富嶽百景(太宰治) 2/2 もっと、深くへ !

 太宰治
「富嶽百景」 2/2
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【名作朗読・字幕付】富嶽百景 太宰治 2021/02/26
富士には、月見草がよく似合う


あらすじ

 私は、昭和13年の初秋から11月にかけ、甲州(こうしゅう)三坂峠(みさかとうげ)の天下茶屋(てんがちゃや)に滞在しました。思いを新たにする覚悟で出た旅です。井伏鱒二(いぶせますじ)氏がそこで仕事をしていたのですが、氏の紹介で、私は甲府(こうふ)のある娘さんと結婚話を進めることとなりました。仕事のほうでは、毎日富士と向き合いながら作品を書くのです。おあつらい向きの富士の姿や、棒状の素朴に反発したりしながらも、念々と動く自分の愛憎とくらべ、のっそりと黙っている富士には感心するのでした。時に、巨大な富士に相対峙(あいたいじ)して、けなげにすっと立つ月見草に感動したりもします。仕事はなかなか進みません。新しい世界観、新しい文学を模索して、素朴な自然なもの、簡潔で自然なものを一挙につかまえる「単一表現」について思いをめぐらすのでした。一頓挫(いちとんざ)と思われた結婚話は、母堂と娘さんとの理解でうまく進行しました。寒さも厳しくなった山を下り、私は甲府に帰りました。(「富嶽」とは、富士山の別称。「百景」とは、さまざまの景の意。)


花の使い方

 小道具として「花」が巧みに使われています。



● 月見草 「富士には、月見草がよく似合う。」。『富嶽百景』でもっとも有名な一節です。
 月見草、空き地などにごくふつうに自生する花。その名が言うように、昼間はしおれているが、夜間に生き生きと花を開かせます。花瓶(かびん)にさして愛(め)でるようなことはされない、格別に注目されるというわけではない花。太宰はその花を、ささやかだが俗なる現実に対峙するものとしてピック・アップしているのです。三つ峠の老婆や茶店の娘さんがシンボライズされているとも考えられます。「富士と月見草」にはもちろん論理的には本来何の関係もありませんが、この小説のコンテクストで説得力を持つコンビネーションとも言えるし、太宰の発見とも言えるし、初めに言ったが勝ち?とも言えるでしょう。


● 薔薇(ばら) お見合いの場面、「娘さんの家には薔薇がたくさん植えられていた」とその家庭のモダンな趣味がうかがえるようさりげなく挿入されています。その家の中、「富士山頂大噴火口の鳥瞰写真」が「真っ白い睡蓮の花に似ていた」と書き、直後に「娘さん」をちらと見て、その瞬間結婚を決意したと続ける。「真っ白い睡蓮の花」の残像と「娘さん」が重なるように書かれ、「娘さん」の初々(ういうい)しく清楚なイメージが伝わってきます。やはり、手練手管(てれんてくだ)に長(た)けた小説家だとうならせられます。
● 罌粟(かたくり) 結末近くのカメラの前の「若い知的の娘さん」は「罌粟(かたくり)の花二つ」とメタファ でとらえられ、緊張して身体も表情もこちこちに緊張していて、しかも、きりっとかわいらしい(?)女子二人の像が喚起されます。「罌粟の花」を女性の比喩にする例は初めてです。それに、富士山と罌粟の花との組み合わせ、月見草との組み合わせと同様、太宰のオリジナルな発見だともいえるでしょう。


● 酸漿(ほうずき) 「富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出している。酸漿 (ほうずき)に似ていた。」を、この小説の結末としています。形としては三角。これは冒頭近くの「小さい真っ白い三角」=「だんだん沈没しかけてゆく軍艦」や、バスの窓から見える「変哲もない三角の山」とのアナロジーであり、それらは無機的で何の取り柄もないイメージ。ここでは酸漿 (ほうずき)の実。
 酸漿(ほうずき)は一昔前、あちこちの民家の庭先で普通に目にしていたもの。熟した実は子供たちが軸の付け根部分だけを慎重に取り除き、中身を手をかけて抜き取り、口の中で舌を器用に使い膨らましたりつぶしたりして音を出して楽しんでいました。また、提灯の形に似ていることから、お盆などでは招霊用の仏花としています。現在よりもはるかに身近で親しんでいたものです。郷愁を誘うものともいえます。ここでは、朝日に染まり、筋立った、小さい三角の富士のアピアランス。そして、「酸漿 (ほうずき)に似ていた」は、富士の視覚像だけではなく、御坂での人々との出会いやさまざまな体験が「私」にとってあたたかく、懐かしい思い出として振り返ることができることを象徴させているのでしょうか。またさらに、御坂での体験が一つの完結した出来事として結実しつつあることの心象風景になっているようにも感じます。「ほうずき」とひらがなではなく、「酸漿 」と漢字で表記され、きりりと濃密なニュアンスも感じます。
 結末の「酸漿 」(ほうずき)の使い方、小説は、書き出しと結末が生命線だといわれますが、太宰はやはり卓越した小説家であり、言葉の魔術師でもあると思わずにいられません。

写真について

 結末近くの写真撮影の場面。写真て、今みたいにどんどん撮って削除してとか、クラウドに転送されてとか……というようなものではありませんでした。70年前(2015年時点)、カメラ・写真機は高価で誰もが購入できるものではありませんでした。さらに、フィルム感度も低く、手振れが許されず、シャッタースピードや露出がどうのこうのて技術が要求されていました。またさらに、フィルムも安くなく、写真屋で印画紙(焼き付け用の紙)に焼き付けてもらうのに日数も費用もかかるものでした。何かの記念日などにカメラを所有する知人から貸してもらって、着るものに気を配り、よそ行き顔で、ちょっと緊張して写っていた、そういうものだったということを知らないとピンと来ない場面です。


 結末の写真撮影の場面では、冒頭の「東京の、アパートの窓から見る富士」の絶望の淵にいる「私」とはまるで対照的。明るく、軽快で、弾むような内面がうかがえます。御坂(みさか)の滞在で多くの人との出会い、さまざまな体験によって再生を果たすことができた「私」が戯画的に描かれている場面といえるでしょう。

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富士山(2016市勢要覧)2016/10/24
 制作/静岡県富士市広報広聴課


富岳百景 2/2  問題解答(解説)

問1  富士の【 棒状の素朴 】に【 「単一表現」の美しさ 】を認めるのならば、通俗的な富士のイメージをそのまま認めることになるから。
(後半部に着目。
   「通俗的な富士のイメージ」 → 「認める」 = 否定するもの → 肯定する】という矛盾に陥ることになるという論理になります。)

問2  解答例…バスの中で、「私」の母とよく似た老婆がほかの乗客とは違って富士には一瞥も与えず、路傍に咲く月見草を指さしたエピソード。
(「絵葉書」や「富士」ではなく、「ひとり」&「つまらぬ草」を摘むこの遊女も、ささやかであっても俗なる現実に立ち向かおうとする「私」の分身として発見されている〈造形されていると言ってもいいのですが〉のです。)

問3  解答例…(縁談を断られても仕方がないと覚悟を決めていたが、)世俗的な体裁よりも内面的な誠意や愛情を願うと言って結婚を承諾してくれた、「母堂」の思いがけない返答に心打たれ、感謝の気持ちで胸がいっぱいになったから。

(結婚式を挙げる費用もなく、定職があるわけでもない男性との結婚、「縁談を断られても仕方がないと覚悟を決めていた」のも当然ともいえるよね。ちなみに、当時は式を挙げるのは常識。それから披露宴&祝宴、地域や家によっては3日~1週間も続く。現在みたいにカジュアルではなかった。そんな事も、知らないとこの場面も「私」の感動も本当は理解できないのです。もちろん、「母堂」はできれば結婚式は挙げてほしいと思っているが、「私」の事情を慮〈おもんばか〉っているのです。
  内面〈誠意や愛情〉と外面〈体裁=挙式〉の二項対立「私」は外面を気に病んでいたが、「母堂」は内面を重視、そのことへの「私」の感激・感謝が書かれていますか…? )

問4 解答例…  執筆が進まない「私」のことを、心から心配していらだつ心理。

( 「人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援」、何の報酬や見返りも求めない素朴で純粋で暖かな気持ちの表れともいえます。問3の「母堂」、そして更に、『富岳百景』1/2の三ツ峠の茶店の「老婆」と共通する、この小説のライトモチーフにもなるものです。)

問5 a( へどもど)   b( 浮き浮き)   c(  平静 )
    d(  なにげなさそう )   e(  わななきわななき )   f(  おかしくて )


2/2  a.Q

1 解答例…山は、登ったら下山するのが当たり前ではないか、また、「私」は御坂峠に滞在しているのは富士山が好きだからではないのか、と変に思った。

2 解答例…写真の技術には自信はあるが念のために聞くと見せかけ、頼りがいのある男性を演じるポーズ。(前半部の内容だけでも可。)





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