刑部卿敦兼と北の方(古今著聞集)~みにくい夫と、夫を嫌悪する美しい妻

 刑部卿敦兼と北の方 

 (古今著聞集) 

 ~みにくい夫と、夫を嫌悪する美しい妻 

篳篥(ひちりき)


  刑部卿敦兼と北の方(古今著聞集)を現代語で

刑部卿敦兼と北の方(古今著聞集)原文・現代語訳はこちら

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 刑部卿(ぎょうぶきょう)の敦兼(あつかね)は、顔立ちが実にみにくい人でした。一方、夫人は美しい女性でしたが、(★)五節(ごせち)の舞を観る機会があり、見た目のいい男が大勢いるのを見て、夫のみにくさに気づきました。家に帰ると、夫人は口をきかず、目を合わせず、無愛想に横を向いていました。刑部卿はしばらく何が起こったのか理解できなかったのですが、夫人は次第に嫌悪感(けんおかん)を抱くようになり、そのようすはそばで見ていて気の毒なほどでした。夫人は以前のように同じ部屋にいることもなく、部屋を変えて住んでいました。

 ある日、刑部卿が出勤して夜に帰宅すると、夫人は敦兼の部屋の明かりさえともしていず、刑部卿は服を脱いだもののたたんでくれる人もいなかった。女房たちも夫人の目配せにしたがい、刑部卿の前に出てこなかったため、刑部卿はどうしようもなく、車寄せの部屋の戸を押し開けて中に入り、一人で物思いにふけって座っていました。夜が更け、静寂が広がり、月の光と風の音が、すべてのものにしみ渡り、夫人への恨めしさも感じられました。そこで、心を静めて篳篥(ひちりき)を取り出し、この季節にふさわしい音色で吹きながら、次の歌を繰り返しました。

 ませのうちなる 白菊も

 移ろふ見るこそ あはれなれ

 われらが通ひて 見し人も

 かくしつつこそ かれにしか

  垣根の内側に咲く白菊も

   色あせていくのがしみじみと悲しい

   私が通って契りを結んだ人も

   今はこんなに遠く離れてしまった


 夫人はこの歌を聞いて、心がたちまち元にもどりました。それ以降、夫婦仲はすばらしくなっていったとかいうことです。おそらく、優雅な夫人の心によるものでしょう。

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★五節の舞…五節の舞は、日本の雅楽(ががく)で唯一女性が演じる舞です。大嘗祭(だいじょうさい)や新嘗祭(にいなめさい)の豊明節会(とよあかりのせちえ)で、大歌所(おおうたどころ)の別当の指示の下、大歌所の人が歌う大歌に合わせて、4 - 5人の舞姫によって舞われます。

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【動画】五節の舞(御所一般公開)

2011/11/03

  独特のキャラクター

 平安女流によって描かれた人たちとは、ずいぶん異なるキャラクターですよね。

藤原敦兼…ふじわらのあつかね。平安時代に実在した人です。冒頭に、見た目がみにくいと露骨に語られています。妻に冷たくされても怒るでもなく、篳篥(ひちりき=こちら)を吹き、今様(いまよう)を歌って心を慰めるような、おとなしく実直な性格の持ち主として描かれています。

北の方(敦兼の妻)…これも実在した人物藤原顕季(あきかげ)の娘と考えられます。夫が容貌がみにくいことに気づいて嫌になるような浅はかな性格ともいえるし、五節の舞を見物に行くまで夫の容貌がみにくいことに気づかなかったのは深窓(しんそう=上流階級の俗世から隔離された)育ちで世間ずれしていないともいえます。そしてその夫を無視したり、女房達にも世話をさせないようにするなど子供ぽくわがままな性格の持ち主ですね。


  歌と音楽の力

 敦兼は妻から冷たくされ、女房たちからも無視され、仕方なく物思いにふけっていた。夜がふけ、月の光、風の音などすべてのものが身に染むようにわびしく感じ、篳篥(ひちりき)を取り出し、「白菊」に託して、妻の心が離れて行った悲しみを詠んだ今様(いまよう)を歌ったのです。

 今様とは、平安中期から鎌倉時代にかけて流行した歌謡(形式)、多くは七・五の四句からなる。従来の歌である神楽歌(かぐらうた)、催馬楽(さいばら)、風俗歌に対して、現代風の歌という意味で「今様」と言いました。

 敦兼今様は、「かれ」が、よそよそしくなるの意の「離(か)れ」と、白菊が「枯れ」の両意に掛ける掛詞として用いられていて、妻の愛情が冷めてしまった寂しさを「白菊」に託して詠んだもの。

 それを目にした妻は、たちまち元の愛情を取り戻した。以来、夫婦仲はよくなった。妻は歌や演奏のすばらしさを理解する、教養深く感性豊かな女性であったのでした。

 ところで、平安時代の前期(905年)に史上初めての勅撰(ちょくせん=天皇・上皇の命によって編纂された)和歌集『古今和歌集』が編まれましたが、その冒頭に置かれた「仮名序(かなじょ)」で紀貫之(きのつらゆき)は和歌のもつ力について次のように述べています。


力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女の仲をも和(やわ)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは、歌なり。
(力を入れないで天地の神々を感動させ、目に見えない鬼神(精霊、荒々しく恐ろしい神)をもしみじみとした思いにさせ、男女の仲を親しくさせ、勇猛な武士の心を和らげるのは、歌なのである。)

 言霊(ことだま)という言葉がありますが、ことばには不思議な力が宿っているということです。紀貫之はその力について述べているわけです。古来、言葉や歌の持つ不思議な力にまつわる説話が伝えられてきました(たとえば、小式部の内侍の歌が死神をうならせて命拾いできた説話⇒こちらなど)。
 また、弾く人を選ぶ琵琶という楽器の説話もあります(=今昔物語「玄象といふ琵琶、鬼の為に取らるること」⇒こちらを)。楽器や音楽の持つ不思議な力ということになります。
 古今著聞集「刑部卿敦兼と北の方」では、すぐれた今様=篳篥(ひちりき)の演奏=音楽の持つ力が円満な夫婦関係を復活させたことになります。

 歌や音楽の持つ不思議な力とは、現代の私たちが芸術やスポーツから感動や勇気をもたらされるということにも通じるとも言えるでしょうか。


【参考動画】
東儀秀樹 / アメイジンググレイス
雅楽 篳篥でカバー


  今著聞集(ここんちょもんじゅう)とは

 今から770年ほど前(鎌倉時代)に成立した説話説話とは噂話や昔ばなしのことです。『徒然草』とほぼ同時代。編者は、橘成季(たちばなのなりすえ)。多種多方面な話、七百話以上が収められている。王朝懐古の思いが強く、約三分の二が平安時代の貴族説話である。今昔物語集」『宇治拾遺物語』ともに、日本三大説話集とされています


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