梓弓(伊勢物語)もっと、深くへ !

「伊勢物語」への道

 現在、私たちが小説や評論とよんでいるものが、昔から存在していたわけではない事情は、『かぐや姫のおいたち(竹取物語)~わが国で最も古い物語の誕生』で少し詳しく書きました(こちらを)。


 平安時代の初期(1200年ほど前)に、漢字を元にしてひらがな・カタカナが発明され、そうして初めて、私たちが日常使っている言葉で、心情表現や情景描写の文字表現ができるようになっていったのです(万葉仮名は除きます)。このようにして、かな文字で書かれる物語という新しい文学に発展していきました。

 文学史的には、こうして、架空の人物や事件を題材にした作り物語(「竹取物語」など)と、歌の詠まれた背景についての話を文字化した歌物語伊勢物語)の二つが成立したとされています。


「伊勢物語」の主人公は業平

 「伊勢物語」は現在残っている最古の歌物語です。初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。

 初め在原業平の家集を母体として原型ができ、その後増補を重ねて、今日の形になったようです。

 在原業平になぞえられる主人公「昔男(むかしおとこ)」の生涯が、一代記風にまとめられています。高貴な出自で、容貌美しく、色好みの評判高く、歌の才能に恵まれた人物の元服から死までのエピソード集です。ただし、業平とは考えられない男性が主人公の段もあります。



愛と死
 恋愛や結婚、現在を絶対視しないで、今から1100年前の人々にできる限り近づいて、物語を追体験してみましょう。結婚のあり方も慣習も交通や通信の便も、現代とは全くと言っていいほど異なる時代です。
 今現在の自分や時代や価値観とは異なる体験を疑似的にすることで、新しい発見をしたり、過去や現在が新しい見え方をしたりすることもあるのではないでしょうか。


 都で仕事を得た夫が帰ってきて、「この戸開けたまへ」と言う。

 女は三年も他の男に心を許さず、ひたすらに夫を待っていました。「ねんごろにいひける」男を憎く思うわけではない。出て行って、帰ってきた夫の胸に飛び込みたい。しかし、親切に、辛抱強く、熱心に求婚し続けた男に対して、それはできない。しかも今夜は初めて枕を交わすべく、その人は家の中にいるのです。夫へのあふれんばかりの思いを、戸を押さえながら、女は辛い思いでせき止めようとしていました。
  あらたまの年の三とせを待ちわびてたゞ今宵こそ新枕(にいまくら)すれ
三年という長い間、あなたの帰りを待ちわびてそれでもお帰りにならないので、ちょうど今夜、ほかの男と結婚することになっているのですよ
 

 夫は女の歌にその場の事態を察しました。夫にしてみれば、決して女に不誠実ではなかった。女と暮らせる見通しも立つようになって戻ってきた。しかし、三年放っておいたのは事実だ。女は今夜から新しい生活に踏み切ろうとしている。夫は祝婚(しゅくこん)の歌を残して、自分は退(しりぞ)こうと決心しました。

  梓弓(あづさゆみ)ま弓つき弓年をヘてわがせしがごとうるはしみせよ
梓弓・ま弓・槻弓と、弓には色々あるように、私たちの間にも色々ありましたが、長年私があなたを愛したように、あなたは新しい夫を大切に愛しなさい 


 女は、今夜新枕(にいまくら)する人を裏切ることはできないと、必死で押しとどめていた夫への愛情は、夫の優しさあふれる歌によってとどめられなくなりました。身を引いて女の幸せ願う夫の心の美しさ、気高さに、女は以前以上の強い愛情を感じ、夫の後を追ったのです。

  梓弓(あづさゆみ)ひけどひかねど昔より心は君によりにしものを

あなたが私の心を)引いても引かなくても、昔から(私の)心は(いちずに)あなたに寄り添っていましたのに

しかし、追いつくことはかなわず、清水の脇の岩に哀切な歌を書き残して、息絶えたのです。

  あひ思はでかれぬる人をとゞめかねわが身は今ぞきえはてぬめる
私がこれほど恋しく思っているのにあなたはともに思ってくださらないで、別れて去ってしまう、そのいとしい人を引き止めることができなくて、私の身は今にもすっかり消えて(死んで)しまいそうです

 ここでも、初期の日本語散文らしさを感じさせる、飾り気がなく初々しく抒情的な文章で書かれています。また、和歌が物語の中核となっているのも特徴です。


伊勢物語』第二十四段「あづさゆみ
「『伊勢物語』の中の有名な段である「あづさゆみ」でスライドショーを作ってみました。愛し合う男女がすれ違いにより悲しい最後を迎えてしまうという切ない話です。」=動画制作者



梓弓 問題解答(解説)

問1 ① 言い寄る 求婚する  ③  (「去な」でとらえる。ナ変動詞の「去(い)ぬ〈去ルの意〉」未然の語幹と判断します。)


問2 親しみ愛しなさい むつまじくしなさい (「うるはしみす」でサ変動詞、ここではその命令形。)

問3  (「にし」でとらえる。完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」は、「にけり」「にき」「にたり」の形でよく用いられ、ここでは「にし」の「し」は過去の助動詞「」の連体形。「にき」の形と判断。〕

問4
   1) (「(男)のあとについて追っていったが追いつくことができないで」に続く一節)
   2)追いつくことができないで (「え…打消」=…デキナイ。打消の意を持つ接続助詞は「で」のみ。)

問5  きえはつ
〔「いたづらになる」は死ぬ・息絶えるの意。タ行下ニの活用の語、「きえはてる」としないこと。「消ゆ」だけでも死ぬの意があります。「死ぬ」の別表現は「みまかる」など多くありますのでそのつどインプット。「死ぬ」と不吉な言葉を忌み言葉として別の言い方をするのは現代に引き継がれています。〕

問6 平安時代前期 ・ 歌物語 ・ 在原業平 
 〔文学史の知識、入試対策のためだけてはなく教養としても知っていてください。日本は1000年以上も蓄積された高質な文学遺産を持つ世界でも数少ない国です。〕

a.Q

1 解答例…女が、別の男と結婚することになっていて、その男がはじめて訪れてくることになっているという事情があって。

(「あけで」は、「(女はその戸を)開けないで」の意。「いとねむごろにいひける人に、今宵あはむとちぎりたりける…今宵新枕すれ(たいそう親切に言い寄った(別の)男に、(女は)今夜夫婦になりましょうと約束していた(ちょううどその)日に、…ちょうど今夜、(ほかの男と)結婚することになっているのですよ)」を踏まえて、指定された言い方でまとめます。)


2 解答例…私がこれほど恋しく思っているのに、あなたはともに思ってくださらないでよそよそしくなった

(「あひおもふ」は、お互いに思いあうの意で、「あひおもはで」は、ここでは女は思っているが元の夫は思ってくれないことになる。「離(か)る」は、空間的時間的な文脈では離れる・間があくの意ですが、心理的な文脈ではうとくなる・よそよそしくなる意となるので注意して。)
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