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独自な雅文体
次は第二段落の一節です。
この恨みは初め一抹の雲のごとく我が心をかすめて、瑞西の山色をも見せず、伊太利の古跡にも心をとどめさせず、中ごろは世を厭ひ、身をはかなみて、腸日ごとに九回すともいふべき惨痛を我に負はせ……
流麗な和文に、「惨痛」「腸日ごとに九回す」の漢語・漢文訓読体、「この恨み」を主語にした擬人法に見られる欧州語風修辞が混然一体となった独自な文体で書かれています。
この独自な文体が読む者を独自な世界に引き込んでいきます。というより、新しい時代の物語と抒情が今まで存在しない文体を創りだして書かれているのです。
難解な文章か?
「舞姫」は明治23(1890)年に雑誌「国民の友」に掲載されました。文章、難しすぎで抵抗感が強いと感じた人が多いと思います。でも、この雑誌は日本人の平均以上の教養のある人を読者に想定した民間雑誌です。当時の人は現代のわれわれより文章を読む力のレベルが高かったようですね。
七十余年前、日本が先の大戦に敗北し、アメリカ軍は勝者として当然と言えば当然ですが、日本国を侵略国家として一方的に断罪、戦時指導者を処刑(こちらを)し、さらに日本の伝統的文化を否定するスタンスで占領政策(こちらを)をすすめました。表記については漢字・カタカナ・漢字・ローマ字など使い分けていること、そして数千に及ぶ漢字(大修館書店で出版されている「大漢和辞典」では、約五万字の漢字が記載されています)を使用していることはアメリカ人の理解の及ばないものでした。こんなに多くの漢字を身に着けるため多年を費やし理性的合理的な考え方を身に着ける余裕がなくてあんな無謀で野蛮な戦争を起こしたのだとしたこともあり、漢字を簡略化して、さらに、使っていい漢字(当用漢字⇒こちらを)を指定するよう方向づけたのです。同時に、誰が読んでも理解できるような平易な表現がよいという風潮にもなっていきました。その結果、親子の手紙のやり取りもちぐはぐになったり、少し前の時代の小説・評論・論文がまともに読めなくなったり、学問の世界でも先人の研究文献が正確に読めなくなったりして現代に至っているわけです。この問題は、現代の隣の大国でも漢字の本家本元を自認しながら、共産党政権がとんでもないほど漢字の簡略化(こちらを)をして一世代前の文章が読めなくなっているのと同じことです(もっとも、この国は古代から自ら書物を焼き払ってしまったり、学者を生き埋めにして殺してしまう〈こちらを〉ようなgo to extremes の文化を持つ国ですが…)。また、アメリカは250年余の歴史しかなく、独自の文化伝統など持たない国で、しかも、わずか26文字で表記できるイギリス語を公用語としている国です。2000年以上の歴史を有し、韻文・散文とも記録が残っているだけでも1000年以上の高度の表現史を持つ我が国が、そのような国の指導を受けなければならなかったのです。より微妙なことより深いことを表すには多種多様な語彙と文体を必要としますが、それらを失ってしまいました。戦争に負けるということは、目に見えないところでも深刻なダメージ負うことになるのです。
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舞姫 1/5 問題解答(解説)
問1 a 無責任な発言 (6字) b いと (「厭う」とは、いやがって避けること。音ではエン、厭世という熟語あり。) c 九 (司馬遷の書に「腸一日に九廻す」とあり、心の悩みもだえるさまの意、慣用表現として使われる。)
問2 舟に残っているのは「余」一人だけだから。 (冒頭の一文と次文は倒置、「いたづらなり」の理由が「船に残れるは余一人のみなれば」と述べてあるととらえます。)
問3 ドイツから日本に帰る旅 (今度・今回の意。同段落冒頭に「五年前」と対応、次段落の冒頭「げに東に還る今」とある。)
問4 ドイツを出発、スイス・イタリアを経てベトナムのサイゴン港に停泊、日本への出航を待っている。 (ドイツ・スイス・イタリアを陸路、イタリアの港から乗船しベトナムのサイゴンに停泊している。しっかりイメージすることも小説を読む意味となる。)
問5 帰国の途に就いて以来、徐々に「余」の心の表層に浮かび上がってきた「人知らぬ恨み」という気分・感情が「惨痛」とともに深く心に「彫りけられ」、「懐旧の情」を限りなく呼び起こして、眼前の何物に対しても感情が働かなくなってしまっているから。 (最後の段落に述べてある。キー・ワードは「恨み」、すなわち悔恨である。「はじめ」、「中ごろ」、「今」というプロセスに沿って述べられている。本文にマークして辿ってみましょう。)
1 五年前の洋行の際の好奇心のままに見るもの聞くものすべてを珍しげに新聞に書き送っていた我が身を振り返り、その若気の至りを思慮ある人たちにどのように見られていたかを気にする内向的な心境である。(94字)
2 「昔の我」は見聞するものみな珍しく、筆にまかせて紀行文を書いたが、「今の我」は買った日記帳も白紙のままである。
問1 A… 名(慣用表現。「名を成す」で人に名を知られるようになる。また、名声を得る。「作曲家として名を成す」などと使われる】・B… 家(慣用表現。「家を興す」で、衰えていた家の勢いを盛んにするの意。
問2 豊太郎がドイツ語とフランス語をたくみにしゃべるのに驚いたから。
(直前の「喜ばしきは、我がふるさとにて、独逸、仏蘭西の語を学びしことなり。」に着目)
問3 Dは今までの抑圧されていた真実の自分、Eは他者の言いなりになっていた今までの偽りの自分
(3年間のベルリンの大学での自由な雰囲気に触れることによって、これまでの自分が父母や「人」や「官長」の与えたレールを走っている( 所動的、器械的な自分)にすぎなかったと覚醒。「まことの我」なるものは、「独立の思想」を抱き、官長の命に従わなくなるとともに、「政治家」になるという立身の志を疑い、「好尚」の赴くままに、「歴史文学」に心を傾かせていく、ということとなる。)
問4 面白味がわかる境地 (成語)
問5 「合歓の木の葉」のように物が触れると縮んで避けようとする、繊細で臆病な心
(この段落で豊太郎の「本性」が語られる。キー・ワードをマーク。「かたくななる心・欲を制する力・勇気・耐忍勉強の力・豪傑」⇔「合歓とい木の葉・外物に恐れ・涙に手巾をぬらしつる我」。後者は「まことの我」でもある。次段に「この弱くふびんなる心」ともある。どこまで答えるかは字数制限や解答欄スペースによります)
問6 うと
舞姫 2/5 問題 a.Q解答(解説)
1 洋行の官命(政府からの命令)である「一課の事務を取り調べ」として、人と多く会って交渉し、報告書を作っていくという公的な仕事から解放された余暇のこと。
2 西欧の知識を可能な限り吸収して身につけることは無意味ではないが、法律とその運用について熟知するだけでは無味乾燥だと思ったから。
3 豊太郎は心が弱く勇気がないために交際したがらないので、妬むに値するようなものではないから。(「嫉む」とは、他人の長所・幸福がうらやましくて、憎らしいと思うの意。直後の「弱くふびんなる心」など妬むに値しないものを妬むのは「愚かならずや」ということになる。)
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