今著聞集(ここんちょもんじゅう)とは
今から770年ほど前(鎌倉時代)に成立した説話。『徒然草』とほぼ同時代。編者は、橘成季(たちばなのなりすえ)。多種多方面な話、七百話以上が収められている。王朝懐古の思いが強く、約三分の二が平安時代の貴族説話である。『今昔物語集」『宇治拾遺物語』とともに、日本三大説話集とされています。
独特のキャラクター
平安女流によって書かれた人たちとは、ずいぶん異なるキャラクターといえます。
藤原敦兼…ふじわらのあつかね。平安時代に実在した人です。冒頭に、見た目が醜いと露骨に語られています。妻に冷たくされても怒るでもなく、篳篥(ひちりき=こちらを)を吹き、今様を歌って心を慰めるような、おとなしく実直な性格の持ち主。
北の方(敦兼の妻)…これも実在した人物藤原顕季(あきかげ)の娘と考えられます。夫が容貌が醜いことに気づいて嫌になるような浅はかな性格ともいえるし、五節の舞を見物に行くまで夫の容貌に気づかなかったのは深窓(しんそう)育ちで世間ずれしていないともいえます。そしてその夫を無視したり、女房達にも世話をさせないようにするなど子供ぽくわがままな性格の持ち主ですね。
歌と音楽の力
敦兼は妻から冷たくされ、女房達からも無視され、仕方なく物思いにふけっていた。夜がふけ、月の光、風の音などすべてのものが身に染むようにわびしく感じ、篳篥(ひちりき)を取り出し、「白菊」に託して、妻の心が離れて行った悲しみを詠んだ今様を歌ったのです。
今様とは、平安中期から鎌倉時代にかけて流行した歌謡、多くは七・五の四句からなる。従来の歌である神楽歌(かぐらうた)、催馬楽(さいばら)、風俗歌に対して、現代風の歌という意味で「今様」と言いました。
敦兼の今様は、「かれ」が、よそよそしくなるの意の「離(か)れ」と、「枯れ」の両意に掛ける掛詞として用いられていて、妻の愛情が冷めてしまった寂しさを「白菊」に託して詠んだもの。
それを目にした妻は、さっと元の愛情を取り戻した。以来、夫婦仲はよくなった。妻は歌や演奏のすばらしさを理解する教養と感性を持つ女性であったのである。
ところで、平安時代の前期に初めての勅撰和歌集『古今和歌集』が編まれましたが、その冒頭に置かれた「仮名序」で紀貫之は和歌のもつ力について次のように述べています。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。
(力を入れないで天地の神々を感動させ、目に見えない鬼神をもしみじみとした思いにさせ、男女の仲を親しくさせ、勇猛な武士の心を和らげるのは、歌なのである。)
歌や音楽の持つ不思議な力とは、現代の私たちが芸術やスポーツから感動や勇気をもたらされるということにも通じるとも言えるでしょう。
刑部卿敦兼と北の型 解答(解説)
問1 北の方の夫敦兼を疎ましく思いがつのって、傍で見ていられないほどひどい様子。
問2 だに(2文中にある、最小限の限定の副助詞。現代語で~サエ。)
問3 形容動詞「静かなり」の連用形「静かに」の活用語尾「に」+接続助詞「て」
問41.今様(歌)(多くは七・五の四句からなる。平安中期から鎌倉時代にかけて流行。神楽歌、催馬楽、風俗歌に対していう。)
2.「かれ」が、よそよそしくなるの意の「離れ」と、「枯れ」の両意に掛ける掛詞として用いられている。
3.妻の愛情が冷めてしまった寂しさ。(16字)
問5 優れた歌や演奏に感動し共感した、高い教養と感性の豊かさを。(「優なり」は、優雅・上品・風流だが辞書上の意味。)
1 敦兼が、篳篥を秋の夜更けの物寂しさにふさわしい音色で澄み渡るように吹いたこと。
(「時の音」は、時節にふさわしい音色の意。「とり澄ます」は、澄むように吹くの意。「白菊」の咲く秋の夜更け、身にしみて恨めしい気持ちを歌と笛で慰めた。)
2 敦兼の篳篥と歌がすばらしかったから。
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