花は盛りに(徒然草 第一三七段) もっと深くへ ! 




徒然草「花は盛りに」
朗読|原文・現代語訳|
 

   『徒然草』とは

 兼好法師によって鎌倉時代終わりころに書かれた。枕草子』(清少納言)・『方丈記』(鴨長明)とあわせて日本三大随筆とされています

 自然、社会、人間のありように対する思いを述べた随筆で、さまざまな角度から斬新な感覚で切り込んだ作品。王朝文化へのあこがれ有職故実(礼式・官職・制度などの由来など)に関する心構え、処世訓自然美の新しい見方など、素材・対象は多彩を極めています。また、作者兼好法師は和歌四天王の一人に数えらたように、美的感受性にも優れている人です。
 

  『花は盛りに』要約

① 桜や月の見どころ
 《桜や月の趣は、満開の時や曇りなく輝いているときだけをよいとすべきではなく、雨に妨げられた月、家にこもって思いやる桜も情趣ふかい。咲く前の桜、散った後の桜の花も見がいがあり、花見ができなかった歌の詞書(ことばがき)もよいものだ。すべてものの初めと終わりは興趣があるもので、男女の情愛も十分思いが遂げられないところに、真の趣があり、月の景にしても、十分月光を鑑賞できないところが、かえって、趣ふかい。》


② 桜や月を観る態度
 《月や桜は現実に眺めなくても、心の中で思いやる風情もまた興趣ふかいものだ。教養ある人は風流を愛しても態度がさらりとしているが、田舎の人はその態度があくどくて何でも直接味わい、欲望を満たそうとして、物事を距離をおいてゆったり眺めることがない。》
  


  新しい美意識

 この段は、『徒然草』下巻の冒頭に据えられ、古くから人々に親しまれてきました。
 実物を目の当たりにするよりも心中でしのぶことに価値を見出したり、完全なもの・典型・絶頂より、兆(きざ)し・未完・終わりつつあるもの・名残りに価値を見出す独特な美意識の発見であるとも主張であるとも言っていいと思います。
 次の「三夕(さんせき)の歌」と共通する美意識と言えそうです。


 鎌倉時代初期に編纂された第七番目の勅撰和歌集である『新古今和歌集』に「三夕(さんせき)の歌」とされている歌があります。三夕(さんせき)の歌とは、『新古今和歌集』におさめられている、すべて「秋の夕暮れ」という体言(名詞)でしめくくられている3首の和歌のことです。

 
寂しさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ☆(361・寂蓮法師

 「このさびしさはどこから来るというものでもないのだ。真木(まき)の生えている山の秋の夕暮れよ。」という意です。

 秋の寂しさは、とくにこれという目に見えるはっきりしたものから伝わってくるのではない。華やかな紅葉もない、杉やひのき(「槙」)が茂る山の、秋の夕暮れのなかでつくづくそう感じた。



心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(362・西行法師


 「あわれなど理解するすべもない私にも、今はそれがよくわかるのだ。鴫(しぎ)が飛び立つ沢の秋の夕暮れよ。」という意です。

 世を捨て法師となり煩悩を捨てて無心なる私のような者にも、あわれな趣は身にしみて感じられるものである。シギが飛び立っていく秋の夕暮れはあわれふかいものだ。



見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ(363・藤原定家


 「見わたすと、花も紅葉もここにはない。海辺の仮小屋に訪れる秋の夕暮れよ。」の意。

 見渡してみると、あでやかな花も見事な紅葉も見当たらない。浜辺の粗末な漁師の小屋だけが目に映る、わびしい秋の夕暮れであることよ。
 浜辺のわびしい秋の景が詠まれているのですが、初めに提示した桜の花や紅葉の華やかな残像とが二重になって、奥深く不思議ともいえる世界を経験することになります。






  周縁の美

 〈中心」と「周縁〉というパラダイムがありますが、ここでは、「周縁」の美の発見とその主張と考えてよいでしょう。
 中世(鎌倉時代)になると、平安時代(古代)の典型的なもの(=中心に美を見出すことに飽き足らず、典型から外れたバリエーション、すなわち、周縁に美を見出す傾向が色濃くなります

 装飾的なものをできうる限り排除し、素朴なもの、華やかならぬものに風情を見出す美意識ともいえますし、幽玄わびさび美意識ともいえます。また、象徴暗喩を尊ぶ美意識に結晶していくとも考えられます。これらは能楽・茶道・書院造・水墨画・俳諧などに影響していきました。

【参考動画】
茶の湯への誘い 4 茶事「こころ」と「かたち」
'An Invitation to Chanoyu' #4 
'The Tea Gathering : Spirit and Form'
↓ ↓ ↓  



花は盛りに 解答(解説)

問1 a… のみ (←桜は満開だけが、月は満月だけが見る価値があるわけではないという文意から。)
   d… こそ (←後の「め」〈推量の助動詞「む」の已然形〉の係りになる助詞。)

問2 bは形容詞ク活用「多し」の已然形活用語尾。 cは過去の助動詞「けり」の已然形。

問3 解答例…物の観賞において、目で見るだけでなく、心で偲ぶという考え。
(29字。冒頭の、花はただ真っ盛りであるのを目で見ると限ったものではないとか、直前の、目にできない花に思いをはせるといういうことから考えてまとめる。)

問4 片田舎の人
 (「かたくななり」は、ものの情趣を解さないの意。田舎者は教養がなく趣味も低く、「都」に住む「よき人」の対極にあると考えているー現代では、トンデモ発言になるけれど。)

問5 解答例…手のとどかない所に去ってしまった恋人の居る所 
(男女の情愛について話題にしている箇所。思いを遂げることができない恋にもしみじみとした情趣があるものだというコンテクスト。「雲居」は、雲・大空という意で、ここでははるか遠く隔たる所の意。)

問6 月光 
(月・月の光の美しさについて述べられている箇所。「きらめく」はきらきら映るの意。)


問7 解答例…情趣を解することのできる教養人。
(16字。「よき人」とは、身分が高い人、教養があり上品な人が辞書上の意味。ここでは、真に情趣を理解するとは、という文脈であげている。字数制限を頭に入れてまとめます。)

問8 よそながら見る
(「あからめ」は、目をそらすこと。「まもる」は「目守(まも)る」、目を離さずじっと見つめること。わき目も振らずじっと見つめるとは対照的な見方は…?)

問9 よろづのこ
(「中心」と「周縁」というパラダイムがありますが、ここでは、「周縁」の美の発見とその主張と考えてよいでしょう。中世になると、平安時代の典型的なもの(=中心)に美を見出すことに飽き足らず、典型から外れたバリエーション(=周縁)に美を見出す傾向が色濃くなる。)



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