医学研究者にとって」の「一般」化された「身体」とは対照になるものとなる。
E この段落、および、前段落はややつかみにくいかもしれません。
「ものを捕る、つかむ、持つというかたちで、所有という行為の媒体として働いている」=「わたしが随意に使用しうる「器官」である」=「わたしは身体をもつ」=「対立や齟齬と いった乖離状態にある」
「身体をわたしは自由にすることができない」=「わたしは身体である」=「一方が他方に密着したり埋没したりするときもある」
ととらえて、もう一度コンテクストを理解してください。
F 「身体」が「わたしと身体との関係は、対立や齟齬といった乖離状態にある」=「わたしは身体を持つ」といえることもあり、「一方が他方に密着したり埋没したりする」=「わたしは身体である」といえることもあるというように、状況によってあり方を変えることを述べている箇所。「可塑」とは、粘土のように外力による変形がそのまま残ること。「身体」のあり方を比ゆ的に「可塑的にもの」と表現している。
G 同段落の冒頭。「わたし」という個人に存在する「身体」とは異質なものとされ、後に、「想像されるひとつの〈像〉」と述べられることになる。
H 「物質体としての「具体的」な身体をわたしはきわめて不完全にしか知覚できない」→「〈像〉としてのとりとめのない身体」→「わたしが抱く身体のイメージや観念」→「想像されるひとつの〈像〉」→「〈像〉としてしか近づけないみずからの身体的な存在」と本文にマークしてコンテクストを辿ってみてみよう。
問3 接続語(接続詞・副詞)や共通する語・語句(赤・緑・青)に着目しながら、前後関係を見極める。
イ わたしたちは靴の裏で、道が泥濘かアスファルトか砂利道かを即座に感知するのである。
ロ 見ず知らずのひとが、じぶんの家族なら抵抗がない至近距離に入ってきたとき、皮膚がじかに接触しているのでなくても不快な密着感に苦しくなる。
ハ たとえばけがをして、一時期杖をついて歩かなければならなくなったとき、持ちなれぬ杖の取っ手の感触がはじめは気になってしようがない。
ニ 感覚の起こる場所が掌から杖の先まで延びたのだ。
ホ 身体の占める空間はさらに、わたしのテリトリーにまで拡張される。
ヘ 同じようにわたしたちの足裏の感覚は、それがじかに接触している靴の内底においてではなく、地面と接触している靴の裏面で起こる。
ト が、持ちなれてくると、掌の感覚は掌と取っ手との接触点から杖の先に延びて、杖の先で地面の形状や固さを触知している。
問4(1)「いま・ここ」とは同段落にある「時間」の問題であり、具体的には「変化」するものであり「記憶」するものであると主張されている。
(2)「空間に限定する」ことが否定されているが、これは前段落に「空間」という語が3回使用され(キー・ワード)、身体の空間性について述べられていることに気づく。
問5 この段落は、「身体」が「不完全にしか知覚できない」ものであることを主張するもの。「身体」の中でも自分が自分であることの根拠とも言える「顔」に着目、その「顔」を自分がじかに見ることができないことを「怖い事実」と述べられている。「怖い」のは、なぜ…?
問6 問2の、「物質体としての「具体的」な身体をわたしはきわめて不完全にしか知覚できない」→「〈像〉としてのとりとめのない身体」→「わたしが抱く身体のイメージや観念」→「想像されるひとつの〈像〉」→「〈像〉としてしか近づけないみずからの身体的な存在」→「身体がわたしにとっては、知覚される物質体であるよりもむしろ、想像されるひとつの〈像〉である」を受けて、④の「じぶんがそれであるところの身体がじぶんから遠く隔てられている」=「身体、この遠きもの」(タイトル)ということになる。本文にマークしてとらえてみてください。
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