『源氏物語』とは
源氏物語は、今から1000年余前(平安時代中期)、藤原道長の娘である中宮彰子(しょうし)に仕える紫式部によって書かれた。先行する伝記物語(「竹取物語」など)・歌物語(「伊勢物語」など)・日記文学(「蜻蛉日記」など)の表現史的蓄積の上に、このような高度な表現を達成することができたといわれる物語文学。
四代の帝(みかど)の七十四年間にわたって、五百名にものぼる登場人物を見事に描き分けて壮麗な虚構の世界を展開。
光源氏の母の物語
物語はその主人公光源氏の母親の物語から始まる。母親の名は桐壺更衣(きりつぼのこうい)とよばれ、その桐壺更衣を寵愛(ちょうあい)した帝を桐壺帝(きりつぼのみかど)とよばれている。桐壺更衣は大納言の娘という出自(しゅつじ)で、帝の配偶者としては物足りなく、格上(かくうえ)となる女御(にょうご)や同位の更衣たちから妬(ねた)まれ、さまざまな嫌がらせを受けたりする。しかし、桐壺更衣の人物像は、それ以外は、若くして亡くなった薄幸(はっこう)の女性という以上のことは語れていない。ただ、出自(しゅつじ)に不相応な寵愛を受けてしまったことが物語を物語として展開・発展させていく原動力となっているといえる。
この後、人々の妬(ねた)みや反感がよほど強かったからか、桐壺更衣は病を得て、若宮(=光源氏)を残しあっけなく亡くなってしまう。
桐壺更衣の死後の母北の方と桐壺帝、そして、命婦(みょうぶ)のやり取りの場面は、自然と人事とが渾然(こんぜん)として融合し、背景描写と心理の表現とが調和を保ちながら、きわめて自然に、また美しく進行していく。『源氏物語』の中でも特に優れた名文として古来愛誦された。次第に、登場人物はその固有の境遇で固有の人間を生きるというように、表現として繊細で濃密で高度なものとなっていく。
『源氏物語』の受容について
話題はそれるが、70年余前敗戦した日本は戦勝国から戦争を始めた罪深い国家という烙印(らくいん)を押され、特に大陸・半島国家では反日を煽(あお)ることによって統治を強化したり、外交カードとして利用してきているという経緯がある。
さらに、国内でも反日のスタンスで論じ、大陸・半島国家の利益を代弁擁護することが進歩的かつ良心的であるかのような言論やジャーナリズムがいまだに大手を振っている。同じく、日本の伝統や文化の優れた点を述べることを反動として非難する風潮も続いてきた。
私たちは先人が残してくれた優れた文化伝統を、先入見なしに理解しなければならないのではないのか。私たちはどこから来たのかを正しく知り、どこへ向かっていけばよいのかを知るために。
いずれにせよ、「源氏物語」は、さまざまな意味で世界に類がない文学作品(こちらを)であるといえよう。
光源氏の誕生 問題解答(解説)
問2 c よい評判 e お寝過ごしなさって(お寝過ごしおそばして) f 気の毒に
(f「心苦し」には、見る目に苦しく思われる=気の毒だ・かわいそうだの意があります。 )
問3 ①「候ひ」は作者から帝への敬意を表す謙譲語で、「給ひ」は作者から女御・更衣への敬意を表す尊敬語。
(敬意の方向は、地の文〈会話文・心中文以外の文〉では「作者」からととらえる。そして、尊敬語の場合は「動作の主」へととらえ、謙譲語の場合は「動作の受け手」へ、丁寧語の場合は、聞き手・読み手へ敬意を表すととらえる。)
問4 ②帝は気兼ねすることがおできにならず
(え〈副詞〉…打消し→不可能、デキナイ。基本知識です。「せ給ふ」は最高敬語、現代語には該当する敬語はない、オ~ナサル・~アソバスと訳すことになります。)
問5 (敬語に注意する。また、誰ガ〈主語〉とドウスル・ドンナダ〈述語〉が文の骨格になるが、日本語では主語が省略される場合が多く誤読する。文脈や敬語に基づき正確にとらえるように筋トレ。)
③女主人公の更衣が、恐れ多い帝のご寵愛が比類ないのを頼りとして、内裏で交際(宮仕え)なさるということ。
④一の皇子が光源氏の照り映えるお美しさにお並びになりようもなかったということ。
⑤帝が光源氏をかわいい秘蔵っ子とお思いになり大切にお世話なさるということ。
⑥帝が(女主人公の更衣を)分別なく絶えずおそばに付き添わせなさりすぎるということ。
⑦一の皇子の女御が他の后妃より先に入内なさったといこと。
(「参る」は、行ク・来の謙譲が基本、参詣する・〈身分の高い人のところへ〉参上する・〈身分の高い人のところへ〉出仕する・入内すると文脈に応じて訳語を考えます。ここでは、一の皇子の女御が后妃として宮中に上がる、つまり入内するということになります。「入内」はジュダイと読みます、間違って読まないでね。)
1 「一の皇子」は「この君」の美しさにお並びになりようになかったから。
(32字。「この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ」と述べてあります。最愛の妃が産んだこともあるでしょうが、ここでは実際に作者が語っていることを正解としています。)
2 かえって帝のご寵愛をいただかないほうがよいという気苦労。
(「なかなかなり」は形容動詞の語で、生半可だ・中途半端だ・どっちつかずだの意。直前にもあるよう、帝から格別の寵愛を受けるという女性として最高の幸福に恵まれたことと裏表のように、人々から白眼視されたことへのアンビバレントな心持を理解できましたか。)
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