『徒然草』とは
兼好法師によって鎌倉時代終わりころに書かれた。『枕草子』(清少納言)・『方丈記』(鴨長明)と併せて日本三大随筆と言われている。仏教的無常観・老荘的虚無思想・儒教的倫理観が基盤にあるとされ、また、作者兼好法師は和歌四天王の一人に数えらたように、美的感受性にも優れている。
『徒然草』は、「ある人、弓射ること習ふに」や「高名の木のぼり」を読むと人生上の教訓集と見えますが、「神無月のころ」や「花はさかりに」は兼好の趣味論にも見えます。さらに、この「五月五日、賀茂の競べ馬を」や「大事を思ひ立たん人は」は死生観や無常観を論じるものにも見えます。
加藤周一さんの『「心に移りゆくよしなしごと」を次々と書きとめることで、多面的でしばしば相反する思想を一冊の小著にまとめあげた』という見方が、私には最も納得されます。
久しく隔たりて会ひたる人の(徒然草)原文/現代語訳はこちらへ
話の作法
久しぶりにあった際、自分の方の事ばかり語るのはつまらない。
大勢の中で話す際、身分教養のある人は一人に向かって語るが、そうでない者は相手かまわず語り面白がる。
話を聞く際、おかしい話にもほどよく応ずるのは上品で、つまらぬ話に笑うのは下品だ。
人を評する際、自分を引き合いに出すのは不快だ。
兼好法師が憧憬(しょうけい)する平安時代の貴族の作法によった論と言えよう。
みんなにうけることを言いたい、面白いことを聞きたい、みんなで笑いたいとする現代の風潮とは対極にある作法とも美意識ともいえます。また、アメリカ流ヨーロッパ流がよしとしている作法ともかなり異質。大陸と温帯島国の作法の違いか?しかし、兼好の主張、よく考えてみると、なるほどと感じる点があるのなら、こんな感覚が島国に住む私たちの文化伝統の源流の一つになっているからでしょうか?
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久しく隔たりて合ひたる人の 問題解答(解説)
問1(1) ウ
(「あいなし」は、不快で興味が持てない・不調和で筋が通らないさまに言います。)
(2) 久しぶりに会ったのに、気の置ける様子もなく、自分のほうのことを語り続けるから。
(直後「隔てなく慣れぬる人も、ほど経て見るは、はづかしからぬかは」に着目、そうであるはずなのに「わが方にありつること、数々に残りなく語り続くる」のが「あいなし」と述べられています。)
問2B エ (「こそ」の結びとなり、「あり」の已然形と考える。)
C イ (「ぞ」の結びとなり、「べし」の連体形と考える。)
問3 ア
(選択肢の中でウも迷うところ。「控えめで」「もの静かな」には直接触れていない、自己顕示の強い人への嫌悪が述べてあるととらえられる。)
問4 兼好 ハ
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