~アンビバレント(こちらを)な自意識の危うさ~
臆病と自尊心
臆病とは、自分の才能に自信を持ちきれないので、先生に教わったり、詩を志す友と交際したりして才能を磨くことを避けるなど、自分が傷つくことを過敏に恐れる心理。自尊心とは、前者とは裏腹に自分の才能に自信があったので、お高くとまり、才能無き平凡な者とみなす人たちを見下していた心理。
辞書上の意味と文脈上の意味
「臆病」(ちょっとしたことにも恐れること)と「羞恥心」(恥ずかしく思う)は( )内に記した辞書上の意味から離れて、文脈上同義語として用いられている。また、「自尊心」(自己を尊び、他者からの干渉を受け入れない心理)と「尊大」(偉そうにすること。傲慢なこと)も同じ。このように、辞書上の意味と文脈上の意味というとらえ方も知っていてね。
心中の猛獣
行動としてはいずれも「人と交わりを避け」ることとなっている。自信(「己の珠なるべきを半ば信ずる」)と自信の無さ(「己の珠にあらざることを惧れる」)という裏腹な気持ちが、李徴の心の中でせめぎあっていて、その内面の現われが「人との交わりを避け」るという行動をとらせたのだ、という理屈を理解できました?「裏腹な気持ち」=「猛獣」というふうに理解してもいい。それが他の人たちを傷つけることともなっていく。李徴は次のように語っています。 人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。
己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。
これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えていったのだ。
自意識の悲劇
李徴と同じような裏腹な自意識は誰もが持っているといっていい…たとえば、自分は友達には受け入れられているよね…でも、ほんとは煙たがれている部分がある気もする…とか。 普通はこの自意識と現実との折り合いをつけながら生きている。でも、何らかの理由で、この自意識が現実とうまくキャッチボールできなくなると、たとえば李徴と同じように、私たちを、根拠の薄弱な自信過剰(=思い上がり)や、その逆の過大な自信喪失というエキセントリック(普通から著しく異なっているさま)な心理に陥らせ、時としてアブノーマル(異常、病的なさま)な行動をとらせることもある。そして、ついには自分を損ない、身近な人々を苦しめることだってある。この物語全体が、そんな自意識の悲劇性のメタファ(こちらを)となっているようです…かなり難しい領域に入ったけど…そんなことテストに出ないからどうでもいいよ…て思った人も…?でも、小説を読んで、今現在の自分とは異質な世界や時代や人間を擬似的に生きることで、新しい発見をしたり、内面的に成長するということが小説を読む本質だということも知っていてね。
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こちらはラジオドラマです。
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ラジオドラマ 中島敦「山月記」
■作品紹介 夢破れ虎になってしまった男。 その深き悲しみと憂い...。 男同士の変わらぬ友情。 ■出演 ・ナレーター:出先拓也 ・袁:小林貴祐 ・李徴:柏士文(同人舎) ※劇中、使用している音楽・効果音、画像は全て著作権フリーの素材です。
山月記(後編)問題解答(解説)
問1 臆病とは、自分の才能に自信を持ちきれないので、先生に教わったり、詩を志す友と交際したりして才能を磨くことを避けるなど、自分が傷つくことを過敏に恐れる心理。自尊心とは、前者とは裏腹に自分の才能に自信があったので、お高くとまり、才能無き平凡な者とみなす人たちを見下していた心理。
《←本文キー・ワード、キー・フレーズをチェックし、正確かつ深く読みとり、自分の頭の中でよくよく咀嚼してね。「臆病」(ちょっとしたことにも恐れること)と「羞恥心」(恥ずかしく思う)は( )内に記した辞書上の意味から離れて、文脈上同義語として用いられている。また、「自尊心」(自己を尊び、他者からの干渉を受け入れない心理)と「尊大」(偉そうにすること。傲慢なこと)も同じ。このように、辞書上の意味と文脈上の意味というとらえ方も知っていてね。
行動としてはいずれも「人と交わりを避け」ることとなっている。自信(「己の珠なるべきを半ば信ずる」)と自信の無さ(「己の珠にあらざることを惧れる」)という裏腹な気持ちが、李徴の心の中でせめぎあっていて、その内面の現われが「人との交わりを避け」るという行動をとらせたのだ、という理屈を理解できたかな?「裏腹な気持ち」=「猛獣」というふうに理解してもいい。》
問2 才能の不足
問3 わずかばかりの才能を刻苦して磨こうとせずに終わってしまったこと。(33字)
問4 李徴は死亡したと妻子に告げ、妻子の生活を支援すること。(27字)
問5 解答例1…李徴が人間の心を消失してしまいつつあること。
解答例2…もう二度と人間との交わりを持つことが無いであろう孤独の悲しみ
a.Q 解答(解説)
a.Q1 虎になることは人間としての理性をなくし、獣の本能に支配されて行動することとなる、という意味で。
a.Q2 よりいっそう嘆き悲しむこととなる。(17字)
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The story was originally written more than a half century by Atushi Nakajima(中島 敦) who was very talented in writing and good at languages.
T his story is a Chinese story written in imitational classical Chinese meter.
There are only two characters in this story; Zyoh Lee, the protagonist of the story and San En, friend of Zyoh.
Much talented in learning, Zyoh was very proud in himself, but he couldn't trust in his gift and reluctant to spare efforts and to see limitation of his the talent.
Too much pride and untrustiness makes him a tiger in the end.
This story tells a weakness of human hearts.
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